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August 26, 2016

『丸山眞男講義録4』#5

『丸山眞男講義録4』丸山眞男、東京大学出版会

 解題によると、「葦牙(あしかび)の如く萌騰(もえあがる)る物に因りてなれる神」という「成る神」を想定した日本の神概念は化生と生殖を中心に構成され、善悪の区別よりも「勢い」が重視される、ということは丸山眞男が何回も強調するところです。

 そして、集団的功利主義と心情の純粋性が倫理となっていきます。

 こうした現世的なものを肯定する古層を内発的に突破する「超越的普遍者の自覚」は、普遍宗教である仏教との接触の中で深まっていきますが、それはいったん国家仏教=鎮護国家の中で弛緩していきます。

 日本の学識による初めての独自解釈を行ったのは最澄。その高度な主知主義的な形而上学は上層ではエリート主義、底辺では呪術宗教となりますが、やがて内面化された大衆宗教に転化されます。

 そうした親鸞を頂点とする鎌倉仏教における、超越的普遍者の内面化を準備したのが末法思想ということで、この章は古代における仏教受容から『愚管抄』までを扱います。

 「忿(こころのいかり)を絶ち瞋(おもてのいかり)を棄て、人の違うを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執るところあり。彼是とすれば則ちわれは非とす。われ是とすれば則ち彼は非とす。われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫のみ。是非の理(ことわり)なんぞよく定むべき。相共に賢愚なること鐶(みみがね)の端なきがごとし。ここをもって、かの人瞋(いか)ると雖も、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われ独り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え」(十七条憲法第十条)など普遍主義としての十七条憲法の清冽な解釈も素晴らしいと感じました。

 また、現世の同じ業が来世を規定するという因果応報観は、インドでも日本でも仏教の大衆化の過程で説かれた、というのも面白かった。

 第5章の鎌倉仏教において、日本で無知・無学の民を布教対象にしたのは法然が最初、ということが強調されますが、それまでの仏教は鎮護国家思想も含めて、国家の上層部のみが対象でした。その流れの中で、浄土真宗の大衆的普及を行った蓮如によって、因果応報律は儒教的な勧善懲悪を媒介に行われ、江戸時代に最も通俗化された、というあたりも。

[第4章 王法と仏法]

[1 十七条憲法における統治の倫理]

 十七条憲法は大化の改新に先行して氏姓制度の変革を方向付けた思想と考えられ、その根底には自然と人間世界を超越した聖なるものとしての「絶対者の自覚」がある。それは、「原型」から儒教的あるいは法家主義的展開からの飛躍でもある、と。

 ここで面白かったのは、丸山眞男 お得意の人類を基盤とした政治は存在せず、逆にいうと所属集団の特殊性を基礎とした普遍主義はない、という説明から、同じ全体主義でありながら、ファシズムとコミュニズムの違いを説明しているところ。

 ヒトラーとムッソリーニが、どちらが真のファシズムに近いかなど、その定義をめぐって論争することはない。一方、コミュニズムは普遍主義的価値に立ち、特定の党に絶対的権威をおくようになったとしても、それは歴史・文化・国際環境が複合した結果であり、内部からのイデオロギー批判は行われる余地がある、と。

 同じように儒教と仏教を比べると、儒教は社会の特殊パターンについての規範にとどまり、その適応範囲は朋友までであり、個体としての人間という発想は乏しい。儒教において個人は世間的秩序に堅く繋縛さけており、そこに日本の「原型」との連続性を内面に持っていた、というわけです。

 一方、こうした原型的世界像を徹底的に突破し、新しい精神的次元を日本人に開示したのが世界宗教としての仏教。

 十七条憲法は、こうした思想的可能性を統治理論において明確に提示しており、祖神を崇べとか、天つ神の祭祀を怠るなといった教えは全く見あたらない。

 こうした古神道無視の姿勢は平田篤胤など日本主義者の憤激を買ったが、隋帝国への国書は後生のナショナリストたちがしばしば引用する。しかし、対等主義は、普遍的真理にコミットすれば、巨大な文化的先進国も、その東辺の小島国も、真理の前に平等だという立場から。

