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December 30, 2015

今年の一冊は『ブラッドランド』

Blod_land

 毎年、年末には、その年に読んだ本をまとめています。目的は忘れないため。

 個人的に最大の知見はティモシー・スナイダーと東欧の現代史との出会いでしょうか。冷戦終結後に解凍された東欧史はまだ整理されていない印象で『赤い大公 ハプスブルグ家と東欧の20世紀』と『ブラッドランド 上下』との主張の差はかなりあると思うのですが、それよりも東欧現代史はワーク・イン・プログレスだと割り切って次々と大著をものにしていきます。トニー・ジャットの聞き役となった『20世紀を考える』も読んでみることに。

 読書の愉しみを改めて教えてもらったのは『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』富士川義之、新書館。《精神の誕生にいちばん近いのは木の葉の繁みをみつめていて、葉のいちぶと思っていたものが巧妙に変装した虫や鳥だったと知ったときの、突きさすような驚きの瞬間ではなかろうか》という富士川義之さんが自ら訳したナボコフ自伝を引く出だしから引き込まれました。富士川英郎さんは、仕事には並外れて勤勉であり、黙々として日々の務めを果たし、読書のほかには散歩をほとんど唯一の趣味とし、栄誉や金銭などはあまり眼中になく、自分の関心事以外には、何事に対してであれ、傍観者であるという人生態度を身につけていたということで、自分自身の浅学無知は置いておいても、こういう人生には憧れます。

 富士川英郎さんの評伝を読んでいて、朔太郎の詩に再会したんですが、kindleは詩集を持ち歩くためにあるという感じがします。

 また、今年は『昭和天皇実録』の刊行も始まりまりした。群盲象を撫でる感のあった昭和天皇像が一気に変化しそうだと感じました。戦争責任を問われ、そうした文学上の研究はしていないと答えた昭和天皇の気持ちが、いまは少しわかるような気がします。

 岩波新書から出ていた5巻シリーズの日本近世史が『幕末から維新へ〈シリーズ 日本近世史 5〉』藤田覚で完結しました。これで06年11月に〈シリーズ 日本近現代史〉の第一巻『幕末・維新』から刊行されてきた日本史のシリーズは古代史、近世史ときて『幕末から維新へ』につながったことになります。あとは、鎌倉時代から戦国時代を扱う中世史が抜けているんで、それで完結するんでしょうか。楽しみです。最新の研究を踏まえた日本史、東アジア史を語るならば、新書という気安さもあって、シリーズ中国近現代史を含めた26冊はお勧めできるんではないかと思います。

Investerz8

 『インベスターZ(8)』に掲載されていた「太平洋戦争中の株価推移動」のグラフは現代史の著作でも読んだことがない素晴らしさでした。ぼくが気がつかなかっただけかもしれないけど、日本の近現代史の本は政治に偏りすぎていて、研究者たちは経済音痴なのかもしれないと感じました。

 このほか、以下の本をお勧めしますが、15書評年度に読んだ新刊書を一冊えらべば、やはり『ブラッドランド』でしょうか。

『骨が語る日本人の歴史』片山一道、ちくま新書
『ヒョウタン文化誌 人類とともに一万年』湯浅浩史、岩波新書
『大人のための図鑑 脳と心のしくみ』池谷裕二、新星出版社
『生命の星の条件を探る』阿部豊(著)、阿部彩子、文藝春秋
『インベスターZ(8)』三田紀房、コルク
『財務省と政治 「最強官庁」の虚像と実像』清水真人、中公新書
『ブラッドランド:ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 上下』ティモシー・スナイダー、布施由紀子(翻訳)

以下は新刊書(14/12-15/11)。

『立川談志 まくらコレクション 夜明けを待つべし』
「あなた、留守に鰻が来たわよ」
「天気予報が外れたろう」

「信号が赤だぞ」
「女房に言うなよ」

「七番、ショート、下手投げ」

「おまえのとこの縁の下で飼ってた、あの、キリンどうしたんだよ」
「うん、なんか徳利のセーター着るの嫌だって、家出しちゃってねえ」
「どこへいったんだ?」
「書き置きがねえんだよ。なんか、地下鉄の入り口を、くぐったとこまで、見た奴がいるんだけどね」
などイリュージョン時代のまくらが読めるのは貴重。

『ブラッドランド下』ティモシー・スナイダー、筑摩書房
 『ブラッドランド』上下を読んで、得た最大の知見は、ナチスが死の工場をつくってユダヤ人たちを最終解決と称してガス殺しまくったのは、スターリンをウラル山脈以東に追いやって、そこにヨーロッパに住んでいるユダヤ人たちも追放しようという計画がソ連軍の抵抗で頓挫してしまったからなんですね。冬の装備を持たずに6月22日に開始されたバルバロッサ作戦は、スターリンの軍部粛正で弱体化していたはずのソ連軍の思わぬ抵抗に遭い、モスクワ侵攻が遅れ、泥沼の戦いに陥ります(ナポレオンのロシア侵入も6月なんですが、もう少し早めることはできなかったんですかね…)。とにかくナチス・ドイツとソ連が故意に行った大量殺人政策によって1400万人が流血地帯(ブラッド・ランド)で殺害されました。厳密に考察を進めるためにハンガリー、ルーマニアのユダヤ人を含めないため、この数字はかなり限定的だそうですが、それでも第二次世界大戦における米英の戦死者を1300万人上回り、アメリカが過去戦った外国との戦争で戦死者すべよりも同じく1300万人多いそうです(「数と用語について」p.283)。

『ブラッドランド:ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 上』ティモシー・スナイダー(著)、布施由紀子(翻訳)
41年6月にドイツがソ連に侵攻し、1000万人以上の将兵が戦死したが、ほぼ同数の民間人も命を落とした、と。しかも、ドイツ軍はさらに1000万人もの人々を殺害して、その中には、500万人以上のユダヤ人と300万人以上の戦争捕虜がふくまれていたとかキツイです(p.249)。また、33-38年にブラッドランドで起きた大量殺人はほとんどがソ連。39-41年には独ソが手を携えて同数の人々を殺害。42-45年にはドイツによる政治的な殺人が大半を占めたというのが上巻のサマリーでしょうか。また、1939年から41年までの日本の政治もより立体的に理解できるようになりました。三国同盟は結んだものの、ヒトラーに独ソ不可侵条約を結ばれてしまい、南進論か北進論で悩むという。バルト三国のようにソ連、ナチスドイツ、ソ連と凶悪国に次々と支配され、その度に、前政権の協力者が殺されたような国々のことは日本みたいな島国にいたのでは想像もつかないと感じました。日本が太平洋戦争からの立直りが早かったのも、排除されたのが一部の軍人たちにとどまったからなのかな、なんてことも考えました(第6章)。

『財務省と政治 「最強官庁」の虚像と実像』清水真人、中公新書
政治も財政も一寸先は闇だな、とわかります。後に国鉄総裁となる高木文雄は二兆円減税に尽力したというか、田中内閣の末期に福田赳夫蔵相が二兆円減税を止められなかったことは、三木武夫政権での赤字国債発行の伏線となります。田中角栄が福祉元年を宣言したことも、社会保障費の増大を招いたわけですが(p.10)、あれほど好調だった高度成長は、ベトナムで戦争が終わり、なんでも買ってくれて蕩尽してくれた米軍が撤退すると、オイルショックがあったとはいえ、あっという間にマイナス成長となるんですから、世の中、一瞬先は闇なわけです(1974年に-1.2%という戦後初めてのマイナス成長を記録)。消費税率10%アップは菅、野田と二代続けて財務大臣が首相に就き、相手方の野党自民党も党首の谷垣が財務相経験者だったからできたというあたりも目ウロコでした(p.222)。


