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December 20, 2015

『ブラッドランド 上』

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『ブラッドランド:ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 上』ティモシー・スナイダー(著)、布施由紀子(翻訳)

 読むのが辛いと感じます。丸谷才一さんがソルジェニーツィンの『収容所群島』を読むのが辛くて、時々休みたくなると言っていたが、そんな感じ。しかも『収容所群島』は生の記録という部分もありましたが、『ブラッドランド』はほぼ死の記録。

 41年6月にドイツがソ連に侵攻し、1000万人以上の将兵が戦死したんですが、ほぼ同数の民間人も命を落とした、と。しかも、ドイツ軍はさらに1000万人もの人々を殺害して、その中には、500万人以上のユダヤ人と300万人以上の戦争捕虜がふくまれていたとかキツさが半端ない(p.249)。

 33-38年にドイツとソ連の間に挟まれたブラッドランド(ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国、ポーランドなど)で起きた大量殺人はほとんどがソ連によって行われ、39-41年には独ソが手を携えて同数の人々を殺害。42-45年にはドイツによる政治的な殺人が大半を占めたというのが上巻のサマリーでしょうか。

 また、1939年から41年までの日本の政治もより立体的に理解できるようになりました。1936年に日独防共協定、40年9月に日独伊三国同盟は結んだものの、39年8月にヒトラーに独ソ不可侵条約を結ばれてしまって、その後、南進論か北進論で悩むという日米開戦までの奇妙な無風地帯のような2年間は、つい日米交渉のことばかりが気にかかるんですが、実はヒトラーに翻弄されていたんだな、と。

 また、バルト三国のようにソ連、ナチスドイツ、ソ連と凶悪国に次々と支配され、その度に、前政権の協力者が殺されたような国々のことは日本みたいな島国にいたのでは想像もつかないと感じました。日本が太平洋戦争からの立直りが早かったのも、排除されたのが一部の軍人たちにとどまったからなのかな、なんてことも考えました(第6章)。

 また、カザフスタンでは遊牧民を農民に変えて定住させる必要があったが、彼らはそれを厭がってイスラム圏の新疆省へ逃げていったというあたりも、今の中国の民族問題の根底にあるんでしょうか(p.72)。

 ヒトラーが政権を取った1933年のドイツのユダヤ人人口は1%に満たず、ヒトラーがユダヤ人排除の構想を実現できたのはユダヤ人比率の高いポーランドとソ連に侵攻したからなんてあたりは映画『ショアー』を思いだしました…。ほとんどポーランドの話しだったですよね、あれは。

 それにしても下巻に註を集めるというのは、いかにも上下とも買え、という感じがするし、上巻読んでるときに不便でした。

 以下は例によって箇条書きで。

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 ブレスト=リトフスク条約でレーニンは多くの国土をドイツに割譲したが、それはやがてドイツが革命に倒れると予想したから。やがてそうなったが、赤軍を展開できたのはウクライナぐらいまでだったため、フィンランドやバルト三国、ポーランドが独立してしまい領土は東よりになった、と。

 1920年8月、赤軍はベルリンに向かう途中、ワルシャワでポーランド軍に行く手を阻まれた。この時の敗退軍にウクライナ赤軍の政治将校だったスターリンがいた。スターリンの判断ミスで攻撃に対応できなかったが、ポーランド軍も疲弊してモスクワまでは進軍できなかった(p.37)。実はスターリンの悩みは第一次大戦ではドイツの負けていたし、この時にはポーランド、そして日本も日露戦争では負けているわけで、勝者に囲まれていたということなんだな、と。

 ヴェルサイユ条約を遵守する義務を感じたドイツの政治家はほとんどいなかったというのもなるほどな、と。東部戦線で勝利して帰国した軍人たちは侮辱されたとしか思えず、多くの復員兵は右派民兵組織に加わり、左派革命勢力と戦ったり共和国は前進と見ていた社会民主党はこれを鎮圧に利用した(p.38-)。

 多くのドイツ人にとって民族自決は迫害を意味した。旧ハプスブルク君主国の領土のうち、チェコスロバキアでは、スロヴァキア人よりもドイツ人の方が多かった(p.40)とあたりも目ウロコ。。

 ヒトラーもスターリンも、ウクライナを食糧生産基地とすることで、ヨーロッパを思い通りのイメージに作り変えることができると考えていた、と。しかし、そんな豊かな土地で、スターリンは1933年に世界史上最大の人為的な飢餓によって何百万人ものウクライナ人を死亡させ、ヒトラーは41年にユダヤ人と捕虜を餓死させたというんですから、そのおぞましさはなんともやりきれません。カニバリズムも普通に書かれています。

 スターリンはボルシェビキ革命の時にドイツによって送り込まれたレーニンによってロマノフ王朝が倒されように、トロツキーがやがて帰国して自身を倒すことに恐怖して、トロツキーの人柄を慕う者の多かったスペインの人民戦線に対し、彼らを銃殺するためにNKVDの工作員を送り込んだそうです(p.126-)。そして、メキシコに逃れていたトロツキーを暗殺するんですが、なんと執念深い。そして気にくわない相手を今でも唯一トロツキスト呼ばわりするのは、ほぼ世界で唯一、日共です。あれが全く信用ならないのは、これだけをみても分かるというw

 トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフ、ゲシュタポという見出しでプラウダはスターリンの政敵を非難したが、3人ともユダヤ人の血を引く共産主義者なのでナチスのスパイになれるはずはなかった(p.133)。なんでも利用して非難するわけです、スターリニストはw

