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April 23, 2016

『丸山眞男講義録7』#1

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『丸山眞男講義録7』丸山眞男、東京大学出版会

 これまで親しくさせてもらっていた経営者のうち、「自分は丸山眞男主義者」と語っていた方がひとりいました。「どこらへんが好きなんですか?」と聞いてみたら「講義に出ないと、あの無限とも思える知性は感じられない」と正面からは答えを聞けなかったんですが、今回、最終講義を含む『丸山眞男講義録7』を読んでみて、なるほど、確かに面白かったろうな、と感じました。

 ヘーゲルの『法哲学講義』では「流行の服を着るのは理にかなっている」「みんなのやっていることにしたがうのが賢明」「偶然に生じる変化にもそれなりに意味があるのです」なんてことまで語っているのに、『哲学史講義』では「服などは目立たないものを着ればいい」みたいなことを言ってたな…とかブレる雑談も楽しい。

 学術論文としては書けないけど、講義で言うぐらいはいいか、みたいな感じで、すこし専門外のことも語ってしまうあたりも楽しい。『丸山眞男講義録7』では認識論を語っているところがあります。

 認識とはものにたいする主体的関与であり、意味付与によって1回かぎりのイメージ体験は抽象化される。動物は経験を交換できないけど、人間は会話によってイメージを交換できるし、文字によって空間だけでなく時間的にも伝達できる。しかし、こうしたイメージを媒介にする「想像力」による意味付与は不幸の源泉でもある、なんてあたりは講義録ならではの楽しさ(p.40)

 《空間とは何かと問うて哲学は始まった》なんてあたりも(p.43)。

 毎ページ面白すぎるので、いちいちTwitterに引用して、あとでまとめるのはやめようかとも思ったんですが、あまりにも素晴らしいので、読書ペースは落ちましたが、やってきました。

 人間は非日常的な出来事に遭遇すると環境との間に再調整を図る必要が出てくるから、大震災みたいなのが起こると、色々考えるんだな、なんてあたりも、東日本大震災に続く熊本地震が発生すると「なるほどな」と思います。

 出来の悪い小生ですので、もし仮に間に合ったとしても、丸山眞男ゼミなどには入れるはずもなかったわけですが、それでも、7巻の講義録があれば、少しはその雰囲気を味わえるということで、考えてみれば、こんな豪勢なことはない。ということで、しばらくは講義録を読んでいこうと思います。

 ぼくが浅学非才すぎて、読書量も足りなさすぎるのは自覚しているんですが、あまり話題にのぼってこなかったように思うんですよね、この講義録は。というか、みんな、勝手に読んでは密輸入して、さも自分の知見のように語っているようなケースが多いんじゃないかと邪推したりしてw

 ということで、今回は長谷川宏先生が『日本精神史』を書くモチベーションを得たと思われる7巻第1章の「歴史的前提」を、例によって箇条書きで。

 日本の一望の元に見られる様々な景色、熱帯型と寒帯型が合わさった気候に地震などの天変地異が加わることによって生まれる気質は《熱帯型の無気力な諦観でもなく、寒帯型の気の永い辛抱強さでもなく、時々やけをおこすことを通じての忍従。「戦闘的恬淡」「変化において持続する感情」》を生み出す、と(p.16)。

 オリエント・エジプト文明のイギリスへの西漸と、中国文明の日本への東漸をパラレルにみる捉え方もあるが、イギリスは原住民を自分たちの祖先と考えておらず、古典はグレコローマンだと考えているが、日本は海峡が広いためか、記紀を古典としている(p.17)。

 ヨーロッパはルネサンス、宗教改革、市民革命など歴史的同時性があるが、日本は中国から影響を受けるが、仏教、儒教のルネサンスというべき宋学も五世紀ぐらい遅れており、同時性が始まるのはアヘン戦争敗北のインパクトがあった19世紀以降となる(p.18-)。

 《日本の特異性は、同質性を保ちつつも常に世界最高の文化から刺激を受けつづけてきたこと、高度な大陸文化の適当な刺激を受けつつ、しかも同質性を保った点》であり、もし中国からの刺激がなかったら、日本はマーシャル・カロリング諸島のように文化人類学の対象だけになったと(p.26)。