 有名な「和を以て貴しと為し」も、礼との関係で和が言われているのではなく、党派的偏執を去れ、という意味。

 「忿(こころのいかり)を絶ち瞋(おもてのいかり)を棄て、人の違うを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執るところあり。彼是とすれば則ちわれは非とす。われ是とすれば則ち彼は非とす。われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫のみ。是非の理(ことわり)なんぞよく定むべき。相共に賢愚なること鐶(みみがね)の端なきがごとし。ここをもって、かの人瞋(いか)ると雖も、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われ独り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え」(十七条憲法第十条)は和のイデーが宗教的次元まで深化されて表現されたもの。ここではエゴが相対化され、他のエゴに対する寛容が導きだされている。

 しかし、こうした高度な政治的理念は、現実からは遊離していた。氏姓国家の矛盾と腐敗が深刻化していく中で、晩年の太子は脱政治化する。

 《かくて絶対者と世間との二元的緊張は、一方で、政治的国家の価値を相対化する普遍的規範の制約を高揚し、他方、個人の救済の問題としての宗教を登場させている》《この二つは表裏の関係にある。しかし、この二元的緊張の思想は後の鎮護国家においては弛緩してゆく》が結語。

[2 王法仏法相依と鎮護国家の観念]

 仏教受容に際し、蘇我氏など推進派は日本だけ大勢に従わぬわけにはいかぬという情勢論で、軍事を世襲職とする物部氏、祭祀の特権を持っていた中臣氏は氏神信仰と矛盾するから反対したが、積極採用派も反対派も、仏を外国の神と見たという点で共通している。また、同じ軍事職にあった大伴氏が仏教に接近したのは、おそらく朝鮮出兵による先進文化の影響だろう、と。

 物部氏の滅亡によって、仏教は1)氏族仏教2)国家仏教=天皇皇室仏教3)貴族仏教の三段階で普及していく。

 その際、金色燦然たる仏像や読経に呪術的好奇心が喚起されたが、経典の和訳や注釈には無関心だった。それはキリシタン伝来時に、聖書の日本語訳がただちに出版されたのと著しい対象をなす。

 また、主として行政制度のルートを通じて造寺・造物などが上層から下層へ、中央から地方へ普及していった。

 仏教は魅惑的な外国文明の所産として、社会的適応の手段として受け入れられたので、原始仏教のもと峻厳な普遍主義は弱められ、原型と癒着する傾向を帯びた。

 仏教は日本で天皇、貴族、氏など家的共同体を単位として摂取されたが、経典も『仁王護国般若経』(帝王護持)『金光明教』(呪術的効果)が選択、各地で講じられた。

 聖武天皇は三宝の奴と称したが、同じ鎮護国家でも聖徳太子の精神とは違い、見えざる権威に対する帰依よりも、眼前にあるきらびやかな大仏に呪術的効果を期待し、臣民にはアカキ・キヨキ心で協力するよう呼びかけるなど神仏習合のシンクレティズムが表面化した。

 王法と癒着した仏法が二元的緊張の意識を取り戻すのは平安末期、末法思想の勃興を待たねばならなかった。

[3 (世間の)否定と解脱の論理と感情]

 宗教は一個の人間の永遠の救済の問題であるのに対し、政治は閉じた集団の今ここにある課題の解決。根本的に現世的なものを否定するのが世界主教の持つ意味。

 聖なるものを担う主体のタイプは
1)スタティックな合理主義を特色とした経典の解釈権を独占する僧職官僚制(政治の次元では、権力を握ったマルクス主義政党が似たような様相を呈する)
2)救済のヒエラルヒーを否定し、底辺の平信徒と直結するカリスマ的預言者
3)アメリカ開拓期のような信徒による平等な共和国、自発的に信仰共同体が形成されるタイプ
4)君主的専制主義に対応する一人の聖者によって聖なるものが担われるタイプ

