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April 06, 2016

『おひとりさまの最期』

Ohitorisama_saigo

『おひとりさまの最期』上野千鶴子、朝日新聞出版

 社会学者というのは調査報道にたずさわるジャーナリストのような一面、しかも、かなり主観的な側面を持ち合わせると思うのですが、上野千鶴子さんには、特にそうした資質を感じます(ポジティブな意味で)。

 上野さんのおひとりさまシリーズは『おひとりさまの老後』で感心し、『男おひとりさま道』では自分のライフスタイルを少し見直したんですが、三部作の完結編となる本書のタイトルはズバリ『おひとりさまの最期』。

 ちなみに『おひとりさまの老後』をサマリーすると、本当に自分が望む介護は金では買えないし、家族も最期まで気持ち良く面倒をみてくれるとは限らず、老後のクオリティは自分がメンテナンスしてきたすべての交友関係などのnetworkで決まる、みたいな感じ。印象的に残っている言葉は「個室を経験した身体は、もとのように雑魚寝文化へは戻れない」(文春文庫版、p.85)。最後の最後にカーテンいち枚で仕切られたような大部屋に押し込められたらつらい…みたいな。

 『男おひとりさま道』のサマリーは、男おひとりさまの生活は「女っ気」がなければ潤いが生まれない、みたいな感じでしょうか(法研、p.93)。印象に残っているは、女性の輪に入っていけた場合でも、自分の特技やノウハウは相手から要求があったときにだけ発揮すべし、というアドバイス(p.195)。《必要もない能力をひけらかしても、イヤミなだけ。要求があったときに発揮すれば、重宝がられるし、頼りにされる。「男のひとがいるって、いいものね」と、大事にもされる》と。

 老人施設は死体にならなければ出られない「出口のない家」のようなゾッとするところが多く、民間の高額な物件でも倒産リスクを抱えているというあたり。なので、持ち家をバリアフリーに改造して、ヘルパーさんに来てもらうという選択肢を勧めています。

 そして完結編となる『おひとりさまの最期』では、いよいよ、どうやって、その持ち家で最期を迎えられるかという問題を扱います。上野さんが理想とするのは住み慣れた家での「在宅ひとり死」。

 なにせ、東京都港区のデータで1000人のうち「生存子」がいるという答えは04年の段階で5割を切っているんですから。さらに高齢化が増えると子が先立つ「高齢逆縁」も増え、パートナーがいる場合でも、熟年離婚やいずれどちらかがなくなることで「おひとりさま」になる可能性が高くなる、わけですから「おひとりさま」がひとりで最期を迎えるというのは大きな社会的な課題でもあるわけです。

 その場合でも、女性の方が貧困率は高いという別な問題はありそうですが、運良く夫と添い遂げれば、かなり違ってくるそうです。

 離婚で年金を分割しても最大1/2、それより夫を看取って遺族年金3/4をもらった方がずっとよい、と。しかも団塊の世代は日生のおばちゃんが活躍していた時代で、失われた20年を持ちこたえられたら夫の死亡時にまとまったカネが入る、と。これは妻の退職金だというわけです(p.66)。

 そして、目出度く「おひとりさま」となった後、最後に残るのが最期をどう迎えるか、という問題。

 この中で、上野さんは、病院での死を迎えることが一般的になりつつある現状に疑問を呈します。本来、病院は「キュア(治療)」の場、在宅は「ケア(看護・介護)」の場。病院は死と闘う場、在宅は死を受け容れる場であるはずだ、と(p.80)。

 その場合、特養などの施設は特に、大都会では建設・維持費が高すぎて、運良く入れた人間と入れなかった場合との差が多すぎて公平性にかける、と。財政難の地方自治体にとってはもはやムリな選択肢となっているわけですが、いまや女性の持ち家も遺産相続などで高くなっているため、これを使わない手はない、と。「女三界に家なし」といわれた時代ではなくなった、と(p.66)。

 生まれるのも死ぬのもひとりではできません。生まれたときには、産んでくれた母や父がいるだけでなく、助産婦さんやお手伝いの親族や縁者たちがいました。死ぬときも、ゆっくり死に向かう道程を、共にしてくれる介護職や看護職、医師たちがいます、というあたりは説得力あるな、と(p.157)。

 05年の頃、ぼくが老後を意識しはじめた時に、最初に出会った本は『高齢者グループリビング「COCO湘南台」 10人10色の虹のマーチ』西条節子でした。

 ぼくもグループホームをつくろうかな…なんて空想したこともあったのですが、仲たがいや、入居者が痴呆になった時の決断、月々の料金が払えなくなった人への対処などは、とてもじゃないけど自分には荷が重すぎると思うようになりました。

 上野さんが「COCO湘南台」で聞き取り調査したところ、10人ぐらいの定員で男は1~2人が最適容量とされているようです(『男おひとりさま道』p.111-)。とにかく男が老後に「女っ気」のある生活を確保するのは大変です…。

 グループホームCOCO湘南台へ上野千鶴子さんは96年の建設時から一年に一度訪ねているとのことですが、上野さんのグループホームではなく自分の家で最後まで過ごすという考え方はこうした実践から導き出されている感じがします。

 しかし、「COCO湘南台」と西条節子さんによる「福祉 for Myself」という発想には教えられるところ大で、いまでも感謝しています。

 どういう死に方をするかは、どういう生き方をしてきたか、ということにほかならず、50代で逝った竹村さんという友人の例をあげながら、ガンとなった後チーム竹村というバックアップチームを友人たちでつくりあげ、最期はホスピスで逝った彼女をうらやむヒマがあったら自分でも「人持ち」になるための努力をしましょう、というのが上野さんの三作を通じた結論でしょうか。人間関係は天から降ってくるわけではありませんから(p.183)。

 何回も書いてきたことですが、ぼくが00年代に読んで一番印象に残っている本は"bowling alone: The Collapse and Revival of American Community"Robert D. Putnam, Simon & Schuster, 2001。そこで語られていたsocial capitalについて、邦訳が出てからも、小難しい理論ばかり語られていたけど、それって上野千鶴子さんが言うように、友だちってことですから(p.183-)。

 そして友人のネットワークは種をまいて、水をやるなどコストをかけなかければ育っていきません。

 終末期にある人からの「死んだらどこに行くんでしょうね」「さみしいわぁ」という言葉は、答えを求める問いではなく、つながりを求める呼びかけというあたりも印象に残りました(p.266)。

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