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July 14, 2016

『丸山眞男講義録5』#3

『丸山眞男講義録5』丸山眞男、東京大学出版会

印象的なことは

1)東国では律令官職(検非違使、大掾、押領使)の世襲化傾向も強く小山、千葉、三浦は平安末期には現在の地名にも名を残す大豪族となっていた

2)武士社会が先祖を仰ぐ祭祀共同体(共祭・共墓)である点は氏姓制の伝統を引いており、平氏、源氏、北条氏、足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏という氏の交替で表現されるのは、古代的要素の連続性を残す

 あたりでしょうか。

 また、ルターの聖書翻訳の部分に続き、養子縁組制度でも「あれ?記述が間違っている?」という部分がありました。


『丸山眞男講義録5』第2章「武士のエートスとその展開」第1節「初期武士団の発生と構造」

 封建的結合は主人と従者の人格的な保護・服従関係として成立し、古代帝国の内部に地方的割拠性がつくり出されていく過程を封建化(Feudalisierung)と呼ぶならば、治安の悪化によって同族の生命財産の安全保障を自力救済→自己武装化に俟たなければならないような状態の時に進行する、と。

 その際、地方官吏の官職が世襲的特権化する方向と、土地の直接的経営者が士豪として成長するという《公職の私権化と、私的支配の公権(政治的統治権)化との二重進行が、封建化を特徴づける》と。

 一方、中国では地方的名望家による官職独占は阻止されたので、帝国行政に対立する領邦君主や封建領主の発展は見られなかった、と。

 大名とは、大きな名田の名主の意味だが、武士=名主の発生経路は
1)律令体系における地方官あるいは受領層
2)荘園の荘官、とくに寄進系荘園における下司・公文層であり重畳している場合が大きい

 また、地方ごとにみて見ると
1)畿内は国衙領と荘園領が錯綜していたので土着豪族が私領を一円支配していく条件に欠けていた。在地領主は律令体制下の諸職と荘園の下司・公文を兼ね、朝廷や公家・大寺社の武者、舎人になっていた。この伝統が楠氏を生む。
2)東国は荒地や未開墾地が多く、武力によって私領を守り、拡大する可能性が高い。律令官職(検非違使、大掾、押領使)の世襲化傾向も強い(小山、千葉、三浦)。こうした総領を頂く大豪族団と、小さな受領層との2タイプがあった。
 鎌倉幕府創立による中世の開幕は、一種の辺境革命のモデルとみなされうるかもしれない。
3)西国は畿内と東国の中間型で、東国武士団の移住も多かった。

[内部構造]

 東国武士団の内部構造は一族・一門といわれる同族的団結と、主従の恩給的(封建的)結合との、二要素の統一体。先祖を仰ぐ祭祀共同体(共祭・共墓)である点は氏姓制の伝統を引き、ヨーロッパ騎士団と区別される特徴に。

 武士社会は古代と中世を分かつメルクマールであり、古代的結合の直接的延長とは見なし得ないが、それでも、平氏、源氏、北条氏、足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏という氏の交替で表現されるのは、古代的要素の連続性を示す。

 ちょっと疑問なのはヨーロッパ封建制は養子を認めないが、戦闘力拡大を第一義とするから擬制的父子関係を設定するというあたりの、《律令は他人を養子にするのは禁止。武家では設定》というのは間違いではないかな(p.62)。摂関家でもやっていたし。

 所領を失ったものは駈催するに能はずという御成敗式目の規定はヨーロッパにおけるレーエン(封土・領地)主従関係と似ている(忠義義務に対しLehenが設定され、それは占領するものとして与えられるから)。