 また、非日常的行動と日常的行動との関係から聖と俗を考えると

a)月曜日から土曜日まで俗人として生活し、日曜日だけ教会に行くような聖と俗を空間的・領域的に隔離する仕方
b)ウェーバーがプロテスタンティズムのエートスとした、ひとつの原理によって生活を統一するタイプ
c)律法主義
d)知識人の支配に結びつく経典学習による区別(ウェーバーのいう達人宗教=Virtuosen-reliositat)。中国の読書人階級の支配や、立身出世の機会が平等に開かれた明治の官僚支配もそれ。広く学習が行われるので、経典の解釈権が僧侶官僚あるいは前衛党が独占するのか否かが問題化する

 聖なるものに参与し救済に至る行動のタイプは

イ)プロテスタンティズムと重なる方法的禁欲(世俗内ではカルヴィニズム的な職業倫理、世俗外では修道院での禁欲生活)
ロ)自らを神の器と見る神秘主義のタイプ(世俗内神秘主義と遁世する世俗外神秘主義に別れる)

 また、世界拒否は政治的意味を持つ。

[教理に現れた(否定の論理の)諸範疇]

 奈良時代の仏教教義は隋唐時代の留学生、渡来僧によって伝えられた南都六宗(三論、法相、成実、倶舎、華厳、律)で、日本の学識による独自の解釈は最澄の日本天台宗が最初。

[南都六宗の教学における主要な範疇]

 事物も人間の心理感情も実在ではなく仮相であり、実在と見るから執着が生まれ、そこから苦が生じるのであるから、一切を空と観じる空観を押しだしているのが三論宗。隋の嘉祥太子吉蔵によって大成され、龍樹の『中論』『十二門論』、堤婆の『百論』を基礎とする。一切を空と見るのを真諦とした。

 東大寺を中心とした唯識論と五性格別説の法相は、最澄が挑戦した。三論と逆に、世俗的真理がそのまま不滅の真理であるとして俗諦が空で、真諦が有とした。

 《俗諦が空なのは、すなわちそれが外界に実在しているのでなく、一切下界の本体は心のなかにある種子(一切諸法を生起させる作用の実体化)にあり、この種子が客観世界に顕現したものだ。しかるに迷妄によって、われと客体を区別して実在と見誤る。その迷いを脱した真諦が有(真実在)で、これが悟りの世界である。世俗界の立場に立って、これを全て識の作用に帰するから唯識という。経験的世界の説明に、きわめてスコラ的な精緻な論理を駆使するが、実践的修行の面では、これが五性格別の説となる》

 五性とは声聞定性、縁覚定性、菩薩定性、不定性、無性という修行者の素質の区別。このうち成仏できるのは菩薩定性と不定性だが、仏果を得るには小乗仏教のように想像を絶した時間がかかる。この五性の区別と声聞、縁覚、菩薩の峻別が最澄から挑戦された。

[原始仏教の根本範疇]

 菩薩の概念を理解するために、仏教そのものを説明する。

 釈迦は不死のアートマン(我)を体得しようと出家・苦行したが、アナートマン(無我)の体験を悟って覚者となった。生が快で死が苦ではなく、人生と世界そのものが苦であり、その無常性を認識することが解脱。ただ無常を知ることで涅槃に入るわけで、普遍我の虚妄を悟ることでウパニシャッド哲学のアンチテーゼとなった。菩提(Bodhi)は覚(budh)の名詞化。釈迦の説法は四諦の説→五蘊無我→縁起説と進んだ。無明が苦の根本条件。龍樹は絶対空のみが諸法の実相であるとした。

 乗は悟りに至るプロセス。

 菩薩乗は菩薩(Bodhisattva)は菩提=覚、薩埵=衆生の略で釈迦が仏陀になる以前の段階。菩提を求める(往相)とともに、空即不空として現実世界に還相して衆生を化する利他のために励む者。