『インベスターZ(8)』三田紀房、コルク
「太平洋戦争中の株価推移動」のグラフは現代史の著作でも読んだことがない素晴らしさ。2.26事件から上昇が始まった日本の株価は盧溝橋事件で最初のピークを迎え、その後の戦況の膠着状況から下げに転じますが、第2次大戦勃発と日独伊三国で再上昇。ヨーロッパでの戦況膠着で再び下げが、真珠湾奇襲、ジャカルタ占領で爆騰。ここまでは「戦争は買い」という法則が見事に貫かれています。その後、大本営発表と政府の買い支えで戦況が悪化する一方なのにミッドウェー海戦での敗北後も株価は上昇。最後には紙くずに。この戦時中の株価のグラフは見たことがありませんでした。日本の近現代史の研究者たちは経済音痴なのかもしれない。とにかく、こんなに日本人が戦争に熱狂していたということが分かるグラフってありません。確かに、一般大衆や投資家からみたら、真珠湾攻撃の成功、プリンスオブウェールズの撃沈、シンガポール占領という緒戦の大成功は、めくるめく体験だったろうなとも感じます。

『生命の星の条件を探る』阿部豊(著)、阿部彩子、文藝春秋
水というのは、宇宙全体でもありふれた物質だろうという指摘には驚かされました。ビッグバンで宇宙が出来て以来、元素で多いのは化学進化によって水素、ヘリウム、酸素の順。このうちヘリウムは化学反応しないので、水は化学反応する物質の中で一番目と三番目に多いもので出来ているという説明には唸りました。水がなくても死なない生物はいますが、増殖・繁殖することはできないといいます。しかも、水は分子量が小さいのに高温まで液体常態を保ち蒸発しないというんです。それは電荷の偏っている極性分子の構造を持っているから。極性のない油は溶かせないが、水はなんでもよくとかし、生物の細胞は水に溶ける性質と溶けない性質をうまく使って細胞膜をつくる、と。水って凄いな、と。ATPの中にも含まれるリンは生命活動にはどうしても必要で、他の元素では対応できず、常に不足気味。特に海の生物では不足しており、逆にリンを含む合成洗剤が大量に放出されるとプランクトンが異常に増えて赤潮になるんだそうです(p.73-)。赤潮は生命の異常発生なのか、と。

『大人のための図鑑 脳と心のしくみ』池谷裕二、新星出版社
 ハッブルの深宇宙(Deep Space)並みに脳(Inner Space)の写真は凄いと思いました。自意識といいますか自我の成り立ちに関する池谷先生の解説もスカッとクリアカットといますか、有無を言わせない説得力があります。動物は生存可能性を高めるために何か現象が起きたら、その原因を探るんですが、人間にはそうした「知りたい」という探索対象に自分自身が加わったというんです。なぜ、そんなことになったかといいますと、おそらく大脳皮質が発達したことによる空間探索がカギだ、と。それは自分の外に視点を置いて俯瞰できる能力はエサの捕獲に便利で、これが自分への探索心に結びついたからだ、と。嗅覚の重要性にも気づかされました。魚類、両生類、爬虫類、哺乳類までは、嗅球が大脳に覆われていないんです。だから、見るより嗅ぐ方が得意なのか!ということが視覚的に理解できます。嗅球と嗅神経、嗅上皮の近さが異常なのも図解でみるとよくわかります。さらに好き嫌いを判断する扁桃体に、嗅覚の感覚情報だけは、大脳経由ではなく、嗅球から直接送られるそうです。女性が二枚目のことを「いい臭いがする」と表現する理由がわかったような気がします。

『ヒョウタン文化誌 人類とともに一万年』湯浅浩史、岩波新書
 ヒョウタンは軽い上、中が空洞で水入れとしてはこの上なく重宝な人類の原器であり、くびれのあるヒョウタン型だけでなく、壺型など多様。日本を除く世界の初期の土器が壺型をしているのは、ヒョウタンがモデルの可能性が高いとのこと。また、楽器も弦と組み合わせた弓琴が最初など、とにかくエキサイティング!ヒョウタンに水を入れて運ぶことによって、人類は長距離異動ができるようになった可能性が高いのですが、世界各地には、洪水によって人がほろび、生き残った二人が民族の始祖となったという神話が広く伝えられています。肥沃な三角地帯で生まれたギルガメシュ叙事詩をルーツとする聖書ではノアですが、中国ではヒョウタンで乗り切った話が伝わっているとのこと(p.173)。ヒョウタンというモノがなければ現世人類の出アフリカも、南アメリカまでのグレート・ジャーニーもなかったかもしれません。

『私の1960年代』山本義隆、金曜日
 廣松渉さんにタテカンは曲がった釘で打った方が抜けにくく壊れにくいと教えられた、というあたりは感動的でしたがそれだけかな。全共闘の精神史として読もうとすると期待を裏切られるかもしれませんが、明治維新からの富国強兵の基礎となる科学の軍事利用のための理系大学史として読んでも十分に面白い本でした。維新政府の工部省工部寮は工部大学校に改称されて、帝国大学工学部になったんですが、武士にそれまで賎しいと思われていた実学を学ばせるために、技術はことさら科学技術として、官学として位置付けられられたそうです。それによって江戸時代の医師の洋学から、士族の洋学が誕生したというあたりはうなりました(p.177-)。気象学も毒ガスをどう効率的に散布したらいいのかなど、軍事作戦への応用が重視されていたあたりは目ウロコ。戦前の日本はほぼ10年に1回の割合で大きな戦争をこなしていったんですが、その最後にあたる太平洋戦争時代でも《戦時中の科学技術ブームで一番うまい汁を吸ったのは文句なしに東京帝国大学》だそうです。植民地支配のための東洋文化研究所と第二工学部を新設。第二工学部は造兵学科、航空機体学科、航空原動機学科もあり化学兵器の講義も行われていた、と。戦後復興の工業化もこうした賜物とか(p.207-)。

『「昭和天皇実録」を読む』原武史、岩波新書
 興味深かったのは皇太子時代から戦後も続いたカトリックへの関心と、無産政党の支持者や植民地の人々に対して「一君万民、一視同仁」の立場から温情的な対応を政府に求めていたあたり。一撃論で降伏を無意味に延ばしただけでなく、全く見込みがなくなった終戦間近にも、対米英に対する徹底抗戦を主張していた皇太后に促され、宇佐と香椎神宮に敵国撃破の勅使を派遣したことを昭和天皇は悔やみ、特に香椎神宮は勅使派遣後一週間で距離的に近い長崎に原爆を投下されたことから、神道を捨てカトリックに帰依することで反省を示すことも検討、とまで原さんは書いています(p.203)。確かに張作霖爆殺事件の時に叱責した田中義一に対しては、彼が導入しようとした小選挙区制度に反対であり、無産政党の直接行動を抑えるためにも社会民衆党や日本労農党が躍進することが望ましいと考えていることを伝えていました(p.97)。

『骨が語る日本人の歴史』片山一道、ちくま新書
 169頁からのサマリーだけでも読む価値あり!縄文人は世界でも有数の「海の民」であり、身体特徴は『現生人類の大海に浮かぶ人種の孤島的存在である』という研究者もいるほど特異的。アボリジニやボリネシアンなどと同様、長く孤立して独特な身体特徴が表現されたケースというのには驚きました。ぼくは柳田國男からの系譜もある吉本隆明さんの南島論に影響されていたのですが、骨を分析すれば南九州の弥生人が沖縄にわたって、グスクをつくるなどをしての内乱の後、15世紀に琉球王朝が成立したけど、17世紀にあっさり薩摩に侵攻されてしまった、という身も蓋もない歴史になるというのには目ウロコ。さらに、著者は「アイヌは擦文文化人、続縄文人、縄文人に遡れるが、オホーツク人とも混交するなど、北方系民族の影響を強く受けている。このアイヌと、日本人、日本語との類似が高い沖縄人とは、事情が異なる」とまで書きます。サマライズすれば、北から西から列島に流れ着いた小数の人々は、完新期の温暖化による海進により孤立した、と。列島には大陸部には少ない臨海部が増え、多彩な海産物が、縄文人の身体的特徴を生んだ、と。彼らは外から来たというより日本という「縄文列島」に産まれ育った、と(p.183-)。それは列島にバラ蒔かれたゴマ粒のような存在だったけど、それをベースに各地域でさまざまに変容した縄文系「弥生人」が育ち、そこに、北部九州から日本海沿岸部にかけて住み着いた渡来系『弥生人』が重なった、と。続いて、そのあたりを中心に両者が混合して生まれた混血『弥生人』が加わった。これら総体が倭人である、というんですね(p.108)。

