« 『打撃の神髄 榎本喜八伝』 | Main | 『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白』 »

March 19, 2016

『戦争と平和 ある観察』

War_and_peace_nakai

『戦争と平和 ある観察』中井久夫、人文書院

 タイトルにもなっている「戦争と平和 ある観察」の初出は05年の甲南大学叢書で、06年にはみすず書房の『樹をみつめて』にも「戦争と平和についての観察」として収められています。中井先生の御著書では、文庫化以外や絶版の再刊以外では、こうしたやり方は初めてのような気がします。

 「あとがき」で《こんなのを本にしてしまった》と躊躇なされた気持ちとともに《二〇一五年は、終戦から七〇年、神戸の震災からは二〇年の年にあたる。私の基礎には、戦争と戦後民主主義の体験があり、憲法がある》と珍しく率直な書き方をしているように、戦後民主主義と憲法の精神が大きく揺らいだことに危機感を抱いたのかもしれません。亡くなった忌野清志郎さんのように「地震のあとには戦争がやってくる」という不安がよぎったのかもしれません。

 実は、途中まで「ん?なんか読んだような感じがあるかな…」と思いつつ読んだのですが、それでも読み進めると、10年前に読んだ時には、あまり気づかなかったところに目がいくようになりました。

 それは格差の問題。

 戦争は不公平を生む。軍人でも少佐か中佐以上は特攻隊員を志願させ壇上で激励する側にまわるらしい(例外はむろんある)というあたり。

 それと同時に、平和時には経済循環で一般人は失業と不況に怯え、被害者意識が強くなり、自分だけが阻害されているような感覚が生まれ、責任者を見つけようとする動きが煽られる。平和時の指導者は責任のみ重く、些細な非をあげつらわれ、評価されるのは半世紀から一世紀後になる、というあたりも。

 進むより引く方が百倍も難しい。だから、戦前の日本人指導者がアメリカなどから中国撤退を求められてもできなかった。ゴルバチョフのアフガニスタン撤退は改めて尊敬に値する、なんてあたりも、当時はまだゴルバチョフは失脚した指導者というイメージだったので、残りませんでした。

 それにしても『樹をみつめて』の中の『戦争と平和についての観察』を読んでから10年で、まさか集団的自衛権の問題がこんな形で決着されるとは思ってもみませんでした。

 10年前より、格差が拡大して社会に吹く風が厳しいものになり、憲法改正の手続きまでも論議されるようになった中で、なんていいますか「戦前」意識でより切迫感を持って読むことができのではないかと思います。

 中井先生が『日本の医者』で書いているように「日本人は憑き物が落ちたように変わる」と思うから、少し怖いですし。

 つまらないことを書くようですが、10年前に書いた感想を読むと、ぼく自身の変化も大きいと感じました。

 《もう以前のように夜更かしして本を読むことはできなくなりましたし、せいぜい、酒を多少控えて、3セットをしっかり眠ろうと思いましたね。それにしても今年読了した本は受験期を除けば、中学・高校時代を含めて最も少ない100冊以下に落ちたのは、個人的に加齢を最も感じる部分です(寂しい)》と06年11月に書いていますが、いまではさらに60冊程度に減っています。

 『戦争と平和 ある観察』の通奏低音は戦争は酸鼻なものだが、その局面を本当に知るのは死者だけで、死人に口なしの事実ほど戦争を可能にしているものはない、というものです。欧州の一六世紀の宗教戦争、一七世紀の三〇年戦争、一八世紀のルイ十四世がからんだ諸戦争、一九世紀のフランス革命とナポレオン戦争、二〇世紀の両世界大戦とロシア革命はいずれも各世紀の前半に起こり、平和は残る50年しか保てない。60年周期のコンドラチェフの波と相似しているなんてありたりも、忘れていました。

