« 種之助の三番叟 | Main | 『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下』 »

January 22, 2016

『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上』

Friderci_secundi_1

『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上』塩野七生、新潮社

 『ギリシア人の物語I 民主政のはじまり』を読み終わった後、買っただけで読んでなかったことを思いだし、本棚から発掘したのが『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上』。

 いくらネタ本が膨大にあるとはいえ、これで塩野さんはローマ史、ローマ帝国亡き後の地中海世界、十字軍と書いてきたんですから凄い。そして、中世史の最後にあたるのが『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』上下となります。ここから、こんどはギリシャ史に向かおうというのですから、そのアウトプットはすごいものがありますよね(ブローデルの『地中海』などからの豪快なインスパイア?を隠さないあたりもすごいですがw)。どうも、男性作家の多くは酒ばかり飲むようになって、生産性は上がらないのですが、女流というのは勝てません。

 塩野史観については、司馬遼史観と同様に批判があるのは承知ですが、やはり日本史と比べると地理や文芸を含めた基礎的な知識が足りませんので、ある知識の束を持っていることを前提に書かれた欧米の研究書の読みにくさを補ってくれる塩野さんの本は、ぼくみたいな浅学非才な身にはありがたい限りです。ミスター円の榊原英資さんが『ローマ人の物語』を自宅のソファに寝っ転がって読んでいる姿を見たことがあるのですが、榊原さんぐらいでも読むんだ、と安心したことを思い出します。

 宝塚歌劇では16年1月から『Shakespeare 空に満つるは、尽きせぬ言の葉』を上演していますが、そこに出てるジェンヌさんが「アイアンメイデンって意味わからなかった」とか語っていたんですが、そんな感じ。個人的にアイアンメイデンぐらいはバンド名から知ってはいましたが、そこからさらにちょっと深掘りされると、わけわからなくなりそうですし、「日本人には馴染みがなそうだな」といった部分を、読者のプライドを壊さずに、丁寧に説明してくれる塩野さんの書き方というのは、たいしたもんだな、と思います。だから、企業のトップなんかにも受けがいいんでしょうし。

 さて、フリードリッヒ二世は12世紀後半から13世紀半ばにかけて生きた人物で、神聖ローマ帝国のホーエンシュタウフェン朝最後の皇帝です。開明的な皇帝で、ルネッサンスの精神を先取りし、キリスト教共同体の封建主義の世界から、政教分離された法治国家の樹立を目指していた、というのが大まかな評価でしようか。

 こうした目論見は信仰共同体の長であるローマ法王とぶつかることになり、3度も破門されたあげく、息子たちに早死にされたため、フリードリッヒ二世の死後、神聖ローマ帝国は大空位時代を経てハプスブルク家のルドルフ1世が戴冠し、ハプスブルグ600年の歴史が続くことになります。

 ぼくも実感としてはよく分からなかったのですが、中世ヨーロッパではローマ法王も神聖ローマ帝国皇帝も基本的には世襲ではないんです。

 神聖ローマ帝国皇帝は選帝侯たちによって選ばれますし、ローマ法王も枢機卿から選ばれます。妾などをつくりまくったとはいえ、ローマ法王は独身が前提ではありますが、とにかく、どちらも基本、世襲はなし。

 王は世襲だけど、その上の皇帝は選ばれてなる、みたいな。

 そしてキリスト教の信仰共同体であったヨーロッパの世界観の中で、選帝侯から選ばれた皇帝が本当に適格者かどうかは最終的には法王が決め、戴冠式もローマで行う、と。ゆえに適格者でないと判断されると破門されたそうです(p.83)。

 ドイツの選帝侯なんていうのも世界史で覚えてはいましたが、そうか、こういうことだったんだな、と。また、世紀の偽書であるコンスタンティヌスの寄進状によって、古代ローマ帝国領の西半分はローマ法王のものとされていましたので、武力は持っていないものの、神聖ローマ帝国の皇帝も表だっては法王に逆らえなかった、わけです。

 これが世界観の前提。

 そして、この当時のスーパースターである《リチャード獅子心王やフランス王フィリップやこのフリードリッヒでさえも肖像画は描かれていなかった。これ一つ取っても、中世とはどういう時代であったかが想像できる》、と塩野さんは、最初に「読者に」で書いています。

 中世で描かれた「顔」は、信仰の対象である神やイエス・キリストや聖者だけ。人間の「顔」がリアルに描かれるということは、人間性の現実を直視する態度と比例の関係にある、と。まるで、偶像を禁止しているイスラムのようで、考えてみれば、いまだにイスラム世界は中世のままというか、ルネッサンス以前、宗教改革以前なのかな、と。

