« 『プラトンとの哲学』 | Main | 『骨が語る日本人の歴史』 »

September 11, 2015

禅譲のための『伽羅先代萩』

Kabukiza_201509ffl

 今月の歌舞伎座は『伽羅先代萩』の通しを見てきました。普段は「竹の間」「御殿」せいぜい「床下」ぐらいまでしかかけられませんが、今回はお家騒動の発端となる「花水橋」(けっして面白い段ではありませんがw)と、後半には「対決」「刃傷」までの通しとなっています。

 『伽羅先代萩』は元々、人形浄瑠璃。それが明治中期ぐらいに歌舞伎に移されて、六代目中村歌右衛門さまによって、乳母政岡は女形の最高峰の役となりました。

 歌右衛門さまが女帝として君臨していた頃、歌舞伎座で政岡の役を演じられるのは歌右衛門さんぐらいでしたし、地方の小屋でも弟の芝翫さんか、ライバルの梅幸ぐらいしか出来なかったんじゃないでしょうか。

 それは歌右衛門さんが政岡をつくりあげたから。人形では細かな動きができない飯炊き(ままたき)の場面を細かく長くし、我が子・千松の亡骸に寄り添って「でかしゃった」とクドク場面でも踊りの要素を入れる。最後に千松を殺した八汐を刺して御簾が下りる場面も、八汐を刺して決まってチョンだったのを、さらにきまり直して正面を向いてからチョンと析が入って御簾が下りると直したり、と徹底的に彫り込みました。

 そうしたこともあり、玉さまが許されて95年に歌舞伎座で政岡をやった時は「監修・中村歌右衛門」と前書されていました。これによって女帝の座も禅譲されたわけですが、そうした歴史を振り返ると、今回は沖の井を演じた尾上菊之助への禅譲の儀式の始まりという感じを受けました。

 今回は松島がいない文楽の本に沿った配役なので、沖の井が余計目だったこともあるけど、菊之助にはこれから歌舞伎の女形を背負っていくのは自分だという気概が感じられました。決まる形もいちいち美しい。「決まるためにはキチッと止まらなければならいんだな」というのもよく分ります。

 それにしても、9/9の舞台では、事件があっんですよ。

 ♪跡には一人政岡が奥口窺ひて♪と太夫が語った後、千松の亡骸に寄り添って「コレ千松、よう死んでくれた、でかしゃった」で長いクドキがはじまるんですが、あまりの長さに子役が寝ちゃったんだろうな…胸の辺りで組んだ手が下にずり落ちそうになって、ハッと我に返って戻そうとするんだけど、また動いてしまうことが二三回あったんですよ。

 客席から笑い声もでたんですが、そこからの玉さまが凄かった。

 覚悟を決めて「三千世界に子を持った」から「子の可愛さに毒なもの食うなと言うて叱るのに、毒と見たらば試みて、死んで死んで死んで、死んでくれいと言う ような胴欲非道な母親がまたと一人あるものぞ」と狂い舞う!

 玉さまの政岡は3回目なんですが、壊れそうになった舞台を一人で立て直しましたた。凄い場面を見られて良かった。

 とはいっても全体的には、次の政岡は菊之助に渡すよ、という「禅譲のための『伽羅先代萩』」みたいな感じの舞台でしたがw

 他の役者ですが、細川勝元の染五郎はなんか軽いだけだったかな。御曹司系では好きな役者なので、もう少し軽さと余裕の違いを出せるようにして欲しい。松貫四は悲惨。相変わらずセリフは何言ってるのかわからないし、声も周りと比べて二段階ぐらい小さい。秀山祭も10年一区切りでいいんじゃ…。

|

« 『プラトンとの哲学』 | Main | 『骨が語る日本人の歴史』 »

「文化・芸術」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/62258817

Listed below are links to weblogs that reference 禅譲のための『伽羅先代萩』:

« 『プラトンとの哲学』 | Main | 『骨が語る日本人の歴史』 »