『プラトンとの哲学』納富信留、岩波新書
「魂を配慮せよ」という言葉を通奏低音にプラトンの哲学について、対話篇というプラトンの著作に習い、プラトンと魂の会話をしながら、目指した哲学の方向性、プラトンが当時は語れなかった先のことまでも見つめていこうという良書。『ポリテイア(国家)』について、2つの思考実験という補助線を引いて、分かりやすく解説してくれているところが印象的。誰も見ていないところでも正しい振る舞いができるかという思考実験と、権力を持つ僭主(テュラノス)の内実が一人の友人も持てない獣の生であることを想像させることで「正義がそれ自体として魂それ自体にとって、もっとも善いものである」ことが確かめられます。この第5章と《欠如する者は神ではない、したがって、エロースは神ではない》《愛とはその美そのものへの上昇であり、突如訪れる稀な出会いです。そこで私たちは本物の徳と善さを産出し、永遠に関わっていきます。この「永遠」は子どもを生み自分の像を残していく永遠とはまったく異なります》と『饗宴』を解説してくれている4章だけでも読む価値あるかな。私たちのなかには、人間嫌い(ミサントローポス)に陥る者がいる。それは、人とどう付き合うかの技術を持たずに他人を強烈に信頼することから生じる。言論についても同様だとソクラテスは語るなんていうところもいいです(p.81)。

『日本外交の挑戦』田中均、角川新書
 エスタブリッシュメントのモノの見方、考え方がわかります。巻末に載っている基本文書が憲法九条、日米安保条約第五条および第六条、従軍慰安婦に関する河野談話、戦後50周年の村山談話、小泉北鮮訪問時の日朝平壌宣言、戦後60周年の小泉談話というのは、これは変えられない文章なんだな、ということがわかります。右派が期待した安倍談話が河野・村山談話を否定することが出来なかったのは、これが日本の「国のかたち」だからでしょうか。同時に安保条約の否定できない事実なわけです。日本外交の制約は敗戦が起因。米国との関係で受身とならざるを得ないのは日本だけではない。国際社会の課題を能動的に解決できるのは米国だけ。米国と協力して行動するのは日本、欧州も国益に合致、などなど。集団的自衛権の問題にしても、そもそも朝鮮半島有事の際には日本の基地から米軍は戦闘行為に出ていくわけですから、そうした際に米軍への戦闘に必要な情報や弾薬などは提供されないとすれば不合理極まりない、という議論にもっていきます(p.110-)。思い出すのはこの言葉ですかね。《「対米自主」というのは気持ちとしては分かりますけれども、きつい言葉で言えばナンセンスだと思います》『外交証言録 日米安保・沖縄返還・天安門事件』中島敏次郎、井上正也、中島琢磨、服部龍二、岩波書店p.260

『ふーちゃん生活』牧野直樹、KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
 毎日、Twitterにアップされている「ふーちゃん」の姿をみることができることで、どれだけ、穏やかな気持ちで過ごせるか、と感謝しまくっているのですが、2冊目の写真集では、朝起きてから食餌、遊びの時間から寝るまでのふーちゃんとの生活をバーチャル体験させてもらえます。去勢した猫には一日の目安よりも少なめに餌をあげるとか、空調管理を中心した留守番対策とか、目や耳の手入れなど「世話の焼き方」がよくわかります。猫は14時間ぐらい寝ているとか、留守の時は基本寝ているとか、寝言やケイレンはレム睡眠とか知らないことばかり。

『国を守る責任 自衛隊元最高幹部は語る』折木良一、PHP新書
 海外で統合運用が評価されるのは日本人の気質によるものみたいな箇所は噴飯ものですが、著者が防大を卒業した1972年は内閣府調査の自衛隊の好感度が最も低い58・9%だったそうで、これが2015年には92・2%と過去最高を記録したんですから、この間の自衛隊の努力は認めなくてはならないでしょう。日本の実力部隊が本格的に海外進出したのは、1991年のペルシャ湾での掃海艇派遣。当時、自衛隊初の海外派遣ということで、社会党を中心に野党は大反対でしたが《半年にわたる厳しい海外任務で一人の死傷者も出さなかったことも、各国の海軍を驚かせ》た、とのことです(p.27)。まあ、こうした積み重ねをやってきましたよね、自衛隊は。ちなみに、折木さんは全て西暦で書いていて好感度アップ。米国相手の仕事などが多いために、西暦ファーストじゃないとこんがらがって話にならないんでしょう。14年の読売・ギャラップ共同調査によると「信頼している国内の組織や公共機関」は自衛隊が75%でトップ、アメリカも軍隊が85%でトップとのこと(p.51)。日本が軍事大国になることは絶対に不可能だということを、1887年から1945年までの約60年間の平均で、国家予算の46%が軍事費に費やされていたことを理由に説明していますが、こうしたあたりも納得的。いまや、戦前の軍事予算比率に近い社会保障費を支出するようになったソーシャル・セキュリティ・ステイツ(社会保障国家)日本では《その恩恵に与る世代が、社会保障費削減=軍事費増大を認めるはずがありません》と(p.162-)。

『永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」』早坂隆、文春新書
 永田軍務局長の告別式は1935年8月15日。翌年が2.26、2年後が支那時変で、さらに10年後には、日本に住む人々に歴史上ないほどの惨禍をもたらした戦争が完膚なきまでの敗戦で終わるわけですが、もし10年の生が与えられたら、太平洋戦争はあんな結末にはならなったんじゃないかといいますか、少なくとも、もっとうまい負け方が出来たんじゃないかと感じます。斬殺されたので老醜をさらさなかったという面はあるかもしれないけど、魅力的な人物です。ナチズムのような国家社会主義を天皇中心に実現することを皇道派は夢想していたわけですが、そうした幻想には惑わされず、まず産業を興して国力を涵養し、そこから総力戦体制をつくりあげよう、というのが永田の構想。もう一人、天才肌の石原莞爾による満洲国を中心とした世界最終戦争に向けた不敗体勢作りという構想もありましたが、どう考えても永田の中庸的な考え方が優れていると思います。総力戦体制とは戦争において物資供給の役割に甘んじていた経済が、日陰の役割から解放され、自力で行動する権力の座についた、というシヴェルブシュ『三つの新体制』に通じるようなことを永田は理解していたのかもしれません。

『三つの新体制 ファシズム、ナチズム、ニューディール』W・シヴェルブシュ、小野清美,原田一美(訳)、名古屋大学出版会
 シヴェルブシュは技術の発展が人間に与えた影響などを取り上げてきましたが、今回の本はもっと大きな経済そのものといいますか、資本主義の危機が人間に与えた影響をテーマにしています。描かれているのはプロパガンダ、シンボル建築などの媒介を通してみると一目瞭然にわかる、ナチズム、ファシズム、ニューディールの類似性。戦前の日本の革新官僚も似たような印象なのですが、それは経済中心といいますか、総力戦体制が《近代戦争(冷戦も戦火を交えないだけで同じ)の物資供給の役割に甘んじていた経済が、国家に奉仕する日陰の役割から解放され、自力で行動する権力の座についたこと》を意味するのかもしれません(訳者あとがき)。ドイツ、イタリアだけでなくアメリカ、ソビエト・ロシアでも第一次世界後にはナショナリズムが高揚し、先立つレッセ・フェールの50年間に破壊されたものを取り戻すことが主張されたそうです。それは個人主義によって廃棄されそうな共同体や工業によって脅かされる手工業、文化だった、と(p.98)。結局、ナショナリズムはグローバル経済に対する抵抗として組織されていったのかもしれません。アメリカにファシズムも社会主義も根付かなかったのは、階級意識がないから。逆にヨーロッパでは階級意識が原動力になってファシズムも社会主義も駆動された、というあたりはハっとしました(p.166)。

