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July 26, 2016

『丸山眞男講義録5』#5

『丸山眞男講義録5』第3章「神道のイデオロギー化」

 《私たちは現在の中に生き、それは私たちにとって一刻一刻新しい『現在』となって再生されるのです。これが可能なのは、一瞬一瞬の時が永遠なるものに達しているからなのです。時の流れを私たちのためにせきとめてくれるのは、永遠なるものです》
(『永遠の今』、P・ティリッヒ著、茂洋訳、新教出版社)

 丸山眞男は1965年の講義を北畠親房の『神皇正統記』にEternal Now Theologyを見るような形で締めくくります。

 丸山眞男は「いきおひ」「なりゆき」が重要となり、太平洋戦争のような敗北にまで行き着いてしまう日本の「歴史意識の原型」がある中、《代下れりとて自ら卑しむべからず。天地の初は今日を初とするの理あり》という親房の言葉に、日本史にあっては珍しい現実に対する主体的な働きかけの姿を見たのかもしれません。しかし、それは親房が政治的には敗者であったことによって切り開かれた地平だったわけで、丸山眞男が永遠の課題としていてた「市民のエートス」の成りがたさを示しているのもかもしれません。

 それにしても、神道の思想史も丸山眞男にかかれば面白いもんです。例えば、吉田神道は、仏本神迹説を退け、外国から仏教を受け入れたにもかかわらず、神本仏迹説を言っているんですが、それは人種的・宗教的に同質性が強い日本では、昔から有機体の論理で説明する発想が強いからだ、みたいな議論が展開歴史されるんですが(p.285)、日蓮が仏陀より上みたいな日蓮正宗やそこから出た新興宗教のようなびっくり教義も、こんなとこからきて…とか思ったり。

 全体としては神祇の儀礼から一応独立した「神学」としての神道の形成(両部神道)は、教義内容としては、仏本神迹への完全な従属としてのみ可能であったが、それが、さきほどみたような本末転倒の夜郎自大的思考によって肥大化する、みたいな感じでしょうか。

 伊勢神宮外宮の度會氏によって、内宮と対等の地位に引き上げることを目的に書かれた『神道五部書』は太古から伝えられたと偽っていたが、江戸時代の吉見幸和による文献批判で偽書であることが暴露された。神道の神学はこの影響下にあり、偽書がそれなりに影響を持つ好例なんてあたりも笑えます。

 《今日の四限、空ているようなのでやります。昨日から体の具合が悪い。悪しからず》(p.283)とか《駆け足でやります》(p.289)、《私にとって講義はいつも憂鬱である。会心の思いで部屋に帰ったことはない》(p.302)のような、少し弱り始めた丸山眞男も感じられます。

[序説]

 日本思想史は中国の儒教と仏教の土着化にともなう様々なバリエーションの歴史とさえいえる、と。

 本居宣長も《もともと神道というものはなかった。それどころか日本には元来、儒教でいうような意味での「道」というものがなかった》と書いており、神道は神官たちが、儒仏に対する劣等感からつくりあげたものだ、と。
 もともと神道は「ことあげせぬ」ものだったが、長い神仏習合の歴史の後、江戸時代に入ると神道は仏教を離れて儒教と癒着するようになるなど、その時代時代の支配的なドグマに依存したものだった、と。

 丸山眞男のメモには神道の特徴として、以下のこととが書かれています。

1)善悪と吉兆との未分化。共同体的功利主義
2)呪術者と呪術儀礼が神聖な権威を持ち、対象は必ずしも神聖ではないが、タタリが畏怖される
3)やがてツミ観念が生まれるが、災厄とはっきり分化しない
4)カミは勢いのあるもので、「いきほひ」というエネルギーにおいて神格化される
5)生成(化生=ナリマス、生殖=ムスビ)と活動の賛美。死をケガレとする
6)有力士族神の皇祖神による系列化(血縁的結合)

[第1節 神仏習合の思想的過程]