 釈迦入滅後百年で教団が分裂した際、阿羅漢を理想とする上座部に対して、大衆部は菩薩の慈悲を強調し、そこから大乗部が起こった。

 法相宗など高度な主知主義的な性格を持つ形而上学は社会的エリート主義と結びつくが、しばしば頂点のスコラ主義は底辺で呪術宗教の形をとる。

 これに対して呪術化しないで内面化された大衆宗教に転化させたのがルターだが、聖俗関係の再定義は鎌倉仏教によっても行われた。

 日本の大乗仏教の展開は平安以降で、最澄の天台宗から始まる。天台宗は元々、隋時代の智顗によって大成され、羅什の訳した法華経『妙法蓮華経』を中核とする。

 最澄は法相の得一との論戦を通じて一切衆生悉有仏性に基づく円頓一乗戒を確立した。道元、日蓮、法然、親鸞によって発展形象されたのは、凡夫の起こす一刹那の心に一切諸法が内在するというアスペクト。

 人間には仏性も地獄性もあるが、衆生は本来仏という本覚観念を橋渡ししたのは華厳宗。華厳宗と天台宗は中国大乗仏教の最高峰。

 最澄は南都諸大寺の反対を押して、戒壇院を独占していた東大寺から独立して大乗戒壇を建てる努力を続け、天台道場は官寺となった。官寺とはいえ、俗権と独立した教権制は、国家的次元に吸収されない文化の自立性が確立されるかのメルクマールとなっており、後の延暦寺の辿った結果だけからは裁断できない可能性も開かれていた。

 平安仏教の特質は、奈良仏教からの公的性格の喪失。密教的な現世福祉の祈祷と結びつくと宗教の最も堕落した存在形態に転落する。

 密教は衆生は本来仏性を具有しているので、真言を誦して、密儀にあずかれば即身成仏すると説き、ここから性交を神秘化する左道密教も生まれた。世俗的欲求の追求とほとんど同一化したのが密教修法だった。空海の真言宗は哲学的教理としてはほとんど天台宗に依存し、その上に仏との神秘的融合の道として密教を置くが、体制権力との直接的抱合と、原型的な呪術的思考の癒着が甚だしい。その時代は摂関貴族が権力層としての政治的自覚を失っていた日々だった。

[仏教的範疇の社会的表現形態]

 無常観と因果応報について

 密教は、その教義をみても、儒教的世界像とは異質な世間的価値の否定と超越の内包がうかがえるが、その教義は極めて少数の知識者に限られていた。平安期には世間を否定するペシミズムが社会に浸透していく。

 万葉詩人の無常観は永遠の来世と対比させられることなく、恋愛感情のせつない苦しさなどの表現となったが、一切はうつろい行き、流転するという考え方は古代日本人の思想にあったて、それがまた原始仏教の無常観を変質させた。一方、法然・親鸞は無常という言葉をほとんど用いなかった。

 応報は、現世の業が来世を規定するというバラモンのカースト制度を合理化する教説で、原始仏教では因果による応報を解脱できない凡夫の免れがたい現実としては認めるが、そうした現実を正当化する教えではなかった。

 本来の仏教思想は、無明を煩悩の根源と観じることで輪廻からの解脱を目指す。

 ただ、仏教哲学の中にカルマ(業)と輪廻(samsara)説が含まれているため、インドで仏教が大衆化する中で、現世での善行をすすめ、悪行をいましめる通俗的教説として説かれた。

 日本でも、真実認識の「諦」を明らめること(無明→明)が、因果連鎖から逃れられないことへの「あきらめ」の意味に転化した。

 日本で因果応報が説かれたのは、儒教的な勧善懲悪倫理を媒介したものが多く、室町末期に浄土真宗の大衆的普及を行った蓮如によってそうした考え方が広まり、江戸時代に最も通俗化された、と。

 また、極楽浄土または西方浄土は、中国の道教思想から来た神仙境の観念と癒着して、日本の思想が知った最初のユートピア概念となった。神仙境は、原型的オプティミズムと接続しやすいため、仏教的無常観より早く受容されていた。