『「孤独」が人を育てる 小池一夫 名言集』小池一夫、講談社+α新書
 自分で世の中を渡っていくためには、自分を確立しなければならず、いったん確立してしまった自分はたやすく変えられないから、せめて自分だけでも自分を好きになってやることが大切という。これなんじゃないですかね。《私は「他人に優しく、自分にはもっと優しく」がモットーだ》という言葉や《「自分を蔑まない」この一点で、人生の質が変わる。自分が自分であることを恥じるな。100パーセント恥じるな。1ミリも恥じるな》というあたりも好き。

『日本占領史1945-1952 - 東京・ワシントン・沖縄』福永文夫、中公新書
 この本は日本の占領とともに、沖縄の占領にも多くの頁を割いているんですが、宮古と八重山は戦場と化した沖縄本島からは孤絶しており、本島との連絡も途絶え、一時無政府状態に陥ったというんですよね(p.78)。ここら辺のこと、まだ本で読んだことないですね。沖縄の軍政長官は、マッカーサーによってフィリピン・琉球軍司令官が任命されましたが、これは戦時中フィリピンに貯めていた莫大な量の戦略物資を沖縄に送り込むためというのは凄い話だな、と。そして沖縄は陸軍の兵站の終末点として、忘れられた島になっていった、と(p.132-)。なんでこうなかったかといいますと、そもそも沖縄の占領は戦時国際法に基づくものだったからだ、と。硫黄島を陥落させた後、ニミッツは慶良間諸島に上陸。同時にニミッツ布告を出して、南西諸島の日本政府の権限を停止、実戦部隊による軍政を始めた。だから、日本本土の占領とは異なり、戦時国際法のハーグ陸戦法規に基づくものだった、というのは知らんかったなぁ…(p.14-)。

『NHK 趣味Do楽(月) 今さら聞けない! ゴルフの基本 100を切りたいあなたに』NHK出版
 これもkindle版で入手。来年こそは大幅にスコアアップといきたいところです。

『幕末から維新へ〈シリーズ 日本近世史 5〉』藤田覚、岩波新書
 驚くのが庶民の柔軟性。低価格で良質な綿布、綿糸の輸入は、綿花の輸出も加わって国内の綿織物・綿糸業に大打撃を与えたが、養蚕・製糸業を発展させるとともに輸入綿糸を使った綿織物産業を立て直す。このように外国貿易に対応できた民衆の力量こそが、幕末日本経済の発展段階の高さを示す、と(p.156-)。尊王攘夷だ横浜鎖港だと声高に争っても、素早く民衆はもはや引き返すことなど到底不可能な経済活動の領域にはいりこんでいた、と。欧米列強との関係だけでなく、国内の民衆、経済との関係でも鎖国に引き返すことなど非現実的なものとなっていた、というあたりは志士たちの青春小説みたいな司馬遼史観好きの人に読ませたいですね。千曲市森の住民の記録では、当時の農民は、高い値で売れるとわかると杏、養蚕、天草などを手がけ、何百両も稼いだとのこと。社会の経済化が進み、もはや江戸時代の村や農民ではなくなった、と。こうした人々が娯楽を求めたから、江戸の出発点があれほど栄えたそうで、『見聞収録』仲条唯七郎に記録されている信濃の田舎で夜学する奉公人に驚きます(p.113-)。

『歴史と私 史料と歩んだ歴史家の回想』伊藤隆、中公新書
 歴史研究者というのは資料の整理が大変なんだな、ということが改めてわかりました。労力のかなりの部分は、草書で書かれている昭和史の重要人物の日記や書簡などの資料を分類、整理した後、印刷可能なテキストに直してオリジナルを保管するというものでしたから。網野善彦『古文書返却の旅』も思い出しました。面白かったのは真崎甚三郎のあたり。吉田茂、鳩山一郎とも接触をもち、提携には至らなかったものの宇垣一成とも交渉をもち中野正剛や石原莞爾とも接点を持って次の機会をうかがっていた、というのは意外でした。真崎甚三郎の息子の秀樹さんは昭和天皇の通訳として25年もつとめ『側近通訳25年 昭和天皇の思い出』なんて本も出していたというのは知りませんでした。沖縄は太田県政と言われていたが、実際は副知事であった吉元県政。吉元さんは米軍基地問題をめぐる国と県の直接交渉を実現するなど力が強くなりすぎて太田が切ったら、本人も倒れ、何も解決ができない状態になってしまったという指摘にはハッとしました(p.265-)。

『安倍官邸の正体』田崎史郎、講談社現代新書
 ヨイショになるかもしれないほど中に入り込んで取材をするのは《「書くことは、イコール批判することだ」とたたき込まれて、それが基本と思っていた時期もあった。しかし、次第に真実を知ることにのめり込むようになった。この本を読んで、安倍首相に寄りすぎている、批判が足りないと思われる方が多いかもしれない。しかし、それでも権力構造を解明し、伝えることがわれわれの最大の使命であるという私の確信は揺るがない》からだ、と。批判も大切ですが、それより、世の中がどういう仕組みで動いているんだ、ということを「見える化」して批判は読者にまかせるという機能も必要だと思っています。実際、批判は簡単ですしね。例えば武器輸出三原則が解禁されたのは《「防衛装備品は一国だけでは開発できない時代になったんです。それに、民主党政権の時代にある程度、やったからできたんですよ》という菅官房長官の説明は分かりやすいし、納得的だと思います(p.238)。

『それでも猫は出かけていく』ハルノ宵子、幻冬舎
 介護していた父・吉本隆明さんに続いて同じ年に吉本さんの奥さんもお亡くなりになっていたというのは知りませんでした。筆者も同時期に乳がんで片乳も切除するという怒濤の日々を送っているのですが、そうした日々を支えてくれたのは、障害を持った白猫シロミだったというんですね。シロミはお尻を踏まれたらしく、なんとたれ流し。そんな野良猫を拾ってきて育てるとか、想像もできません。それは《「歩きたい!食べたい!生きたい!」。それだけで、どんな障害をもった動物たちでも、ただ今日を生きのびている》という考え方にたどりついたからではないでしょうか(p.117)。父・吉本隆明さんは病院で亡くなる4、5日前に「どこだって同じだよ」と語っていたそうですが、《病院だろうが、畳の上だろうが、コンクリートの地面だろうが、犬も猫も人も、すべての生き物は、死ぬ時には必ずたった”独り”。場所はどこだって同じなのです》という考え方があるのかもしれません。

『都市 江戸に生きる シリーズ日本近世史4』吉田伸之、岩波新書
 読んでいる最中、ずっと思い出していたのが山本周五郎『寝ぼけ署長』の《間違った事をすれば筒抜けだし-中略-そのまま生計の破綻となることが多いんだ》という長屋に暮らす庶民についての一節でした。江戸時代であるとはいえ、基本的に庶民の暮らしは貧しく、一歩間違えば悲惨な運命が待ち構えている。そんな世間の実相を描いたのがシリーズ日本近世史の4巻目。一六世紀から一七世紀前半には世界各地で城下町=城塞都市が一斉に出現するんだそうです。ヨーロッパだけでなく欧州の植民地にも。これは西欧起源の単一の世界が地上を覆い始めた時期。武器の革命、軍団編成や戦闘形態の激変などが要塞都市を生み出したのであろうか、と(p.15-)。でも、この考証、これ以上は進まないのがつまらない。後は江戸の機能とそれを支える日雇いの独身男性の悲哀みたいな人情話口調になっていきます。

『原子・原子核・原子力』山本義隆、岩波書店
 学問というのは学説史をしっかり語ってもらうと一番分かりやすいと思っているのですが、この本もいまや科学史家としての業績も輝かしい山本さんだからこその説得力があります。今さら自分の無知には驚きませんが、人工衛星の軌道計算に太陽光の影響も入れられているとは知らなかった。光は電磁波だということが改めてよくわかります(p.101-)。第1次世界大戦は、それまで科学者を空想的で浮き世離れしてたいして役に立たない人種としてみなしてきた軍人たちにとって科学技術の有用性と科学者の使い道を知り、他方で科学者は新しい気前のよいスポンサーを見出したのだそうです(p.146)。原子番号が20以上の原子核では原子核どうしが接触する以前にクーロン斥力で跳ね返されてしまうので、それ以上のエネルギーを持つ粒子を加速して数多く作り出すために加速器が使われるんですか…うーん、理系の方なら常識かもしれないでしょうが、初めて知りました。