 指導者が無能だと民衆が困るから美化されてカリスマとなり、軍服は若者に澄んだ眼差しを与えるように長年洗練されてきた、と。指導者の失敗は民衆の「生存者罪悪感」によって、むしろ耐え忍ばなければならないものとして倫理性すら帯びて平和時の生活は不道徳なものとみなされる、なんてあたりも。戦争が始まりそうになってからの反対で奏功した例はあっても少ない。1937年に始まる日中戦争直前には社会大衆党が躍進するなど民衆は泰平を謳歌する、なんてあたりも忘れていましたね。

 前の戦争を経験した世代の引退とともに戦争の危機は高まるのは《新しい世代は古い世代より賢いとは限らない》というのは、ますますその感を強くしています(p.57)。

 他に印象に残ったあたりを箇条書きにしてみると。

・必要十分の根拠を以て開戦することは、1939年、ソ連に事実上の併合を迫られたフィンランドの他、なかなか思いつかない。

・第一次世界大戦でドイツ相手にベルギーが善戦したというあたりを読んで思い出したのがドイツによるベルギーの図書館焼き討ち。ベルギーの抵抗に頭に来たドイツは民間人を殺したり図書館を焼いたりして、それをTIMESまでも針小棒大に煽って書いたから、ユダヤ人虐殺も最初はプロパガンダだと思われたんですよね。

・短期決戦による圧倒的戦勝を前提とし、指導層が平和を準備する「クラウゼヴィッツ型戦争」によるけど平和は稀。リデル=ハートが『戦争論』で「成功した戦争は数少ない」と述べているとおりである。

・《米国の両次大戦激戦地における戦争神経症発症状態はカーディナーとスピーゲルの著作に記述してあるが、同程度の激戦を経験して戦争神経症になった日本兵はほとんど帰還していないだろう。米軍のように孤立した兵士を救出する努力をしないからである》(p.23)

・無差別爆撃で無感動になった日本人は広島・長崎の原爆を聞いて、それまでの艦載機による攻撃に備えた黒シャツを再び爆弾の光線を跳ね返す白シャツに替える些事に追われた。

・太平洋戦争はシンガポール陥落で有利な講和を結ぶ状況が生まれたと信じられていたが、そうならなかった後は打つ手がなくなった。太平洋戦争は一言にしていえば、連合国の植民地軍に勝利し、本国軍に敗れたということ(p.25)。

・米国はパナマ運河を通過できない大戦艦はつくれないという固定観念から大和は国費をかけて建造されたが、米国はサヨリのように細長いミズーリ級を造って日本の願望思考を破壊した。しかも細長いミズーリ級は速力の速い正規空母に随伴できたが、大和級は遅くてできなかった。

・もし徳川幕府が近代化をフランスの力を借りて実現しても、エジプトのようにフランス、英国に蚕食されただろう。スエズ運河建設では契約書の不備を突かれて仏に労務費を負担させられ、英国主導に移行した時点でエジプト陸軍は決起するが鎮圧されて1914年に英領になった。

・《アヘン戦争直後の上海に藩命で密航した高杉晋作が、英国人にあごで使われる中国人の姿をみた時、東アジアにおける華夷秩序は崩壊し、この崩壊は彼の頭の中から日本中に広まった》(p.30)

・南京大虐殺では様々な問題があるが、将校に『占領を困難にする」という理解はなかったのか。また、米英との戦争に突入した後、負けたら中国のように大変なことになると、我が身を置き換えた。

・《意外にも、もっとも、成功した戦争は、中国共産党が行った長く苦しい戦争であるという見方が可能であるかもしれない。第一に、中国との戦争は二度としたくないと思わせること。第二に、相手の怨みを買わないようにしていることである。この二つは共に強力な安全保障》

・中共は朝鮮戦争でも38度線をほとんど越えてない。インドとの戦争でも捕虜を丁寧に扱い、武器を修理清払して返還。ソ連とのダマンスキー島抗争でも局地化を徹底。対ベトナム戦争でも局地戦では負けたが、ベトナムのインドシナ支配を挫折させた(p.39)

