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August 26, 2016

『丸山眞男講義録4』#4

『丸山眞男講義録4』丸山眞男、東京大学出版会

 ヤマト国家は血縁共同体の擬制などによって地方の氏族を統合したが、大化の改新の頃になると、慣習法的儀礼への依存から、命令の一元化を目指すようになってきた、と。

 しかし、天皇親政を意識的につくってみる試みは、初のものではあったものの、国司・郡司は地方豪族が形式的に任命され、系統的一元化は不徹底で、土着的豪族が生きつづけた、というのがサマリーになるでしょうか。

 大化の改新のパターンは日本史を通じて「天に代わって君側の奸をはらう」という発想としてしばしば出てくる、というあたりも面白かった。

 [第3章 統治の倫理]

[序説]
 統治の倫理は1)政治的首長と直属する臣下との相互関係を規律する倫理(たとえ世襲官職であっても、行政幹部として官僚制の内部関係も規律することも含む)2)人民に対する統治行為を制約する倫理(統治層の自己制約) 。

[儒教的政治観の介入]

 五世紀半ばには漢字とともに儒教古典が最高知識層には知られていた。

 記紀のうち、儒教的範疇の意識的使用が明白なのは書紀。

(1)統治の本質は人民の教化にあるという観念
 崇神天皇紀にも「民(おほみたから)を導く本は教化(をしへおもくる)に在り」とあるが、教化とは五倫(君臣、父子、夫婦、兄弟、朋友)の倫理を教えること。その中核的地位を占めるのは孝。孝は統治権力への恭順、政治的秩序の維持の基盤となるわけで、民の教化は統治者のインタレストと一致する。

 原型的思惟は統治者の権威に以下のような特徴を付与した。
1)超越的絶対者の不在は、政治的権威に対する抵抗権と革命権の思想的根拠の成立を困難にする
2)「神のもの」と「カイゼルのもの」との二元性がないことは「教会」「宗派」のほか、非政治的な結社(学問・芸術)の自律性、独立性の弱さにつながる
3)絶対唯一の政治決断者の不在は、君主に直属する政治権力に実質的に権力が移行するのを容易にする

(2)民本的徳治主義

 書紀の編者たちは、政治的国家の組織的・体系的な統一性を表現するためには、原型的発想では不十分であることが自覚されており、国家創業時や大化の改新時などに普天率土思想が接ぎ木され、抽象的な政治方針として掲げられる。
 仁徳と武烈の治世が対照的に記述されているのは、堯・舜と桀・紂の対比から連想されたもの。民本的徳治主義が禅譲思想にはねかえってきている。

(3)禅譲思想

 安康天皇、武烈天皇のケースでは、悪徳の皇太子から皇位継承権が失われるという考え方が出てくる。

 また、継体擁立の際には、中国の有徳者思想に加え、群臣合議による満場一致推挙という原始共同体における首長決定方式が橋渡しとなっている。

 その際、中国のような王朝の断絶ではなく、血統の断絶となった。

[大化改心から律令制にいたる規範観念と「原型」との統合]

 暴君や暗君を天下のために追放するという《放伐の思想は天皇そのものにたいして直接に援用されなかったが、天皇を囲繞する重臣・豪族の打倒を正当化するために現実的に動員された》(p.138)。

 この大化の改新のパターンは日本史を通じて「天に代わって君側の奸をはらう」という発想としてしばしば出現している。
 クーデター成功後、孝徳天皇は大樹の下に群臣を集め、入鹿討伐と天皇親政の趣旨を告げた。この儀礼は日本的「原型」にのっとって行われたが、宣誓の言葉は儒教からの直訳だった。

 そこには「諫諍」も取り入れられたが、それが生きた倫理となるのは武士的主従関係の結成以降となる。

 大化の改新は慣習法的儀礼に依存してきたヤマト国家が、命令の一元化など意識的な作為による制度づくりという発想を初めて現実の政治過程のなかに大規模に取り入れた試み。また、武烈天皇への非難にもかかわらず、法治思想も呼び起こされた。

 しかし、一度宣揚された天皇親政はまもなく摂関制に移行し、社会的基盤としては班田収受・公地公民制が荘園制によって腐蝕され、やがて土着的武家勢力の発展によって形骸化する。

 それはタテマエとしての天皇の公的伝統が、現実としての私的な摂関貴族政治に移行したとき、それが、土着的なエネルギーにもとづく、より私的な党(ともがら)的団結としての武士団の台頭には対抗できなかったから。

 中国的概念の「公」は「私」を断つものとして現れるが、日本の場合、公=きみ=天皇となり、オホヤケ(大宅)が天皇の私物であるという原型的価値体系を残存させつづけ、他方では、豪族の私有民である部曲(かきべ)を、国家の非人格的統治機構に組み入れて「公民」化するという、二重の意味を「公」はもった。

 また、国司は五教を人民に教え、礼にもとる者を罰すべく、その管轄する地域を巡行することになったが、それは《倫理の法律化ともいえる外観を呈していた。唐の場合のように、律令と礼の体系が二本立てになっているのではなく、律令そものに儒教的礼が組み入れられ》た。

 また、唐の県令は皇帝の地方官だったのに対し、日本の律令制における国司・郡司は地方豪族が形式的に任命されるのが原則であり、統治体系の系統的一元化は不徹底だった。

 《こうして、地方の氏族を統合したヤマト国家の成立過程の構造がそのまま強固に残存し、地方を基盤とした土着的豪族が依然として生きつづけた》というのが結語。

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