『昭和天皇実録の謎を解く』半藤一利、御厨貴、磯田道史、保阪正康、文春新書
 解剖した蛙に『正一位蛙大明神』の位を与え、丁寧に土に埋めたとか、戦時中にもリンカーン像を居間に飾っていたが、これは幣原平和外交の推進役だった佐分利貞男が贈ったものという半藤さんのまえがきだけで凄いな、と。興味深かったのは、あまり知られていなかった幼少の頃の昭和天皇。病弱だった父である大正天皇は欧米への外遊を希望するもかなわず、昭和天皇に『世界一周唱歌』をよく歌ってあげていたといいます。昭和天皇もそうした父親に影響を受け世界一周双六でよく遊んでいたとか。なんか泣ける…。満州事変で、最初は不拡大方針でいた昭和天皇も石原莞爾が錦州爆撃で事変拡大を既成事実化してしまうと『拡大に同意するも可であり』と参謀次長に伝えるあたりは、昭和天皇の二面性をよく表している、と。まあ、世界の皇帝になれるかもしれなかったわけですから…この時は30歳ですからね。まあ、ね…。にしても「人間宣言」を出した後も「朕が神の裔でないとすることに反対である」と語っていたのには驚きました(p.267-)。まあ、これも二重性ということなんでしょうか。終戦の決意を固めたのも皇祖皇宗の問題だ、としています。大本営はウソの情報しか伝えなかったから、昭和天皇は短波放送で情報を得ていたとか(p.253)。なんという国家だったんですかね、大日本帝国は。

『袁世凱』岡本隆司、岩波新書
 靖国神社訪問や尖閣諸島国有化などに際し、中国本土では反日デモが暴徒化しましたが、それを見ていると、官製という感じもするけど、どこか中央の統制が効かない危うさも感じていました。その理由のひとつは、清末以降、地方を抑えるのに中央政府が苦労しているからなんだろうな、ということを改めて岡本隆司先生の『李鴻章』と『袁世凱』を読みながら感じました。舛添都知事が電気新聞で書いていた書評でも、袁世凱は李鴻章に続いて中央集権国家による富国強兵を目指したが、中央と地方の分裂でどうしようもなかったとして《中国人の国家帰属意識の希薄さは、古代から現在まで続いていると言っても過言ではない》と指摘しています。今年、大爆発事件があった天津が北京の海側の出入り口として開発したされたのはクビライからだったといいますが、大発展を遂げたのは、天津を所轄する袁世凱が義和団事件の後、8ヶ国連合国から、施政権が返還されて、そこで新政を行ったからだというのは知りませんでした。中共が李鴻章や袁世凱による清末の洋務運動会の試みを認めないのは、それを認めると中国社会の限界ばかりが強調されて、日本による侵略が全て悪かったからというストーリーに齟齬をきたすからなのかな、ということもこの二冊の本を読みながら思いました。

『天下泰平の時代』高埜利彦、岩波新書
 日本史というのは東アジアの歴史の中でみるべきだということで、日本国内が天下泰平になったのは、中国大陸での明清交替が落ち着き、安定した秩序がもたらされた1660年代からだった、と。少し長いスパンでみると、応仁の乱から中国における清王朝の成立まで続いた約200年間の動乱の後、綱吉から家治までの130年間は太平の世が続き、その後、ロシアの根室来航から始まる明治維新から太平洋戦争の敗北から中共の成立まではまた動乱の歴史となります。《したがって、戦後から現在に続く平和もまた歴史上貴重なものである》というのは団塊の世代らしいひとこと。元禄は「生類憐れみの令で庶民を苦しめた犬公方」「賄賂をもらう柳沢吉保」というイメージですが、最近、綱吉の再評価が進んでいます。生類憐みの令は日本から犬食の風習をなくしただけでなく、野犬が管理されることで捨て子が襲われるような殺伐とした風景も無くしたというのは驚き。綱吉の発した服忌礼も、今の世に、葬式帰りには清めの塩を自分の身体に撒いたりするなど穢れの意識を高め、年賀状を遠慮する喪中葉書として残っているとか…犬公方恐るべし。武士の世襲的な地域支配層を一掃したのも綱吉とか。

『村 百姓たちの近世 日本近世史シリーズ2』水本邦彦、岩波新書
 戦後間もなく生まれた団塊世代の筆者たちの世代まで持っていたような農村へのリアリティというのは失われていて、現代のぼくたちから見る江戸時代の農村というのは、幕末などににやってきた西欧人が物珍しく眺めるような世界なのかもしれません。18世紀後半にオランダ商館付きの医師として来日したスウェーデン人のツュンベリーの描写する農村は耕して天に至る勤勉さに支えられているもの、人間や動物の排泄物を肥料として大量に利用しているため《そこから生じる蒸気(アンモニア)の刺激で大勢の人々、とくに高齢者は目を真っ赤にして目やにを出している、と。有機肥料の「エコ社会」は、眼病の蔓延する社会でもあった》と描写しているのには目をそむけそうでした。資源循環利用のクローズドシステムの図。これを見るとアウトプットとしての年貢の割合がシステムの維持に大きな影響を及ぼすことがわかりますが、逆に系内消費を上回る系外への移出量の多さは、このシステムが高い効率で機能していたことの証左だとして、農民の労働生産性の高さがうかがえます。

『しょんぼり顔のモフモフ猫 ふーちゃんやけども』牧野直樹、左右社
夜の路地で痩せていた猫を保護したことから全てが始まるというストーリーは、やっぱり心が温まります。保護されてカリカリを食べさせてもらっても、すぐに部屋でくつろぐ。そして、あのちょっと不機嫌な表情。卑屈にならず、あくまで対等という精神も感じます。最後の「猫を保護したら」のハウツーを付けたのもいい感じ。

『植物が出現し、気候を変えた』デイヴィッド・ビアリング (著)、西田佐知子(訳)、みすず書房
 『生命40億年全史』や『生命 最初の30億年』ではシノバクテリアが10億年もかけてせっせと二酸化炭素から酸素をつくりつづたことや、スノーボールアースのような寒冷化があったことに驚きましたが、本書では最近の古生物学、気候科学、分子生物学などの成果によって、詳細に気候変動がわかるようになったというか、植物の進化や分布拡大が地球の大気構成や天候をダイナミックに変えたことがわかるようになった成果が描かれています。例えば、地球のほとんどが氷結したスノーボールアースは、植物が分布を広げて二酸化炭素を奪いまくり、温室効果が急激に低下したから発生したとか。結局、植物の存続も危うくなって大気から奪われる二酸化炭素の量が減って気候も安定した、と(p.47-)。60cmを超える巨大トンボが出現したような石炭紀は酸素濃度が上昇していましたが、それは皮膚呼吸で原始的なエラと肺の組み合わせで呼吸していた陸に上がったばかりの両生類や節足動物にとっても助けになった、と。酸素が濃ければ、二酸化炭素を楽に取り除けるからとか(p.72)。地球のアキレス腱はオゾン層だというのも、なるほどな、と。植物=生物圏という認識を高めることができました。

『民主党を見つめ直す 元官房長官・藤村修回想録』藤村修(著), 竹中治堅 (編集)、毎日新聞社
 民主党政権は必ず見直されると思っていますが、野田内閣は民主党保守派の内閣であり、実は菅内閣の政策も日米関係重視、TPP交渉への参加、社会保障と税の一体改革を追求して消費増税に言及するなど自民党政権の延長線上にあって、野田政権もそれを踏襲したもの、という見取り図を得られたのがありがたかった。鳩山政権は内閣一元化で党内意見を集約せず、党の言うことを聞かない駄々っ子みたいな議員が、強い拒否権を持つ委員会に配属されたので、国会運営がまったく空回りした、と。菅内閣はそれを反省して政策調査会を復活させたけど、政策調査会長が内閣の中にいたために多忙すぎて機能しなかった、というあたりも含めて。藤村さんの言葉で印象的なのは《内閣の権力の中枢にして、権力のすごみというものを体験しました。考えたことが、理不尽でなく筋が通っていれば実現できます。自分が発想し、発言し、周りにきちんと理解されれば現実のものになります。一代議士ではそうはいきません。それも、小さい案件だと本当に直ちに実現します》というあたり(p.320)。だから、確かに意見が通らないとスネる駄々っ子みたいなのを政治家にしちゃダメだよな…(p.312)。