 ナチスによるクリスタルナハトはポーランドに追放されたユダヤ人の親類が復讐のためドイツ人外交官を殺害したことへの報復だったが、その頃まだヒトラーは国外退去を認めていたというのも目ウロコでした。もし米英がパレスチナへの移住、移民受入枠を拡充していたら出国は早まったかもしれないが、拡大したのはドミニカだけだったとか…。

 ソ連は社会ファシスト呼ばわりしていた社民党と手を結んで人民戦線路線に変更したから、ファシストのナチスと友人とになれるということで、スターリンは外務委員のユダヤ人を解任してモロトフを任命。スターリニストのやり口は内包する問題を解決するために秋波を送ることなわけですが、こんなあたりも日共はそっくりですねw少しでも彼らのやり口を知っていれば、誰も乗らないわけですw左翼の系譜をテキストだけで理解しているネット上に散見されるアームチェア批評家たちは、そこらあたりを知らないw

 『ブラッドランド』を読んでると、内部の問題が拡大すると、原因を外部の敵にもとめたり、敵の敵と手を結んだりする姿勢はスターリニスト特有だということが本当によくわかります。そして、口先だけでスターリン批判をして、まったく反省していないということは、未だに自分たちを認めない勢力をトロッキスト呼ばわりすることを辞めない日共の姿勢からもわかると思います。

 にしても、ソ連は、なんと首都の空港に鉤十字を飾ってナチスのリッペントロップを迎えたんですよね。これを記録したのはオーウェルとケストラー。オーウェルはスペイン人民戦線で仲間がトロッキスト呼ばわりされて殺された時点で決別していたが、ケストラーが袂を分かったのはこの時だったとか(p.193)。

 1939年8月23日にモロトフとリッペントロップの独ソ不可侵条約が結ばれたが、その3日前に、ソ連はノモンハンで日本軍を攻撃しており、日独防共協定が無効となっていたそうです。ここら辺が立体的に理解できるようになったところでしょうか。これは戦場での敗北以上に政治的打撃となり、内閣は総辞職。この後、何か月も内閣総辞職は続く、と。

 独ソ不可侵条約の後、日本はヒトラーがスターリンを裏切ることを祈るしかなくなり、独ソの戦争準備を監視するためにリトアニアに領事館を解説して《領事には、ロシア語が話せるスパイ、杉原千畝が就任した》と(p.195)。

 ドイツ兵は、ポーランドは本物の国ではなく、軍隊も本物ではないと教えられていたために、捕虜の扱いを受けられず、ドイツ人を殺した殺人者として扱われた、というんですが(p.199)、ここらへんは南京大虐殺と似たような構図だわな…。

 最初の方にも書きましたが、ナチスが政権をとった直後のドイツ国内のユダヤ人口は少なかったんです。しかし、領地を広げて行くなかで徐々に増加。困ったナチス上層部は独ソ不可侵条約で良好な関係にあり、しかも強制移住のスペシャリストが揃っているソ連に追放しようとしたがスターリンは拒否。仕方なくゲットーを開設ていったんだな、と…。

 ポーランドではトラックから投げ捨てられた手紙が家族の元に驚くべき確率で届けられたそうです。処刑される運命であることを悟ったリシャルト・シュミットは「子供たちに報復させてはいけない。報復は報復を生むから」と書き残したそうですが(p.240)、こんな偉い人はなかなかいないな、と。

 1939年9月から41年6月にかけて、ドイツとソ連は合わせて推計20万人ものポーランド人を殺害し、およそ100万人を強制追放した。モスクワとベルリンの両方はは意図的に社会の上層部を抹殺して従順な大衆だけを残そうとした(p.247)。

 ドイツもソ連も退却や降伏や捕虜になることは許されなかったというあたりは、生きて虜囚の辱めは受けずという戦陣訓は日本だけではなかったんだな、と。むしろ『大脱走』のような映画がつくられる西部戦線だけだったのかもしれません。

 なにしろ、スターリンは捕虜になった者は脱走兵とみなし、家族を逮捕すると発表したそうですから。スターリンの息子がドイツ車に捕まると、彼はその妻を捕らえさせた。退却できないために包囲されて捕虜になるソ連兵が増え、人間以下の存在としての扱いを受ける結果になったそうです。

 なにせドイツ軍は50万人のソ連兵を銃殺、260万人を餓死させたそうですから。ドイツ軍の捕虜になれば銃殺されるか餓死するかしかないとわかったソ連兵はかえって激しく抵抗し、国民もまだ自分たちの政権の方がましだと思いはじめていた(p.291)というんですから、地獄の沙汰もなんとやら。

 ソ連への電撃作戦が失敗して、ヒトラーの取巻きはご機嫌をとるためにユダヤ人の身体的抹殺を進めます。当初、ナチスはマダガスカルに追放しようとしたんですが、イギリスの了解を得ることができなかったために果たせず、ソ連占領後はウラル山脈以東に追放しようとしていたが強烈な反撃で果たせず、膨大になったユダヤ人を持て余した、みたいな(p.295)。

 皮肉にもソ連秘密警察による大量殺人の証拠を最初に掴んだのはナチスドイツだった。あとはプロパガンダとして利用された。ナチスはこうした残虐行為はユダヤ人によってそそのかされた(共産党員のユダヤ人比率は確かに高かった)ものとして宣伝していった、と(p.309-)。

 下巻も、ドイツ占領下の地域で亡くなったユダヤ人はおよそ540万人に上る。その半数はモロトフ=リッペントロップ線の以東の地域で、ほとんど銃弾により、一部がガスによって殺された。残る半数はモロトフ=リッペントロップ線以西で、ほとんどが餓死により一部が銃弾によってとかキッツイのが続いてます(p.51)。

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