 しかし、これが江戸時代になると職務として俸給を与えられ、家産官僚になっていく、と。

 以前も別なところで引用しましたが、「プフリュンデ封建制とレーエン封建制」については以下のような引用がありました(p.65)。

 Lehen(封土)とPfrunde(俸禄)の相違(移行を前提として)
 P.はP.保有者の現実または擬制的勤務にたいして、非世襲的ではあるが、終身与えられる報酬である。それは人ではなくて職務に与えられる点、P.保有者がこれを自分の権利ととして占有するのではなく、Nutznießer(用益権者またはレンテ[Rent 利子・地代]取得者)にすぎぬ、という点で、むしろ官僚制官吏に近い。
 職務支出は原則として自弁でない。完全に自弁を免除されるか、あるいは所得の一定部分が職務支出用として確保されている。
 Lehensmann(封臣)はレーエンの保有を―主君との契約的誠実関係の存続を前提として―世襲的に保証され、それは官職でなくて、彼個人に、彼の占有する権利として与えられる。したがって、行政・軍事勤務の負担は自弁である。彼と主君とは、一切の家産制的隷属関係から自由な、誠実と献身の契約関係であり、それは義務と名誉の法典で規律される。(cf.『支配の社会学』訳II、303頁)

『丸山眞男講義録5』第2章「武士のエートスとその展開」第2節「武者の習」もしくは「弓馬の道」(弓矢の道)の形成

 武士団は特殊な戦闘者集団として、単なる暴力集団や武勇に秀でたものからも弁別するメルクマールはマナーと生活規範だった。そして、組織された行政官僚へと変質していった程度に応じて、武士のエートスは一定のイデオロギー的教義にまで理論化されていった。

 しかし、上層レベルほど古代国家の価値体系への依存度は強く、それは愚管抄に記載されている頼朝が平広常を誅殺させたエピソードからもわかる(広常は頼朝挙兵の立役者だが、関東の朝廷からの自立を望んでいた)。

 また、原初的な戦闘は一騎打ちの集合体で、指揮官に統率された攻撃を鎌倉御家人が経験したのは蒙古襲来だった。それは個人的な英雄戦が決定的役割を果たし、個人の武技を個別的に完成させることを目標においたヨーロッパの騎士と似てる。両者では遊戯が真剣で重要な仕事という役割を果たしていたのも似ている。それは自己主張でもあった(ウェーバー)。しかし、徳川時代には贅沢として否定されるが。

 武士のエートスの内容・構成要素は

イ)強烈な名誉感と自負心

 献身と服従も、この名誉感に裏打ちされることによって自発性を得、奴隷的屈従とは異なったトーンを帯びる。名誉感と忠誠心の結合が、その生活態度と階級的特性を決定するものとしてウェーバーもこの特徴を挙げてる。

 また、名誉感は対外的な名声と、内心の自尊心も生む。内面の自尊心は独立自由人の個人主義となる。

 中華帝国において名誉を独占していたのは士大夫もしくは読書階級だった。少数のものは山林隠逸したが、《隠逸にはヒガミと悠々自適の両面があつた》。また、読書人の矜恃と名誉感を支えるものは古典の教養で、それはニーチェの言う「距離のパトス」が教養対粗野という形において現れる(距離のパトスはアリストクラシーを説明した言葉)。

 中国的価値観では一芸のみに秀でることは人格的調和感に抵触するのでさけられたが、これは近代において専門官僚制を採用するにあたって、日本の有利な点となったる

ロ)主従の「ちぎり」―〈―あるいは「なさけ」〉

 武士の恩給制はヨーロッパ封建制に比べて、対等性と双務性が希薄で、課長的恭順の色彩が強いことは「原型」の制約性を示しているが、大きな集団を形成しえたのは特殊な主従的結合の契機に求めなければならない。それは直接的・感覚的な人格的相互関係。恩は主人のほんの些細な思いやりの行動や信頼の表示で足りた。それは株式会社の擬制資本のように、恩賞の物的資源に数倍する忠誠を引き出し得た。

 明治政府は西郷隆盛が西南戦争でとった「士は己をを知る者のために死す」という武士のエートスの中核をなす原理を否定し、直接的な人格関係に基づく信義観念を否定して天皇ほの忠誠に集中させなければならなかった。

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