« 『なつかしい時間』 | Main | 宝塚のこと »

October 08, 2015

『「昭和天皇実録」を読む』

Showa_tennou_jitsuroku_hara

『「昭和天皇実録」を読む』原武史、岩波新書

 膨大な『昭和天皇実録』をひとりで読むわけにはいかないので、どうしても専門家の方々の書いたものを通して間接的に読むということになると思います。ということで実録に関しては、半藤さんたち文藝春秋グループのまとめ『昭和天皇実録の謎を解く』に次いで二冊目。

 ということですが、原武史先生の『昭和天皇実録を読む』も面白かったです。

 興味深かったのは皇太子時代から戦後も続いたカトリックへの関心と、無産政党の支持者や植民地の人々に対して「一君万民、一視同仁」の立場から温情的な対応を政府に求めていたあたり。

 一撃論で降伏を延ばしただけでなく、全く見込みがなくなった終戦間近にも、対米英に対する徹底抗戦を主張していた皇太后に促され、宇佐と香椎神宮に敵国撃破の勅使を派遣したことを昭和天皇は悔やみ、特に香椎神宮は勅使派遣後一週間で距離的に近い長崎に原爆を投下されたことから、神道を捨てカトリックに帰依することで反省を示すことも検討、とまで原さんは書いています(p.203)。

 また、後に張作霖爆殺事件の時に叱責した田中義一に対しては、彼が導入しようとした小選挙区制度に反対であり、無産政党の直接行動を抑えるためにも社会民衆党や日本労農党が躍進することが望ましいと考えていることを伝えていました(p.97)。

 プロテスタントの多かったであろう米軍機の乗組員によって、長崎原爆は狙ったかようにカトリック浦上天主堂の上空で爆発、周辺に住んでいた1万2000人の信徒のうち8500人が死亡したにもかかわらず、永井隆は、この「燔祭」によって平和がもたらされたとしたのですが、昭和天皇はここらあたりに神道に欠けていた信仰の力を見出したらしい、など美しい誤解もあったようで…。

 正直、どちらもキモいと思うのですが、とにかく九州でのカトリックの状況も調査したとか(p.193)。昭和天皇はローマ法王から、カトリックは反共であり過激思想に立ち向かうと直々に聞かされており、戦後もプロテスタントのアメリカに協調しつつも、アメリカ軍の占領中はプロテスタントに対抗できるチャネルとしてカトリックを評価していた、ということなんでしょうか(p.203)。

 このあたりを中心に、いつものように箇条書きでまとめてみますと…。

 昭和天皇は幼少の頃、1年のうちの3ヶ月を沼津御用邸で過ごし、実母、皇后、実の祖母、実の曽祖母、大正天皇の妹にあたる四人の叔母、後に鈴木貫太郎の妻となるキリスト教徒の足立タカ、双葉幼稚園をつくった野口ゆかなど女性に取り囲まれて過ごしていたそうです(p.14-)。

 また、昭和天皇は1901年4月29日に生まれた後、6月には小林シゲ、10月には増田タマ、12月からは石黒ヌイと次々と乳母に預けられています。お抱えのドイツ人医師は『こんな残酷な風習は廃止されるべき』と日記に記すほどでした(p.24)。

 ちなみに、昭和天皇は生まれてから3年間、毎月、真言宗律師雲照という京都・仁和寺門跡の僧侶から健康祈願の加持を受けています。父である大正天皇は明治天皇から生まれて唯一育った男子でしたが、大病して死にかけ、晩年にはその影響もあって心身共に健康ではありませんでした。大正天皇の時には、出雲大社の分霊を取り寄せたそうですが、これが効かなかったから宗旨替えしたという、実にプラグマチックな対応を天皇家はみせていますw

 しかし、昭和天皇はあまり宗教には熱心な方ではなかったようです。皇太子は天皇が新嘗祭の儀式を行うところを間近で見なければならないのですが、昭和天皇が立太子した後に大正天皇が体調を崩したので、夕方から未明までかかる長いこの儀式を一回も見ていないそうです。マニュアル化されていない儀式が伝承されなかったことで、後に重大な欠陥も生じます(p.57-)。

 キリスト教については幼少の頃のに周りにいた女性たちからの影響もあるようですが、決定的だったのは21年に昭和天皇が皇太子として訪欧した際の出来事。ローマ法王ベネディクト15世は1919年に起こった朝鮮での3.1独立運度にカトリック教徒が全く関係しなかったことに触れ、カトリックの教理は確立した国体・政体の変更を許さず、平和と秩序のために過激思想に対して奮闘と売り込んだそうです。つか、ローマ法王、政治的すぎるだろ、その対応はw

 昭和天皇は幼少の頃からキリスト教に接していましたが、この時カトリックとプロテスタントの違いについて知ったそうです。とにかく、ローマ法王側は念入りな準備で待ち構えていたそうで、ローマ法王直々にカトリックは国体を変更しないと言われたことが、後になって効いてくる、と(p.64)。『昭和天皇実録の謎を解く』でも《昭和天皇は最後までローマ法王庁の斡旋による回避を探るとともに、ドイツの単独講和を恐れていた(p.187)》、というんですが、これが終戦工作にも関係します。

