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January 23, 2016

『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下』

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『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下』塩野七生、新潮社

 塩野さんの『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』は上巻買っただけで読み忘れていたので、読了した後は下巻を購入しました。2013年末の刊行だけど日本では余り知られていない人物のためか、はたまた、どうせ読むなら11年秋に出た元ネタのエルンスト・カントロヴィッチの評伝を読もうかという読書人が多いためかw有隣堂にも初版がありました。

 まあ、邦文の関連書物があまり出ていないということからもわかるように、日本ではあまり知られていないんでしょうね。ぼくもフリードリッヒ二世に関する単独の著作は、塩野さんの本が初めてです。

 下巻の冒頭に掲げられているフリードリッヒ二世時代の地図を見ると、ローマ法王が恐れたのは神聖ローマ帝国皇帝とシチリア王国が同一人物の支配下に置かれ、法王領が挟み撃ちに遭うこと、というのがよくわかります。フリードリッヒ二世は「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」という新約聖書の原則に戻り、法王を宗教だけに専念させたかっただけなんでしょうが、いつの間にか「法王は太陽、皇帝は月」という言葉に酔いしれてしまうというのは、法王はやはり神ならぬペトロの後継者ということでしょうか。

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 そういえば、福音書の中でもペトロたち十二使徒を攻撃することが多いマルコが「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」のオリジナルでした(マタイもルカもマルコのオリジナルから、このイエスの言葉を持ってきています)。

 個人的には意外な感じを受けましたが、塩野さんはフリードリッヒ二世とともに、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」という新約聖書の原則に立ち戻ることで、中世的停滞の時代にあってルネッサンスを先取りした人物として聖フランチェスコを描いています。

 フリードリッヒ二世の右腕的な存在であったチュートン騎士団のヘルマン団長が病に倒れた後、法王グレゴリウス九世が皇帝との交渉役に指名したのはフランチェスコ会の二代目総長のエリオ・ダ・コルトーナでした。しかしエリオはフリードリッヒに心酔してしまい、後には共に破門されたといいます(p.33-)。

 フランチェスコ的なものとフリードリッヒ的なものはどこか共鳴するんでしょうか。

 破門が効果なしとなって、法王グレゴリウス九世は、公会議での神聖ローマ帝国皇帝廃位を決めようとします。もちろん、後任も決めなくてはならず、フランス王ルイの弟アルトワ伯を指名したんですが、拒否されます。時に1241年。カノッサの屈辱の1077年からはすでに150年以上経過し、破門も効果が薄くなっていることがわかるとともに、タカラヅカ的には馴染みの名前が登場するのも笑えます(p.40)。

 子ども時代のフリードリッヒ二世の後見人となったのは、最も偉大な法王といわれれるインノケンティウス三世でした。インノケンティウス三世はイエスの時代に帰れとするフランチェスコを異端として排除することも可能でしたが(リヨンの貧者=ロンバルディアの貧者のワルドー派のように)、逆にその活動を許可するという度量を見せるのですが、その後の法王は器量の小さな人物ばかり。

 好々爺的なホノリウス三世は「早く十字軍を」とせかす程度でしたが、グレゴリウス九世は、せっかく十字軍を仕立て、武力を背景にした外交交渉の末にエルサレムをキリスト教徒が支配するように復したフリードリッヒ二世を「血によっての獲得ではない」として破門するんですから始末におえません。

 さすがに堪忍袋の緒がきれたフリードリッヒは法王領に攻め込むんですが、その直後にグレゴリウス九世は死去。後任のインノケンティウス四世とは会談の約束を取り付けて関係修復をはかるのですが、なんと法王は直前で逃亡してしまうという。

 その後はローマ法王にそそのかされたロンバルディア同盟などとの無益な戦いが続き、さすがのフリードリッヒ二世も疲れ果て、やがては没することになります。

 《苦難に出会うのは、何かをやろうとする人の宿命である。苦難を避けたければ、何ごともやらない生き方を選ぶしかない。ゆえに問題は、苦難に出会うことではなく、それを挽回する力の有無になる》というのは、フリードリッヒの生き方を評した言葉ですが、塩野さんは好きな男にはカッコ良い言葉を贈るな、と(p.212)。

 そして、ローマ法王の執念によるとしか思えないほど、フリードリッヒの子どもたちは早世し続け、シチリアにおけるホーエンシュタウフェン家はマンフレディの戦死によって1266年には断絶されます。フリードリッヒの偉業は継承されず、彼一代の事業で終わりを迎えるわけですが、一時は勝利したかにみえるローマ法王の憎悪も、50年もたたないうちに、1303年のアナーニ事件からアヴィニョン捕囚を招くのですから、歴史というのは皮肉です。

 ちなみに、共に破門されていたベラルド大司教に、フリードリッヒがいまわのきわに弱い息で語った言葉は
post mortem nihil(死後は何もない)だそうです(p.220)。

 ちなみに、カントロヴィッチは『王の二つの身体』で自然的身体と政治的身体という二つの身体は王が生きている限り分けられないとしていました。フリードリッヒは法王と争った叙任権闘争とメルフィ憲章によるローマ法の再生によって、王権の強化を図ったということでしょうか。それは、キリストの体としてのキリスト教共同体としての頭は、法王よりも皇帝が相応しいと感じたからなのかな、と。死によって、二つの身体は分離されてしまうけれども、と。

 カントロヴィッチのフリードリッヒ論は読まないまでも、『王の二つの身体』の関連箇所ぐらい読み直してみようかな、と思ったんだけど、本棚が、もうほとんど二重に差さっているので、後ろに隠れているとなかなか探せない…。無力感というか、こういう時には広い家がほしくなるw

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