 表紙はフリードリッヒ二世の『鷹狩りの書』。皇帝自らが著した鷹狩りというか鳥類に関した百科事典的要素もある本であり、「すべてはあるがまままに、そして見たままに書く」としているのは、それがやがて科学への道を開くような、驚くほど開明的な考えを示しています。さすが破門されるだけのことはあるな、と。

 塩野さんは、同時に聖フランチェスコもルネッサンスに先がけた人物だとして高く評価しています。なぜかというと、宗教家は宗教のことだけをやっていればいい、という方向を示したからだ、と。フランチェスコは、法王領を抱え、「長い手」によってヨーロッパ全土の政治を操るローマ法王や教会組織そのものに疑問を持っていた、というわけです。

 驚いたのは、シチリア王でもあるフリードリッヒ二世の洗礼式は、皇后が旅の途中で出産したトスカーナのアッシジで行われ、そこには当時14歳の聖フランチェスコも有力者の息子として出席していただろう、とのこと。この二人こそが中世の固定概念を打ち破った、というのが塩野さんの評価。

 にしてもトスカーナは神聖ローマ帝国領だったんですね。つか、イタリアを南から遡っていくと、大まかにいって南イタリアとシチリアからなるシチリア王国、ローマ法王領、神聖ローマ帝国領となります。ローマ法王は法王領が神聖ローマ帝国領とシチリア王国から挟み撃ちに遭うのを嫌い、同じ人物が皇帝と王を兼ねないようにするとともに、神聖ローマ帝国領と接する北イタリアのコムーネ(自由都市)を操ってロンバルディア同盟をつくらせ、バッファとします。

 さらには十字軍を送り込んで無益な戦いを挑ませようとするのですから、ローマ法王も困ったもんですが、こうした体制から、政教分離の法治国家を目指したのがフリードリッヒ二世である、と。

 フリードリッヒ二世の冒険は読んでいただくとして、例によって、気になったところを箇条書きで。

 《人種差別や異教徒排撃の感情は常に、能力の格差が待遇の差別によると思い込んだ下層の人々の間から起こってくる》というのは、いまも変わらないな、と(p.102)。

 ロンバルディア同盟を大人しくさせた後、ピサに立ち寄ったフリードリッヒはフィボナッチと会うんですが、アラビア数字の利点を説く彼に生涯年金を与え『算術論』も復刊させたというあたりは、さすがだな、と。なにせ、あんなに便利なアラビア数字が広まらなかったのは教会の反対があったからだとか(p.143)。

 大学論も面白かった。ボローニャ大学は学生が組合をつくり教授を招聘して授業料を払うという形でスタート。学生自治のために組合ができたわけではなかった、と。パリ大学がカトリック寄りなのはフランス王付聴聞僧のソルボンヌが組織を整えたからとか(p.112-)。

 フリードリッヒは知識人たる僧侶ばかりが教授なるとアホな神学や教会法ばかり教えるので、自身が設立した世界初の国立ナポリ大学では俗界の学者で教授陣を固め、ローマ法(市民法)を主要科目にして官僚を養成したが、卒業生にはトマス・アクナスもいる、と(p.113)。

 魔女裁判や残酷極まりない拷問によって、その後長くヨーロッパ社会を震え上がらせることになる「異端裁判所」は、カトリック教会の長であるローマ法王は、皇帝のみではなく、信者全員を照らす太陽であるべき、と信じていたグレゴリオス九世によって創設されたというのも皮肉です(p.151)。

 法王グレゴリウス九世による「聖なる異端裁判所」は、フリードリッヒ二世の世俗的な法体系『メルフィ憲章』に対抗するため五ヵ月後に設立。皇帝のものは皇帝に、神のものは神にという精神の憲章に食らいつき、学者肌のドメニコ会を猟犬として使った、というんですから呆れます(p.228-)。
アッシジの聖フランチェスコは「働く人」であるterza ordine(第三階級)を組織化し、劣等感を取り払った。ウェーバーのプロテスタンティズムを待たずに、資本主義は13世紀の北イタリアのコムーネ(自由都市)で始まった、と(p.276-)。

 下巻も読み終わりましたが、足りなかった知識を補ってくれてありがたかったです。


|

« 種之助の三番叟 | Main | 『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下』 »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/63102458

Listed below are links to weblogs that reference 『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上』:

« 種之助の三番叟 | Main | 『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下』 »