 今上陛下もビリヤード好きで、昔は町のビリヤード場には必ず四つ球を撞く写真が飾られていたが、昭和天皇も大正天皇もビリヤード好きとは知りませんでした。にしても、摂政として初めて迎えた新嘗祭もビリヤード三昧でやらなかったり、女性との間の噂なども出る、とは…。

 昭和天皇は21年に帰朝後、その年の年末に摂政となるのですが、翌22年の新嘗祭はビリヤードなどで遊んでいて行わなかったそうです。

 しかし、その後、皇族の死が相次ぎ、23年には関東大震災が発生するに及んで、皇后から強い意向もあってか、混乱の中で実施することに(p.74-)。

 この初の新嘗祭の後、昭和天皇は難波大輔によって狙撃されます(虎ノ門事件、23年12月27日)。永井荷風の断腸亭日乗にも書かれているように、難波は昭和天皇かビリヤードなどで遊んでいた松山で許婚者を『枕席ニ侍ラセタルヲ無念ニ思ヒ』と記し、大本教の出口王仁三郎も口述でこの噂に言及しています(p.76)。

 原武史さんは、高松宮日記を引用して、難波の出身地から近い三田尻の毛利邸に仕えるこの女性と高松宮が、会っている、とまで言及しています。ちなみに国会議員であった難波大助の父は、事件後、食をたって餓死しますが、その地盤を継いだのは昭和天皇の嫌いな松岡洋右でした。

 神功皇后が歴代天皇から外れ、神武から大正までの123代の歴代天皇が確定したのは、大正天皇の死のたった2ヶ月前のことというのは知りませんでした。

 大正天皇の不在が長引き、皇后の存在感が増してきたことから、昭和天皇はホッとして、この決定を行った関係者を集めて三度も慰労したとか(p.85-)。

 大正天皇は死去するまでの5年間、姿を見せなかったため、一気に可視化された昭和天皇への直訴が相次いだそうです。これを加速させたのは全国行幸。また、直訴が収まる32年からは血盟団事件や5.15事件など直接行動が増加したのは無関係ではなさそう、と原さんは指摘しています(p.90-)。

 昭和天皇は政治に対する関心は極めて高く、一君万民、一視同仁の理想や、無産政党の直接行動を抑えるためにも社会民衆党や日本労農党が躍進することが望ましいと考え、田中義一にもその旨を伝えていたというのには驚きました(p.97)。

 田中義一を呼びつけて無産政党の躍進を望むと伝えたのは、彼が導入しようとした小選挙区制度に反対だったから。後に張作霖爆殺事件の時に叱責したのも、元々、田中義一の政治手法に疑問をもっていたから(p.98)。田中義一は叱責された後すぐ死んでしまうんですが、さもありなんと思いました。

 31年に発生した台湾原住民である霧社セデック族の武装蜂起事件に関し、昭和天皇は牧野内大臣に対し《新領土の人民に対する統治官僚の態度は甚だしく侮蔑的、圧迫的》として、無産政党への支持の時と同様、一視同仁を貫こうとした、と(p.112)。

 田中義一によって陸相となった宇垣一成が朝鮮総督に新任する際《朝鮮人に対して侮蔑の言動をなす者が多いと聞くが、それは宜しくない》ということで宇垣の考えを御下問した、というのにも驚きました。しかも牧野内大臣からは、事前に統治方針に関する発言は重大な結果をもたらすと忠告していたのですが、昭和天皇は従わなかった、というんですから(p.112)。

 ちなみに、宇垣陸相が誕生する時は、薩摩閥で陸軍三長官を歴任した上原勇作が押す福田雅太郎との争いとなり上原グループは敗北します。しかし上原は田中義一に対して、張作霖爆殺事件で真相隠蔽をはかることで一矢を報います。

 この盧溝橋事件後、昭和天皇の地方行幸は取りやめとなり、君民一体の場は宮城前だけに限定されるが、その代わり、それまで一時間の時差があった宮古・八重山と台湾の時差をなくして時間支配を強める、これによって特定の統一された時間の皇居遥拝が可能になったといいます(p.121)。

 軽いエピソードですが昭和天皇は29年、関一市長の大阪を訪問。その計画的な都市計画に驚き、タイガー計算器も買い上げ、選挙速報の数字などを打ち込んで、自らグルグル手回ししながら計算していたそうです。ちなみに、大阪は家電製品の普及が東京より進んでおり、私鉄も関西の方が1970年代までは進んでいたとか(p.104)。


|

« 『なつかしい時間』 | Main | 宝塚のこと »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/62435641

Listed below are links to weblogs that reference 『「昭和天皇実録」を読む』:

« 『なつかしい時間』 | Main | 宝塚のこと »