・中共は北鮮に戦費、駐兵権などを要求していない。それに対してソ連は兵器代を中国共産党に請求。それが中ソ対立の始まりとなった。

・中共の政策は「中原の国」である中国の伝統。日本に対する静観策は「反省しているかどうか様子を見ている」という意味。刑死したA級戦犯に対して厳しのは満洲国の建設への関与と日中戦争早期妥結を阻止した要人だからでは、と(p.40)というのは10年前も引用していましたが、日本とともに、中国もこの10年で大きく変わったかもしれません。

・兵士が戦うのは戦友のためで《古代ギリシャでは同性愛のカップルが並んで闘うようにした》《戦闘における死者の大部分は逃走中に生じるが、それは人間の顔に向かって射撃するのは精神的抑制が働くからであって、だから捕虜になるときには鉄兜を脱ぐのが要領》なんてあたりも、「戦前」意識がそうさせるのか印象に残りました(p.53-)。

 『戦争と個人史』は初めて読みました。ぼくの勉強不足には今更驚きませんが、8/15以降上陸するまでの二週間、米軍は爆撃機を都市上空に飛ばして威嚇していたとか知りませんでした。マッカーサーは日本の国境をキリスト教にせよというローマ法王からの運動を結局は退けた、というあたりは、どうなんでしょうか。

 『私の戦争体験』では、映画で有名な川喜多長政さんの父親である大治郎が中井久夫さんの祖父と軍の同期であることが語られています。二人とも中国や朝鮮の独立を助けようとしたが、川喜多さんは中国と通じているとされ殺される。中井さんの祖父も辞職。《アジアにかけた日本の軍人はみんな不幸になっている》というのはなるほどな、と(p.106)。

 ヒトラーが死んだ時は『総統薨去」と出た。新聞は負けることを徐々にわからせようとする感じがあった。
昭和20年4月にルーズベルトが死去した時、鈴木貫太郎はラジオを通じて弔意を示した。そのうち南米諸国が日本に戦線布告して、世界を敵に回したと思った、というあたりはリアルです。

 《いまの天皇・皇后陛下は憲法を大切にされています。最近皇居のなかの通りを一般に開放したりしているのは、不都合なことは隠そうとする秘密保護法などの動くと何か関係があるのかもしれません》というは、思い切ったことを語るようにならざるをえなくなったんだな、と(p.119)。

 加藤陽子先生との対談も面白かった。

 昭和天皇の外遊は、ここで皇太子に世界をみせないと三代目でつぶれるという危機感が元老院や内閣にあったから。御召艦香取・供奉艦鹿島で半年間密接に過ごした仲間ができたのも大きかった。陸軍より海軍にシンパシーを示すことが多かったのもこうした背景から(p.142-)というあたりは、なるほどな、と。

 ポツダム宣言受諾後1年後に鈴木貫太郎などを招いた茶話会で昭和天皇は今回の戦争で負けてもうしわけない。けれども、白村江の戦いがあった七世紀にも負けている。白村江の戦いで負けて依頼、日本は国風文化の花を咲かせた。今後も平和、文化の道を歩めばよい、と(p.156)。

 日露戦争後、アメリカとの関係性が悪化したのはポーツマス講和の斡旋の見返りを日本が払っていなかったから。セオドア・ルーズベルトは、あっという間に戦艦をつくり、ホワイト・フリートが日本に示威行動にやってくる、というあたりもハッとしました(p.160)。

 『戦争と平和 ある観察』の、東京でも神戸でも、大震災の後は全体として西へ移っている。西風のせいで空気のきれいな風上に向かうというは少し怖かったです(p.200)。

|

« 『打撃の神髄 榎本喜八伝』 | Main | 『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白』 »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/63367671

Listed below are links to weblogs that reference 『戦争と平和 ある観察』:

« 『打撃の神髄 榎本喜八伝』 | Main | 『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白』 »