『戦国乱世から太平の世へ』藤井讓治、岩波新書
 日本古代史、日本近現代史と続いてきた岩波新書の日本史シリーズは織豊時代から幕末までを扱う近世史に入りました。これが終わると鎌倉時代から戦国時代を扱う中世史で完結するんでしょうか。楽しみです。農民出身らしく農民の生活をよく考えたという側面もある《太閤検地は、近世日本の土地制度・社会制度の根幹をなす石高制の基礎となった土地政策であり、その歴史的重要性は、極めて大きい》んですよね。アジアにおいてヨーロッパのような封建制度(アジア的な専制より分権的な制度)が成立したのは、武士が元々、農民出身だったというリアリティが基礎にあったと思いますが、秀吉はその象徴ですよね。朝鮮征伐によって、日本人には朝鮮半島から中国の地理を肌感覚で初めて知るんですが、それが400年後に《日本の軍隊は、日清戦争からアジア・太平洋戦争終了まで50年間、アジアを歩き続けた》(『シリーズ日本近現代史3 日清・日露戦争』原田敬一、p.74-)ということにつながるんでしょうか。

『元・宝塚総支配人が語る「タカラヅカ」の経営戦略』森下信雄、角川oneテーマ21新書
 宝塚歌劇の観客数は大劇場だけで過去最高の2万人増の216万人、全ツを合わせると3万人増の273万人を記録したそうですが、年間スケジュールの素案を策定するのは阪急電鉄歌劇事業部で、宝塚歌劇団、宝塚舞台も交えて調整する、と。その場合、機密事項であるトップスターの退団が決まっていたら、団体客の貸切公演を極力減らして利益率を上げる、と。一度に10人近くが退団することもあるが、2番手、3番手、新人公演主演経験者などが抜ける場合は、あらかじめ他の組から補充しなければならないという理由で組替えが行われる(p.24)。土日祝日に実施する貸切公演は、チケット代の利益率は落ちるものの、土産物を中心とする物販や飲食面の販促でカバーするとともに、平日公演に個人客を誘導することで、全体の稼働率を上げることが目的(p.29)など目ウロコ情報が満載。バブル期に乱立した「公共ホール」を活かした全国ツアーによって、実質ロングラン化を図っており上演ソフトが慢性的に不足している地方ホールにおける宝塚歌劇興業の位置づけは羨望の的とか。

『<運ぶヒト>の人類学』川田順造、岩波新書
 チンパンジーやゴリラの「ナックル歩行」では狩猟道具や食料などを持ちながら長距離を移動できず、直立二足歩行が「運ぶ」ことを可能にしたことを考えれば、「運ぶ」ことは極めて人間の本質に繋がる行為であるとしてアフリカ内陸の黒人、ヨーロッパの白人、東アジアのモンゴロイドの文化の違いにも言及。黒人の特徴は頭上運搬。筆者が「日本に帰ってきたな」と感じるのは空港のスチュワーデスの歩き方だそうです。西洋式コスチュームに身をつつみながらも《かなりの人が、下駄をならしながら歩くように、ローヒールのかかとをひきずって歩いている》と。モンゴロイドはしなやかな木を使った両天秤棒運搬のように、個人の「巧み」で使いこなす方式が発達する、と。長距離歩行といえばヒョウタンについても面白くませてもらった1年でした。

『マーラーを識る』前島良雄、アルファベータ
 先行する情報を整理してもらった感じ。第一章「標題」は、作曲前、作曲途中で抱かれた言語化されない世界観が本質的な標題であり、「巨人」「夜の歌」「千人の交響曲」などの"売らんがための"タイトルがいまだに使われているのに対して、マーラー本人が付けた3番の「悦ばしき知識」が使われていない不思議みたいなこと。後は2番の第五楽章の詩がほとんどマーラー独自のものだとか、ヴァルターもクレンペラーも弟子ではなく助手であるみたいなこととか、日本で「大地の歌」のタイトルに「交響曲」というクレジットが付けられているのは売らんがための手法だみたいなこととか。個人的に「ほー」と思ったのは、1908年、事実上オーストリア帝国の最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフのボヘミア王位60周年記念祝典コンサートでマーラーはチェコ・フィルを指揮し、同じ年に自身の交響曲7番をプラハで初演したというあたり。エリザベートを亡くした後も、長く生きたんだな、と…。

以下は旧著

『田辺聖子の小倉百人一首』角川文庫、Kindle版
 小倉百人一首は本来、読むものではなく、暗唱して味わうものでしょうが、落語の「ちはやふる」「崇徳院」などを聞いても、江戸時代の庶民も意味もわからず覚えていたことがうかがえるから、改めて勉強しなければならないのも仕方ないのかな、と。元旦には久々にかるたを並べてみました。源氏物語の口語訳では与謝野晶子訳が一番素晴らしいのと似ていて、関西出身の作家が持つ文化の深さが感じられます。宝塚で田辺聖子さんの『新源氏物語』が再演されたんですが、観劇後の話しでも、関西文化圏の方がごく普通に持っている源氏の知識というのは文化の力なんだろうな、と感じました。

『赤い大公 ハプスブルグ家と東欧の20世紀』ティモシー・スナイダー、池田年穂(訳)、慶應義塾大学出版会
 ハプスブルグが欺瞞ではあるにせよオーストリア=ハンガリー二重帝国を宣言するなど比較的ソフトな対応をするのに対し、ドイツとロシア(ソ連)は密約でポーランドを分割するというハードライナー。ヒトラーは電撃作戦で侵攻したあと、カルパチア山脈でユダヤ人村を隈無く破壊しながらモスクワへ向います。ヒトラーはスターリンは分割の際にポーランドとウクライナ人をそれぞれの居住地に移住させ、ユダヤ人のコミュニティも根絶やしに近い形で破壊したために、かえって領土がスッキリと分割されたという皮肉な結果も生み出します。《二一世紀の初めになって、EUは、いわばハプスブルグと同じ立場にある―自由貿易の行われている広大な地域を持つこと、経済のグローバリゼーションの中心であること、遠望の海洋に領土を持たぬこと、決定的な軍事力を欠くこと、予想できぬテロリズムの時代であること》というのは、外交には長けているものの、戦争には弱かったハプスブルグの性格をEUが受け継いでいることをよく表している言葉だと思います(p.371)

『宝塚式「ブスの25箇条」に学ぶ「美人」養成講座』貴城けい、講談社+α文庫
 実際には貼られていないようですが、この宝塚式「ブスの25箇条」は団体行動の指針となるものではないでしょうか。しかも「朝きげんよくしろ 恩は遠くからかえせ 人には馬鹿にされていろ 年忌法事をしろ」みたいな我慢を強いるようなものではなく、どちらというと、毎日を明るく過ごすための心得みたいな感じがしていいです。個人的に気に入っているというか、こいうのはダメだよね、と思うのは以下の戒めです。
3 美味しいと言わない
10 声が小さくイジケている
11 なんでもないことに傷つく
20 他人を信じない
25 存在自体が周囲を暗くする

『資本論に学ぶ』宇野弘蔵、ちくま学芸文庫
 経済学は理論よりも、エビデンス重視の分析の方向に大きく舵が切られたようですが、その流れをつくったピケティ・ブームに重ねてきたんでしょうが、ちくまには元全共闘で資本論とか真面目に読んだ編集がいるんだろうなと感じました。随分前に読んだのですが、戦前のドイツのインフレのおかげで『資本論』の原著が安く手に入るようになってようやく読めたみたいなところや、留学先にドイツを選んだのもインフレで安く生活できるから、みたいなところがあったはず…なんてぐらいしか覚えていなかったんですが、カウツキー版のをやっと買えたというのがいきなりp.13に出てきて懐かしさとともに、一気に読めました。純粋の資本主義社会では、利潤の得られる投資を利子で満足する資本家はいない。だから、サラリーマンが株を買っても、原理的な資本家にはなれない、となんてあたりは学生では実感湧かなったな。他人の資本を集めて自分の資本のように利用する方がずっと有利だ、とかも(p.224)。