 『丸山眞男講義録7』は1967年の講義録ですが、発刊は98年で、これ以降、大陸からの程よい距離感みたいな論点が広まった気がします…。にしても存命のうちに刊行されていたら、日本が西南太平洋諸島のように絶海の孤島であったら、文化はほとんど停滞して未開社会のモデルになっていたというのはカットされていたんでしょうかね。

 日本は完全な閉鎖的自足性を維持するにはあまりに高度な外来文明の刺激を受けやすく、民族的同質性が破壊されるには大陸から遠い距離があるという両要素は、全体として開かれた等質的共同社会となって結実するが、内部では「派閥」をかかえる、あたりも素晴らしい(p.27)。

 日本はベルグソンのopen societyとclose societyという分類が難しい。外に対しては開かれているが、内部では集団相互間の閉鎖性が著しい。(p.28)。

 (日本人は)極限状態がないから、集団との依存関係があり、その上に乗って生活している面が強い。いざとなればそこへ逃避できるという保証を背景にして、その上で相争ってきた〈捨てる神あれば拾う神あり〉。絶対的なアナーキー下における個人の絶対的孤立は想像しにくい(p30)。

 個性の自覚化が進んでいないことからして、ギリシャにおけるポリスの解体期や漢帝国よ解体期にうまれたコスモポリタンな生活態度、竹林の七賢人や「遊仙窟」、あるいはディオゲネス的なるものは、日本思想史上に見出すのは困難である(p.30)。

 通奏低音の形成を図式化しているのは31頁。

 日本史で、こんな大きな見方はできなかったなと思うのは、ここらあたり(p.33-)。
大化改新=畿内における小氏に対する支配強化と遠隔地における既存勢力の国司・郡司としての取り込み
応仁の乱・文明の乱=律令制に終止符
江戸幕藩体制の成立=荘園の完全な消滅

 大化改新は物部氏のような大氏を打倒するため、公や天下の概念を中国から入れたが、中国とは異なり、公はキミであり、天下はイエだった。また、地方の伝統的支配勢力を中央が取り込むことで新しい権力が地方まで浸透するというパラドキシカルな関係は明治維新と同じ(p.34)。

 養老年間に班田制の崩壊が始まり、世襲的摂関制を上部構造に荘園制が生まれる。国司は封禄化して地方豪族、武士に。新しいものが古いものの上にのって成長発展していくので、体制の切れ目がはっきりしないのが特徴、と(p.35)。

 平安末期になると、氏の名に地名に淵源するものが多くなるのは、氏を異にしていたものが共同の氏神をまつり、擬制血縁共同体としての同族団を形成するようになったから。氏子という名称の出現は十三世紀頃だ、と。
 人間は意味のない世界を生きることはできないと先に述べたが、これを別のことばでいえば、「宗教」のない世界で生きてゆくことはできないということである。ここで「宗教」とは、特定の宗教の教義や「宗派」ではない。世界にたいする人の意味付与の最初の試み(p.51)。

 個別的疎外は個別的に救済されたが、宗教の合理化プロセスの中で個別的意味付与は体系化されて世界像が成立する。この時、俗世界の罪悪性の意識に到達し、終末論とともに人類の新たな再生と救済の観念を生む(p.57)。

 現象の背後に本質をみることは、まったく日常性の世界には起こりえない。こういう思考を発生させたのは出身であり、これがやがて形而上学の基にもなっていく(p.52)なんてあたりも、あまりにもクリアカットなすぎる議論といいますか、丸山眞男主義者の気持ちよさがわかるようなとこです。

 かまどの神とか、へっついの神とか日本の場合は特定の場所に特定の祭儀が呼応する。聖なるものが多様で、場に応じて祭儀も使い分けられる。これが日常の次元に翻訳されると場に応じた行動様式の使い分けとなる。日本人の雑信の最も深い根(p.60-)。スサノオが高天原では暴漢だが、出雲では英雄的行為を行うというのは、シチュエーションごとに違う性格を持つというのも当たり前だ、と(p.61)。しかし、共同体のタブーへの侵害は厳しくとがめられる、と。現代のように…。