 神祇信仰の対象である神々は、中国の「神」ではなく、新井白石のように日本の「カミ」はおそらく「上」だったろう、と。

 仏教からみれば、こうした神祇信仰の対象となった神々は救済の対象である六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)輪廻の衆生にずきなかった。これが本地垂迹説のもっとも萌芽的な表現で、神前読経も奈良時代には行われていた、と。時代が下ると仏に対する神々の地位が向上して菩薩号を授けることも(菩薩は利他的な行動をとるから)。

 本地垂迹説が形成されたのは平安末期から鎌倉初期だが、観念としては、このような長い段階を経て徐々に発展していった。また、神道の形成(両部神道)は、教義内容としては、仏本神迹という仏教教理への完全な従属としてのみ可能だった。

 本地垂迹の出典も仏典で、絶対真理の実在が本地で、その具現としてのシャカという歴史的人間を垂迹とするという内容。

[第2節 神道理論の発展]

 真言密教は絶対的でスタティックな究極的真理として法身を大日如来という名で人格化します。衆生を救済するにはあまりにも超越的なので阿弥陀仏などに化身してあらわれる、と。金剛界(精神界)と胎蔵界(物質界)を大日如来を中心として配するのが両部曼荼羅。

 本地垂迹の観念は土地とは無関係で、再興実在とその現実化たるシャカとの関係だったが、日本では本地=インド=外国で普遍的真理は外にあり、うちの神は特殊であることが強調される。これはキリスト教伝来時にも伝統となるが、その先駆けは伊勢神道。

[伊勢神道と『神道五部書』]

 伊勢神道は伊勢外宮の度會氏によって鎌倉時代に体裁を整えるようになったが、イデオロギー化された直接の動機は、外宮の祭神である豊受大神が、内宮の神であるアマテラスにオホヒルメノムチより神格が低かったのを押し上げようとしたのが動機。その際、日本書紀の「神代之巻」の宇宙開闢説を使った。

 その根本経典とした『神道五部書』は太古から伝えられたものとして聖書扱いされたが、鎌倉時代の偽作であることは江戸時代に吉見幸和によって暴露されたいる。しかし、根本経典を持とうとする試みが、日本の固有信仰の内部から出てきたことは画期的。北畠親房も伊勢神道から出たイデオローグのひとりであるだけでなく、主要な神道の諸流派の神学は『神道五部書』の影響下にあり《「偽書」がそれなりに巨大な思想的影響を及ぼす好例である》と。

[『記紀』の神典化と「大元神」の宇宙神学]

 『日本書記』を神典としたのもこの頃から。

 伊勢神道では混沌という大元から天(陽)地(陰)が部判し、五行(水火木金土)が展開するという形をとっている。

 水火木金土がお互いに呼び起こしていくプロセスをみるのが「相生説」で、水は火に勝つなど循環を唱えたのが「相勝説」。「相生説」は吉凶の呪術と結びつき、「相勝説」は中国王朝の更送を合理化する原理として流行した。日本でも奈良時代に流入して、天武天皇の時には陰陽寮が置かれた。平安以降は、地方の寺社にも陰陽師が置かれ、「みそぎ」「はらい」の役割を果たした。

 伊勢神道が五行説を援用したのは神仏習合の儀礼の中に取り入れられていたからだが、さらに宇宙神学を構成し、一神教まで高めようとした。古代人の宗教観念は自然信仰と多神教であるため、記紀では原初神が分裂した記載になっているが、度會家行は、強引に豊受神を天御中主神あるいは国常立尊と同視して「大元神」とした。伊勢神道が神国思想と不可分な形で一神を立てたことは、江戸時代の神道まで影響を与えた。天皇と皇祖が宇宙と世界の本体につらなる絶対信仰の対象とされる途が開けたから。古代日本では天皇は信仰や礼拝の対象とされたことはなかった。