『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』富士川義之、新書館
 富士川英郎さんのことは江戸漢詩でうっすら知っているぐらいだったのですが、読もうと思ったのは《あの難解なリルケが戦後の一時期、リルケ・ブームといった言葉になるほど読まれた時代があった》という立役者鈴木幸一IIJ会長の経営者ブログを読んでから(ちなみに欧米でも日本でもリルケがとってかわられたのはカフカだそうです)。紹介してくれる文学書が魅力的で、例えばオスカー・ワイルドの短い散文詩風の作品『芸術家』を読みたくなりました。これは、「つかの間の喜び」というブロンズ像をつくりたくなった男が世界中を探すが、やっと見つけたのは「とわの悲しみ」というブロンズ像から「つかの間の喜び」をつくる方法だけだった、という内容だそうでして、なんかいいな、と。リルケの研究では、田邊元が非常に助かったという手紙を寄こしているそうでして、田邊元全集に収められている北軽井沢特別講義などでは、愛を媒介として無私の自由を実現するというのが、この哲学者が理解するリルケの究極の姿、と書かれているとのこと(p.142)。

『萩原朔太郎全集・162作品』kindle版
 富士川英郎さんの評伝を読んでいて、朔太郎の詩に再会したんですが、久々に読むと、本当にいいな、と。
『猫』の展開とか凄い。
「おわあ、こんばんは」
「おわあ、こんばんは」
「おぎやあ、おぎゃあ、おぎやあ」
「おわああ、ここの家の主人は病気です」
なんかヤになった時、朔太郎の詩集をいつでも読めるというのは、世の中のつまらないことを相対化してくれる感じがします。


『中原中也全集・315作品』
 これもkindle版を入手。
「九才の子供がありました
女の子供でありました」も

「ゆあーんゆよーんゆやゆよん」も

「 汚れつちまつた悲しみに今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに今日も風さへ吹きすぎる」も

「トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです」も

「雲母の口して歌ったよ、
背ろに倒れ、歌ったよ」も

全部入っています。


『マーケットの魔術師』ジャック・シュワッガー
 再読ですが、教えられます。特にオニール。

『李鴻章』岡本隆司、岩波新書
 清朝の命運を一手に任され、北洋艦隊を作り上げ、それを日清戦争で一挙に壊滅させられ、老体に鞭打って下関条約交渉で訪れた日本では暴漢に狙撃されるなんていう災難をよく我慢できたわな、と思います。しかし、この時、李鴻章が我慢できたのは、下関条約でいったんは日本側のムチャクチャな要求を呑んだフリしながら、実は裏で三国干渉を画策していたからなんです。日本側も交渉相手としては李鴻章しかいないし、その李鴻章はフランス、ドイツ帝国、ロシア帝国にも信頼されていたからこその芸当。そんな曲芸みたいな外交を成功させた手腕は凄いんですが、結局、それによってロシアの南下を招き、最終的には自国で日露が戦争することを招いてしまったというのは策士策に溺れるといいますか、壊滅的な敗北を招くことになるんですね。ヘーゲルが歴史哲学でコキ下ろしたみたいに《理性が内面性を獲得していない》とまでは言いませんが、李鴻章が感じ、改革できなかったジレンマが、まだ中国にはあるのかも。そしてそれが、今でも現象面として現れているのが中央政府への不信感ではないでしょうか。『袁世凱』と合わせて読むと、中国にとっての日本は、永遠の大患だということがよくわかります。

『知の格闘』御厨貴、ちくま新書
 意外だな、と思ったのは、御厨貴さんは高度成長期という時代が何であるのかを解き明かしたいがためにオーラル・ヒストリーを始めたというあたり(p.36)。政治家個人の話しでは、やっぱり小泉純一郎さんが面白かった。《小泉純一郎という人は記憶を失っています。変な言い方ですが、やったことをたぶん次から次へと忘れていっている人がだと思います。忘れていっているから総理職が五年間もったんです。いちいち考えていたら、小渕恵三さんのように頭の中がいっぱいになって最後はプッツンするところまでいってしまいます》というのはなるほどな、と。憲法改正についての研究会のまとめを、JR東海の葛西と官邸に持っていったら、ソファで寝っ転がっていて「憲法改正だって?」「説明、要らない。それは俺、関係ないから。あれは党に投げてあって党が決めるから。俺のところに持ってくるのはお門違い」と終わったとか。自分の関係ないことは受け付けないし、記憶もしない、と。さすが小泉さんだわな、と(p.51-)。後藤田さんのオーラル・ヒストリーで削られたところがあるそうで、それは菅直人に対する「あれは運動家だから統治ということはわからない。あれを総理にしたら日本は滅びる」というコメントと、公明党に対する「やっぱり危ないと思うのは共産党と公明党だ。この国への忠誠心がない政党は危ない。共産党は前から徹底的にマークしているからいいが、公明党はちょっと危ないよな」という発言(p.62-)。

『近現代日本を史料で読む 「大久保利通日記」から「富田メモ」まで』御厨貴、中公新書
御厨貴先生の『知の格闘』を読んでいたら、研究者向けに書いたら一般にも読まれていると書かれていたのに驚いて読んでみたのがこの本。最初に紹介されるのは大久保利通日記ですが、冷静なハズの大久保が時に感情剥き出しにしている場面が印象的。佐賀の乱で敗北し捉えられた江藤新平に対して「江東醜態笑止ナリ」と、わざと江東と書いているのか知りませんが、梟首が申し渡された様子を記していたのには驚きました。これには西郷との決別をもたらした江藤への憎しみが現れていると解説されています。台湾出兵後の清朝と交渉で「断然」を繰り返して書いているところは、大久保の孤独な決意が伝わってくるようで好きです。木戸孝允日記は大久保政権のあり方を逆照射したものというのはなるほどな、と。藤原鎌足の嫡流である近衛文麿の父、近衛篤麿はアジア主義の論客で、死後、日露戦争勝利で英雄となったというのは知りませんでした。

『陸軍省軍務局と日米開戦』保坂正康、中公文庫
改めて小説風に描かれてみると、東條の首相就任は本人にとっても晴天の霹靂で、大命降下は昭和天皇などの側近がいったんは戦争突入と決まった国策を、もう一度、米国との外交を試みる方向に切り返すことを目的に、その際、暴発しそうな陸軍を抑えることが期待された、という感じがよくわかります。昭和天皇の言動をみても、東條に対する評価は高いのですが、それは、いったんは仏領インドシナからの撤退を拒んで日米交渉を暗礁に乗り上げさせた尊皇家の東條に、それでも再び交渉をしてみろと命じたら、実際に交渉を再開したからではないでしょうか。それにしても、野村大使から日本の最終乙案を受け取ったハルは、最初、解読済みのものと同一かどうかを確かめたというんですよ。なんか、完全に掌の上で遊ばされている感じ。そして、ハルは、これを受諾するのは米には降伏に等しいと思った、と。そして、ハルノートと同じ屈辱を日本が中国に与えていたと想いを致す者は1人もいなかった、と(p.291)。ハルノートへの反発は、加害者であったときの傲慢さと表裏の関係にあった、と思います(p.301)。

『元素生活』化学同人(文庫版)、寄藤文平
 文庫化されたので購入した本。化学は苦手な分野というか、共通一次の理系は物理と地学、文系は日本史と世界史でやったので「これ以上、記憶したくない」ということで元素表なんかはスルーしていたんですね。しかし、最近になってようやく目覚めました。元素は世界がビッグバンから始まった唯物論的なものであるということをクッキリと示してくれます。最初に素粒子が誕生し、1秒後には水素の原子核が生まれ、3分後には水素の原子核が集まってヘリウムができたから今でも水素が71%、ヘリウムが27%とほとんどを占める、と。さらに新しい元素が生まれるためには、温度が1000万度を超える必要があるから、ビッグバンのあとは恒星の中で起こる核融合と超新星爆発で次々に新たな元素がつくられている、と。タングステンがなぜ重要かというと元素の中で最も融点が高く高温に強くて炭化させるとダイヤモンドにづぐ超硬合金になるからとか、一方、常温で揮発するのは水銀だけなので、いろんな金属と合わせてアマルガム(合金)がつくれるとか、インジウムの産出量世界一を誇った鉱山が06年まで日本にあったとか、43番目の元素テクネチウムはほとんど崩壊していて人工的につくられたとか、面白い特徴がワンポイントで紹介されています。