 仏教渡来前の日本の原型的宗教観ではヨミガヘル〈ヨミの国から帰ってくる〉可能性が前提となっている。黄泉国は現世と空間的に接続しておりイザナギもヨミの国にイザナミを訪ね、腐敗した姿に怯えて、その堺に道祖神のような千引の石を置いた。仏教はこうしたキタナイものとしての死の嫌悪という日本の原型に、葬儀で橋頭堡を築いた(p.70)。

 記紀神話を見ても生のオプティミズムと、勢を重視する原型は、歴史の中に「タマ」=生命=エネルギーがあり、内的必然性を持って発展するという歴史観を日本人に与えるようになり、実は唯物論の受容にも深い背景となっている(p.74)なんていうあたりも渋い…渋すぎる。

 日本人の「勢」を重視するという発想は国際政治でもリアリティックな状況判断より「世界の大勢をみて態度を決定する」という形になる、と。ここで丸山眞男は林房雄などの論議を、もし太平洋戦争が聖戦なら戦後は不義の世界か、と批判するんですが、それよりぼくは、軍部のナチス贔屓を思い出します(p.76)。スターリングラードまでは勢いよかったですから。

 中国では進化論を受容するのに激しい抵抗があったというけど、日本では早くから受け入れられていたというのは、勢い重視の「なりゆき史観」があったから、というのは笑いました(p.77)。
 日本の歴史観は過去や未来にユートピアなどは想定しない「なりゆき現実主義」。モデルは中国や欧米など地上の模範国で、その移動史として近代史はとらえることができる(p.85)。攘夷思想から開国への反転も「中国はなんか、アヘン戦争で負けてダサくね?」「やっぱ欧米じゃね」的だったりしてw

 日本人は仏教の無常観も「憂き世」を「浮世」という瞬間的快楽主義に転化させる。《無常観を媒介としてすら、生への絶望は"なりゆき"のオプティミズムに変ずる》という発想は、生を享受しながら、淡泊に死を選ぶ態度にも通じる、と(p.84)。

 過去から未来に続く永遠の流れのような歴史観というのは、昭和天皇が「人間宣言」を出した後も「朕が神の裔でないとすることに反対である」と語っていたことにも影響していたりして…ちなみに、宇宙創生神話がヤマト朝廷のような特定の政治集団と直接つながるような話しは日本だけとか(p.78)。

 まつるはまつろわぬもの、などにも用いられヤマト国家が軍事的征服も祭事として行ったという拳証(p.99)。ハツクニシラスなどシラスは記紀神話の中で政治性もっともつよくもつ言葉。記紀本文中に君臨という漢語をあてている箇所もあり、公孫が知らし、君臨する意、と(p.105)。

 食す(をす)見す(めす)聞かす(きかす)は、最古の日本語では相互転換的に使われていた。「しらす」に転化したのは、いずれも外からくるものを自分の感覚を通じて体内に取り入れるという意味から(p.108)。

 天皇が祭祀と礼拝の対象となったことがないのは、ギリシャ、エジプト、ローマなどと比べても顕著な相違であり、しかも中国の皇帝のように「天」に対して責任を負わない(p.123)。

 ウェーバーの中近東における古代専制帝国とその神観は、メソポタミヤやエジプトのように農耕に適さない地で収穫を得ようとすれば、運河や堤防がなくてはならず、それらを王がつくることで、農業自体も「創造」したということなり、それが無から世界を創造した超越者的な最高神の概念となる、と。

 中国では南北で事情は異なるが、非人格的な自然を表現する「天」との調和が宗教的観念の中心となってり、天子の責任は、そうした恩恵を促すもの、となっていく。

 日本は太陽と降雨の恩恵が大きいので、中央集権的官僚制への依存は少なく、君主の自然に対する責任も軽くなる、と(p.127-)。

 日本では《仏教が葬儀を媒介に輸入されたごとく、穀霊としての太陽神を媒介に中国の天の観念が、律令国家形成期に知識人の思想に定着したのであった》というのが結びの言葉(p.129)。

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