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May 25, 2016

『丸山眞男講義録6』第二章「キリシタンの活動と思想」#2

『丸山眞男講義録6』、丸山眞男、東京大学出版会

第二章「キリシタンの活動と思想」#2

 十六世紀半ばにキリシタンが渡来してから急激な普及と完全な禁圧まではほぼ一世紀。《思想史との断絶が、これほど甚だしい例は世界史の上でも稀であろう》(p.50)。

 日本にとってキリシタン・バテレンの渡来は「西洋」一般との最初の出会いであり《キリスト教を西洋的世界とほとんど等視するイメージは遠くここに由来している》(p.52)。とはいっても当時、軍事力や文化水準でも決定的落差はなかった。

 日本におけるキリスト教の布教が混沌として変動したのは、世界史におけるイギリス、オランダの登場が重なったから。そこにポルトガルをバックにしたイエズス会と、スペインをバックにしたフランシスコ会というカトリックの中での紛争も加わった(p.59)。

 イエズス会は軍隊的組織で、12~15年の修練を経て初めてIrman(イルマン)になれ、さらに一定の修学を経て、信仰堅固なものがPadre(パードレ)に叙せられた。この言葉は、そのまま日本語として通用した。また、ザビエルが日本布教を重視したので、第一級のパードレが日本には送られた(p.61)。

 こうした条件のほか、キリシタンの布教が急激に進んだ背景には、日本の状況がカオスだったから。近世の大名は守護大名から継続された者はほとんどおらず、仏教では男色の横行していた(p.62-)。

 パードレは堕落した仏教に対抗し、しかもその打破を目指す信長からも歓迎された。ロヨラは信長が《多数の大なる寺院を破壊し、多数の坊主を殺し》と興奮して伝えている(p.65)。

 信長以外の戦国大名も天文学や気象学の教授を喜んだが、これは太陽も月も神ではないという自然信仰の打破にも役だった、と(p.68)。

 戦国時代が長く続いたことで、下層の民も道徳的な渇望を感じていたし、キリスト教の精神は武士のエートスとも結びついた。一夫一婦制を大名にも厳格に求めたことは、女性の入信者も増やした(p.73)。また、日本語の教義書は読者として武士を想定している(p.77)。イエズス会も《かなり高度に発展した異教文明と対決するということの重大さ》を認識していた(p.78)。ただし、仏教との対決などの書は《経過の記述が多く、思想内容に立ち入るものは少ない》(p.79)とのこと。

 宣教師たちのアリストテレス哲学の諸範疇を駆使し、ルネッサンス時代の天文学的知識を加えた精緻な論議は、神道や仏教とは比較にならなかった(p.83)。日本人転びバテレンのハビアンによる「単なる生殖行為の象徴化」という神道批判は、昭和期に公表したならば発禁になるような鋭さを持っていた、と(p.86)。

 ハビアンの鋭さは《仏陀が示した本来非人格的な真理認識(悟り)の契機と、菩薩の人格的な衆生済度の契機とを統一しよとするところから生まれた教義》と仏教を批判しているところからもうかがえる(p.106)。

 こうした批判を受けて平田篤胤は《むしろ逆に何の道理もない一見浅はかな性行為こそ人間の本性の現れであり、人の真心のこもるところ》として価値を逆転させた(p.86)。

 しかし、現世肯定的な日本人に最も理解されなかったのは原罪と「悪への自由」を含む自由の概念。ハビアンも《人間が自由意志で堕落したこと、そこから人間の責任が生まれること、神が悪の自由を人間に与えることを通じて人間を救済すること》を強調している(p.92-)。

 《日本思想史上にいまだ嘗て知られなかった「自由」の概念が、ここで初めて登場し》(p.94)、厳しい倫理性と結びついた救済の思想は強く日本の民衆に訴えたが、同時に現世的なオプティミズムには耐えがたい重荷と映じた(p.96)。そして、見えざる権威を否定することは、権力に屈することになった、と(p.100)。

 それでも強烈な弾圧でも非転向を貫いた比率は昭和のコミュニストより多い(p.101)。

 領主の苛烈さも原因にあり、大阪方の浪人も加わったとはいえ、十万人以上が最後まで抵抗した島原の乱は《たとえ時代は短くても、唯一の見えざる神への絶対忠誠という理念がかほどまでに根を下ろしたことは驚異といわなければならない》(p.103)。

 外国謀略説がキリシタン迫害を促進したのは鎖国以降で、禁令後も秀吉はフランシスコ会と謁見している(p.110)。すでに日本はシャムに銃を輸出しており、物理的に侵略される恐れはなかった(p.111)。

 仏教は現世超越的な信仰を守る意味からキリシタン弾圧に対抗しようとはしなかった。現世を厭離するという本質を積極的に守らなかったため、仏教は現世を否定し君父を軽んじる教えだという幕末の神道からの廃仏毀釈論の根拠にもされた。

 日本的寛容さとはよくいわれるが、キリシタンと戦前のコミュニスト禁圧で、その残忍性は露わになった(p.117)。

 それは《雑信の伝統への反逆に対する不寛容》(.118)。

 信長や利家は一向一揆に対して皆殺しで応じたが、真宗はももともと寺院制(僧俗の分離)の否定に立っていた。一向一揆も第一義的には崩壊した荘園の経済的支配ではなく信仰共同体の団結維持だった(p.121-)。

 こうして仏法の王法への従属が決定的となったが、権力は超越的権力との緊張関係を失う結果となる(p.123)。

 家康は一向宗を領内で20年間厳禁したし、徳川幕府成立以降は、キリシタンと日蓮の否受不施派も取締りの対象とした(以下は個人的な感想。幕府は否受不施派に対して道を歩いて水を飲むのも国主の供養であるという「土水供養令」を展開して圧倒的な現世権力の優越性を示そうとしたそうですが、こうした日蓮宗の苛烈さは、日蓮正宗や創価学会のバックにあるのかもしれません)。

 とにかく、本願寺と門徒はまったく牙を抜かれ、檀家制によって仏教は個人信仰ではなく、家の宗教となり社会的自主性を失った、とれ(p.126)。

 《学問の自由、思想の自由の観念は信仰の自由から発した》ものだが、それが泰平と引き替えとはいえ250年間失われた結果、《異なった価値基準に立つ自発的集団》も日本の社会から失われた意味は大きい、みたいな(p.127)。

 日本は世界史上稀なほど早く世俗化=近代化を果たしたが、それは普遍者へのコミットメントを伝統としないものだった、と(p.128)。

 《このことは、第二の開国、明治近代にわたって、日本の思想文化に見えない形できわめて大きな刻印を押す結果となった》(p.130)ということで、第三章「幕藩体制の精神構造」につながります。

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