『踊りの愉しみ』板東三津五郎、長谷部浩(編)、岩波現代文庫
 歌舞伎は子供の頃から見物しているのですが、正直、踊りの勘所はよく分からないでいました。その理由がこの本を読んで、よくわかった気がします。それは自分で着物を着て日本舞踊を踊ってみる、という経験がなかったから。「舞踏は、出があって、クドキ、手踊り、段切れでおさめる」とか「衣装をつけて小道具を持ち、ツルツルの舞台を草履で踊ると滑る」というあたりも具体的で新鮮!。《振りと振りの間が埋まっていない》踊りはダメで《「振りから振りに移る間も踊りなんだよ」「その間も見えているんだよ」とぼくはよく注意します》というのも目から鱗です。見物客は顔を見ているんだから、顔がぶれずに正確に動かなくてはダメで、そのためにも下半身が重要だ、というあたりも論理的。

『歌舞伎の愉しみ』板東三津五郎、長谷部浩、岩波現代文庫
歌舞伎は能楽や文楽と違って客商売の商業演劇だから、興行が成り立つように何でもしなければならないが、品格だけはキチンと守る、みたいな。江戸時代、普段は芝居を観にいけない大名家、大奥の方々に「いま、歌舞伎では、こういう演目をやっていますよ」と見せる女性の芸人「お狂言師」がいて、宝塚と同様、女性ばかりで歌舞伎の演目を見せていたそうです。もちろん女性が立役を演じていたそうで、助六も女性が演じていた、と。女性ばかりの助六とか観てみたい。驚いたのは《日本舞踊の場合は、まったく同じ技量であれば、手足の短人のほうが、絶対巧く見えるものです》(p.66)っていうあたり。マジか…みたいな。

『なつかしい時間』長田弘、岩波新書
 枕頭の書としている『アメリカの心の歌』の著者である詩人、長田弘さんの『なつかしい時間』が、同じく岩波新書から出ていたのを見逃していまして、あわてて読みました。個人が発信する機会が増えたことによって独白の多くなったことが嘆かれ《独白の言葉はいわば一方通行の言葉。他の人にとっては向こうから一方的にやってくる言葉。マニュアルの言葉はそうした独白の言葉の一種です》とコミュニケーションによる陶冶を経ていない言葉が増えているとした後、いま必要なのは《言葉を信じられるものにするという言葉のあり方です》と結びます(p.111-)。フェルドゥースィーという歴史家が残した『王書』には、アホな原理主義的シーア派イスラム教がのさばる前のゾロアスターの国でもあったイラン=ペルシャの姿が記されているそうで、いつか読んでみたいな、と思ったら『タバリーによるシャーナーメ・上下巻: 古代ペルシャ諸王の歴史ものがたり』はkindle端末を持っているAmazonプライム会員はタダで読めるそうで、ラッキーだな、と思ってさっそく上下巻をダウンロードしました。

『語られなかった敗者の国鉄改革』秋山謙祐、情報センター出版局
 今年はJR東海の社長・会長をつとめた葛西敬之が日経で「私の履歴書」を連載していたんですが、そのあまりの歴史修正ぶりが我慢できなくなり、その対極の本を読みたくなって一気読みしました。彼は2001年に上梓した『未完の「国鉄改革』でも、まったく触れていないことがあります。それは、国鉄改革が分割・民営化という形で決着した最大の理由は、田中角栄が1985年2月27日に脳梗塞で倒れたこと。それまでは田中曽根内閣と呼ばれていた中曽根首相が、田中派の大部分を引き継いだ竹下経世会をバックに、戦後政治の集大成という自ら設定したアジェンダに向けて歩み始め、国鉄をたんなる民営化だけではなく分割・民営化の方に舵を取れたのは、田中角栄が政治的影響力を失ったからでした。それに対して、著者の秋山は《「角さんの腹は看板こそ変えるが全国はひとつ。覚えておけ」武藤委員長から囁かれていた。金脈問題、ロッキード事件で政治の表舞台からは消えたものの、田中角栄元首相の政治的影響力は依然として絶対だった。私たちはそこに期待をかけていた》と書いています(p.154-)。その角さんが首を振らないのだから、民営化はともかく、分割は阻止して、余剰員対策なども国労などと協調しながら《ゆるやかな雇用調整(p.171)》でソフトランディングしようとしたのが国体護持派の縄田副総裁と太田職員局長でした。この構図を語らない国鉄改革はウソになります。

『未完の「国鉄改革」』葛西敬之、東洋経済
 刊行された01年当時も、もちろん読んだのですが、田中角栄が倒れたことに全くふれず、国鉄改革のスキームで自分の思うとおりにならなかった新幹線保有機構と貨物会社のスキームについて、ここぞとばかりに批判するやり方には呆れかえってしまい、マトモに熟読しなかったんです。なんで新幹線保有機構が東海道新幹線からの利益を吸い上げ、貨物会社が6社の旅客会社から独立した全国一本の会社になったかというと、改革3人組は全員「自分は将来、東日本の社長になる」と考えてつくったからだと思うんですが、それをしらばっくれて、どちらも自社の経営には負担となる東海の経営を任されたからといって批判するのは図々しいと思っていました。でも、再読して、なるほどと思ったところもありました。それは採用停止による合理化をバックにした動力車乗務員の合理化。この合理化を呑まなければ、国労の多い駅などの営業職場からか運転士を養成することになり、運転職場における動労の比率が小さくなくっていくことに目をつけ、合理化を呑むように迫ったという戦略性。しかし、動労をテコに使っていた分、戦いすんでJRとなった後には決裂して、ペンキをかけられたり、きわどい写真をバラ蒔かれたりしたんだな、と。

『国鉄改革の真実「宮廷革命」と「啓蒙運動」』葛西敬之、中央公論新社
 国鉄改革のキーポイントとなった組合対策を職員局職員課長、同次長として取り仕切り、しかも同時並行的に国鉄社内の国体護持派との権力闘争を闘うという中で、いよいよ分割・民営化の実務段階となった時点で、葛西さんは資産の切り分けから外され、「看板会社」としてのJR東日本に東海道新幹線も入っている東京駅などの重要資産を持っていかれたばかりでなく、東海道新幹線のリース料金も高く設定されるなど不利な扱いを受けた、という主張が本書の中心。そして、欠陥制度である新幹線保有機構を解体させて、リース料では立たなかった減価償却費を立つようにして、東海道新幹線のインフラを強化した、ということを誇らしげに主張しています。三島・貨物とは比べものにならないほどの優良資産を継承していながら、何を名経営者面しているのかな、というのが正直な感想ですが、少なくとも本人にとっては不満だったということはわかりました。国鉄改革というのはGHQが主体となった農地改革、財閥解体を除けば、日本人が自らの手で行った最大の改革だと思うのですが、著者たちと敵対した国体護持派のNo.1だった副総裁のように、すでに亡くなられている方も出始めている中で、将来、どうやって歴史を残していくのか、という問題も考えさせられました。葛西さんもオーラルヒストリーの御厨貴先生から30年後の開封を条件に話しをしていると、この本の「序にかえて」で御厨先生自らが書いていますが、死後開封ということで手記を残している方は何にもいるでしょうし、葛西さんと同じように学術的なチェックを受けているものを残している方もいるでしょう。そうした本が歴史修正主義的なものにならないことを祈るばかりです。

最後に「老子二十章」を引用して終わります。
我は愚人の心なるかな
沌沌(とんとん)たり
俗人は昭昭たり
我は独り昏昏たり
俗人は察察たり
我はひとり悶悶たり

我愚人之心也哉
沌沌兮
俗人昭昭
我独昏昏
俗人察察
我独悶悶

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