[「正直]の倫理学

 伊勢神道の第二の思想的意味は、祭儀中心なので倫理的教説のなかった神道に「正直」を重視する倫理的教説を付与したこと。

 その際、客観的規範の厳格な遵守、もしくは真っ直ぐな妨げられない実現を意味する正直がニュアンスを変じ、純粋に内部的なものの発露という動機が基本徳なっていった。比較考慮が不純とされ、結果がどうあれ純粋な動機から出ていれば是認する傾向も、こうした古代的価値判断に由来している。そして正直のシンボルを三種の神器の「鏡」に求めた。鏡は内部に一物をたくわえず、万物をありのままに映すから。

[「天孫」統治と「神国」観念の結合]

 神国観念は、神道の狭義の政治思想の伝統の中核をなした。

1)神国観念を伊勢神宮に結びつけ、全国の神社を伊勢を頂点に系列化
2)天孫降臨の神勅と、それに基づく天皇の世襲的統治の伝統を置いた

 神功皇后は卑弥呼のようなシャーマンとして描かれているが、それは天皇氏がシャーマン的統治の伝統を持っていたという記憶が対外戦争で呼び起こされたもので、それが神国という言葉に結晶された。しかし、記紀神話においても原始的な呪術的信仰から幽冥の世界の神々の声を聞くための祭礼への進化が現れている。その際、神々に礼拝して冥助を願った。こうして神々はシャーマンによっていつでも呼び出せる身近な存在から、皇祖の祭儀の対象であった天つ神として遠い存在さなる。

 日本を加護する「神明」は神仏・神儒習合の下に、皇祖神、天神地祗、天帝、盧舎那仏その他諸仏を広く抱合して用いられが、神明が不特定多数だったことは、政治的意味を賦与するのを困難にし、朝廷や摂関家はその加護を独占できなかった。それが一定の政治的役割を持ったのは元寇で、日本の神々のもとでの団結を求める必要から古代的「神国」が思い出されてリバイバルした。ちょうど、これと同時期に伊勢神道が体系化された。

 推古朝までに皇室が直接に祭祀の対象としたのは1)自然神2)天皇家に統合された原住民の神々(大物主神、大国魂神、大三輪神、出雲神など)が中心で、記紀が編纂された天武朝まで天皇が伊勢に参拝したという記事はない。

 『神道五部書』の煩雑な教理がどこまで理解されたかは疑問だが、本地垂迹という観念が普及していたので、漠然とした観念として広まった。

 神明の加護する神国という観念は元寇のような対外的危機には団結のエネルギーを調達できるが、国内統治には役にたたない。朝廷、公家、武家がそれぞれの守護神に祈願するから。北畠親房の神国思想は、天孫神国と加護神国を「正統」思想を導入して結びつけた。

 伊勢神道に次いで、有力となったのが唯一神道(代々神官の卜部家の姓が吉田なので、卜部神道、吉田神道とも)。足利義政の知遇を得た吉田兼倶は、外国から仏教を受け入れたにもかかわらず、仏本神迹の習合を180度ひっくり返して神本仏迹説を言っている。それは「種子から枝葉が生長し、花実が開き、花が落ちて根に帰る」という論理。人種的・宗教的に同質性が強い日本では、本来、内在していたものが顕在化するというような、有機体の論理で説明する発想が昔から強い。

[第三節『神皇正統記』の思想的位置]

 日本では、歴史哲学を展開した史論が『愚管抄』『神皇正統記』『読史余論』『日本政記』など少ないままに明治維新を迎えるとして、『神皇正統記』を最もすぐれた神道の書とします。

 日本古代の神話的世界像において永遠は、時間がノッペラボーに伸ばされたものだが、この時間観念からは、瞬間をエンジョイしつつ「なりゆき」「いきほひ」で動いていく態度が支配的となる。

 親房は「天地の初は今日を初とする」という瞬間の創造論理を生み出し、主体的な働きかけを論理化しようとした。『神皇正統記』は現実には影響力を持たなかったが、失敗した思想的著作が巨大な傑作として古典になる例となっている。

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