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August 07, 2016

『丸山眞男講義録4』#2

『丸山眞男講義録4』丸山眞男、東京大学出版会

 [第1章 思考様式の原型(プロトタイプ)]

[基盤]

 日本が島国であることの意味は、外来文化によって生活文化が滅びさってしまうには自足性と連続性が強いが、優秀な文化の刺激も受けやすいという二つの特徴を持つ。注意しなければならないのは

1)日本は歴史的古代から高度の民族的同質性を保持して今日に至っていること
2)牧畜段階がなく、一定の土地に定着した農耕社会から「有史」が始まっていること
3)基底は根本的変革を蒙らないが、上層はつねにその時代におけるもっとも先進的な文化と接し、テクノロジー・政治・経済制度がこれに適応して変化すること

 日本にはヨーロッパのような古典的・大規模な奴隷制が欠如していた。大規模奴隷制は異民族の征服と相関関係にあるが、これは種族的同質性も表現している。

 ヤマト国家は血縁ないし祭祀共同体から政治的権力への移行が、連続的移行の発展として現れた。

 ヨーロッパの封建制(Lehenswesen)は騎士の忠誠関係に対応して封土が賦与されたが、日本の封建制では武士団の氏的結合によって成り立っていた。

 日本の特殊性は同族的結合が資本主制への移行でも利用されたことでもうかがえる(現代でも会社への忠誠が強調される)。

 日本には執拗な持続性と急激な変化性の二重構造がみてとれる。

 こうしたことは日本人の発想方法そのものを制約している。

a)日本の思想史は「外来」→「土着」の不断のプロセスの歴史だった
b)あらゆる外来文化の受容は、既知のカテゴリーを媒介に、原物の歪曲・誤解として行われた

 ヨーロッパ文化はギリシャ文化の内在的発展ではなく、決断を通しての受容の結果として形成されたが、日本は根底まで変革を及ぼすような文化接触は受けたことがなかった。

 日本で国際感覚があるというのは外国の動きに敏感だということで、主体性と信じていたものが形を変えた鎖国主義あるいは絶望的悲観主義になりかねない。

[原型的世界像と価値体系]

 宗教のない社会は存在しない。いかなる社会も自然的事物の背後にひそむ超自然的秩序、精霊、神々、非人間的な観念を持っているという仮説を前提として、記紀など古代史文献から儒仏道教など大陸的思想の影響を除き、古代から持続的に作用している宗教意識を再構成できる。

 古神道と呼ばれるものは南方諸島、朝鮮、南アジア、中国北部と類似性を持っており日本独自のものではない。しかし、特徴的なことは、原初的な神話的観念が高度なイデオロギー的体系と融合したこと。

[災厄観と罪観念]

 呪術の段階では、呪術的手段を駆使する呪術者がタマ・カミよりも高位にあり、その権威が政治的権力の発生の一つの大きな根源となる。

 精霊信仰から神々の信仰への発展にともない、神々の超自然界は自然界から抽出され、宗教行為は、呪術による精霊のコントロールから、神々への祭祀に進化する。

 神意にもとづくタブーを犯すのは神との倫理的秩序を侵害することとなり、そこから罪の観念が生まれる。

 これは、精霊の住む世界と人間の住む世界を恒常的に調整する祭儀が生じるため。災厄は自分たちの行為に対する神々の怒りに帰せられる。道徳意識は呪術的思考から生じていった。

 日本の「原型」的思考様式の第一の特徴は、災厄の観念と罪(人間の責任)の観念とが長期にわたって重畳していること。災厄の観念は罪の観念の発展によって通常は消えるが、ヨシアシが善悪とも吉凶ともとれるように重なりあっている。

 本居宣長によれば「いわう」「うむ」は同義であり「斎」の字をあてた。

[原型における行動の価値基準]

 善悪は、外から自己の所属する共同体に福利や災厄をもたらすものであり、集団的功利主義的な価値基準を含んでいる。

 その一方で心情の純粋性という価値判断も存在し、行動効果を考慮した行動はズルイとされる。

 さらに、活動作用そのものを神化する傾向も出てくる。

 超自然的な力の背景に、そうした力を持つ実態(タマ)を予想することは神観念が生じる一般的プロセスだが、日本ではタマの働きそのものが神聖化される。ちなみに、多神間の相互連関から唯一神が生まれる。

 だからまつる行為に中心がおかれ、まつられる対象は重んじられない。

 倫理的規範性を持たない善神はたまには悪行をするし、悪神も善行をする。宣長は善玉・悪玉的人間観を「からごころ」として排斥した。

 こうした傾向は雄略・武烈天皇の記述にも反映されており、荒ぶるエネルギーを神化することは、律令国家を形成した時代にも生きていたことがわかる。

[生成のオプティミズムに貫かれた世界像]

 日本の原型的思考では、活動作用そのものに重点を置く見方が世界像に表現されて、世界像そのものが生成のオプティミズムに貫かれている。

1)自然的生産力による生成と育成が生と価値の本質であり
2)生成・育成・生殖を促進する方向が「よい」もの、阻害する方向が「わるい」ものという価値判断が生まれるが
3)それは自然な傾向として考えられ、神と悪魔、善悪の二元的対立のような格闘はない。こうした生成と生殖の原型的世界像は唯一神による創造という観念と好対照をなす
4)心情の純粋性が尊重されるのは、感情は流れるものであり、それがうるわしく「もののあわれ」があるから。逆に不動の規範は「やぼ」となる。儒教は夫婦の別を強調するが、日本は情愛を重視する。

[歴史像と政治観]

 村松武雄は、神話の特徴を、インド・ヴェーダ人は神話+宗教、ギリシャ人は神話+文学と社交、日本人は神話+歴史であるとした。日本の神話は神代と人代が系譜によって結ばれ、歴史的に接続したものとして描かれている。

 キリスト教的歴史観では、人間は一回限りこの世に生まれて神の計画に参加するため、その瞬間に永遠が宿っているとされるが(der Augenblick Ewigkeit)、日本の原型的思考では、永遠と現在は同一次元にあるので瞬間を享受する。古代インドでは時間は輪廻において考えられ、古代中国では永遠は宇宙的秩序の規則的循環とされる。

 日本では自然的時間の経過そのものが歴史であり、記紀も中国正史のような紀伝体ではなく編年体で叙述している。また、人間は歴史に対応はするが、働きかける主体としては観念されない。これは絶対者の構想がなかったから。

 進化論は中国において不変の宇宙的秩序の循環という思考の基礎を揺るがすものとして受け取られたが、日本では容易に受容された。

 また、マルクス主義も歴史の勢い=生産力の内在的発展という世界の大勢主義として受け入れられ、ユートピアの代わりに模範国家を見習うという学習主義に変容された。

 日本では出来事への敏感な反応、環境変化への対応が評価され(状況的倫理)、革命も否定するが、絶対的保守主義も否定される。また、復古主義も出てこないが、純粋感情の爆発としてのラジカリズムは生まれる。

 原始仏教的世界観では、業から脱することはできないというペシミズムが存在したが、日本はこれを瞬間の享受という楽天的態度に変貌させた。

 人類を基盤とした政治は存在せず、逆にいうと所属集団の特殊性を基礎とした普遍主義はない。日本では集団的レベルでの功利主義が行動動機となり、論理的価値より集団への効用が重視される。このリアリズム、マキャベリズムは戦術の次元では有効。しかし、日本の原型的思考は戦略的ではないため目標設定が苦手であり、新しい政治的目標を設定するようなイニシアティブは出にくい。

 日本は目標設定に弱く、目標達成には強い。

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