 本来、浄土とは穢土に対立する概念であり、死後に生まれ変わる世界ではない。天台によれば一念三千の法理を観ずれば、現世即浄土だった。しかし、浄土信仰では阿弥陀仏による救済が教えの中心となるから、彼岸の世界という性格を帯びる。

 《死後の安心が仏教の本質とはいえない。仏陀のNirvana(涅槃)の世界は、時間的思考自体を解脱したところに成り立つので、よし「極楽浄土」に生まれ変わったとしても、菩提の悟りが容易になることはあっても、それが究極の目標ではない。しかし、それはどこまでも達人宗教(Virtuosen-reliositat)の立場であって、仏教が大衆的基盤において、現世利益の呪術信仰と結びつかず、むしろそれとの対立において、信仰を内面化し、一切の形での現世主義的オプティミズムの〈根本的な〉価値顚倒を切り開いていく途は、この現世=穢土からの来世における永遠の救済をさし示すような浄土信仰の深化を措いてなかったといえる》(p.202)

 集団的同一化にもとづく強烈な政治的行動と私的な感情への耽溺という原型の二面性は、明治時代の『明星』の歌にも流れている、というあたりも面白かった。

 平安時代の貴族の精神生活の変化に対応して、解脱宗教から救済宗教への転換にいたる先駆的役割を果たしたのが源信だった、というのが4章の結語。

[4 「末法」思想と歴史哲学]

 11世紀後半から12世紀末までの時代は摂関貴族の支配が武士によって崩れ、政治の中枢も東国へと地理的にも移動した。

 これは自然的生成のオプティミズムが知らなかった歴史意識であり、永遠普遍なるものと時間的・相対的なるものの分裂を自覚化したのが『愚管抄』。

 同時に王法的秩序への帰属意識がなくなることで、鎌倉仏教の「宗教改革」が発展する。

 こうした背景となった末法思想は隋唐時代の仏教学者によるものだったが、「三時観」は奈良時代の南都教団では知られていた。

[『愚管抄』の歴史哲学]

 慈円が実証したかったのは、正法から末法への歴史的下降が、日本歴史を通じていかに貫いているか。

 上古の冥顕和合の素朴さは歴史的発展とともに失われ、そもそも王法が仏法という普遍的超越者の支えなしには存続しえなくなったこと自体が末法的矛盾をはらんでいるとみる。

 『愚管抄』には「道理」という語が139回出てくるほどで道理史観と呼ばれる。

 原型的オプティミズムでは「すべてはなるようになれ」であり、儒教的天道史観では、矛盾している歴史的出来事は、あるべからざるものとして拒否される。矛盾の説明は、儒教的な現世的規範を超越した仏教を媒介として初めて呼び覚まされた。

 例えば、なぜ聖徳太子が蘇我馬子による崇峻天皇の暗殺を傍観したのか、という矛盾は、もし崇峻天皇が殺されなかったら、いったん仏法が渡来したのに、それに反対する物部守屋の天下となってしまうとして、歴史悪をたじろがずに直視できるようになる。

 また、歴史は全体として興隆と没落の波動を繰り返しながら下降線をたどるものとして描かれておりてい諦観性(歴史の必然性に対する屈服)があり、末法の危機意識を強烈な実践の発動と考えた新仏教や『神皇正統記』の哲学とは違っていた。

[隠遁の思想―「世間」と「王法」からの遁走]

 平安末期からの体制変革期には「すね者」的なdeclasse(自発的落伍者)または隠遁者が出てきて、非社会的な隠遁を美化する思潮が台頭してくる。

 しかし、超越者を志向する動機はいつしか伝統的パターンに回帰し、キタナキ心対アカキ心の対立となる。ここからは伝統的生活様式を変革するダイナミズムは生まれない。隠遁は、絶対者と個人が中間的な媒介なしに向き合うというプレリュードとなった。

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