« 『李鴻章』 | Main | 『昭和天皇実録の謎を解く』 »

May 02, 2015

『袁世凱』

Ensegai_iwanami

『袁世凱』岡本隆司、岩波新書

 小泉首相の靖国神社訪問や野田内閣の尖閣国有化などに際し、中国本土では反日デモが暴徒化しましたが、それを見ていると、官製という感じもするけど、どこか中央の統制が効かない危うさも感じていました。その理由のひとつは、清末以降、地方を抑えるのに中央政府が苦労しているからなんだろうな、ということを改めて岡本隆司先生の『李鴻章』と『袁世凱』を読みながら感じました。

 とにかく、今年2月に出た『袁世凱』はいろんなところで書評をみかけました。

 日経の書評を読むと、今年は第一次世界対戦のどさくさに紛れて大隈重信内閣が21ヵ条要求をしてから100年目だということに想いを致しました。中曽根康弘元総理でさえ《中国に対しては難題を吹っかけ、無礼なこともやった。また、インドネシアをはじめ東南アジアに軍を上陸させて占領し、食糧やら燃料を取りに行った。これも無辜の民を傷つけて侵略だった》と『中曽根康弘が語る戦後日本外交』で語ってるぐらいですから(p.79)、まあ、向こうの人は忘れんわなと思います。

 エコノミストの書評は、強権化を目指す北京の中央政府と、面従腹背の地方という対立構造は今も続いていることを強調していました。

 舛添都知事が電気新聞で書いた書評でも、袁世凱は李鴻章に続いて中央集権国家による富国強兵を目指したが、中央と地方の分裂でどうしようもなかったとして《中国人の国家帰属意識の希薄さは、古代から現在まで続いていると言っても過言ではない》と指摘しています(ゴーストライターだとは思いますがw)。

 清末の中央と地方の分裂がいかに深刻かという一例は、義和団事件が発生した際、西太后らが義和団に一縷の望みをかけて列強に宣戦布告したのに対し、上海の提撫(中央政府から派遣された知事)は列強と素早く相互不可侵で合意して、列強の軍隊による破壊を防いだということに象徴されると思います。北京などには付き合ってられない、というわけです(p.111)。

 清朝の自殺ともいうべき義和団事件の後始末をつけたの李鴻章ですが、賠償金の支払いなどは地方に転嫁され、やがて民間資本で建設を進めていた鉄道を国有化しようとします。そして、これが最後の引き金になって各省は独立を宣言。清朝は消えゆくように消滅します。

 天津を北京の海側の出入り口として開発したのはクビライからだったといいますが、大発展を遂げたのは、天津を所轄する袁世凱が義和団事件の後、8ヶ国連合国から、施政権が返還されて、そこで新政を行ったからだというのは知りませんでしたね(p.120)。

 清代には警察権力はなかったといいますが、わが袁世凱は治安維持を目的に巡警の組織に取りかかります。この部分を読んで、文系の学者さんたちは警察権力とか嫌いだろうから、警察権利一般の研究ってあまり進んでないのではないかとハッと気付いたのですが、どうなんでしょ(p.123)。

 このほか、袁世凱は税制改革にも乗り出します。

 川田稔『戦前日本の安全保障』を読むと、中国でも袁世凱以降の権力は、独立と同時に関税自主権などの不平等条約を改正しようとしていたというんですね。でも、アジアで唯一、江戸期から資本主義へのテイクオフが準備されつつあった日本は、独立と関税自主権は別だと本能的に理解していたから、欧米と話があって、協議も徐々に進められたのに対し、中国ではその分離が分からず一気に進めようとして撥ねつけられた、というんですね。明治時代の政治家は欧米の理性を信じたのに対し、またもやヘーゲルを出して恐縮ですが、中国では《理性が内面性を獲得していない》から、そうした交渉ができなかったのかな、と。

 川田稔先生によると山県有朋は、日英同盟で英国が「米国との関係は除外する」と言ってきたことから、むしろ日露協商によって中国の権益を米英から守ろうとしたが、ロシア革命でこの構想は水泡に帰したという経緯と、そこで何回目かの日支友好路線に走るが、袁世凱の死や段祺瑞の失脚で失敗する、としています。

 日本現代史は『失敗の本質』以降「戦前と戦後の連続性」が通奏低音になっていますが、中共が李鴻章や袁世凱による清末の洋務運動会の試みを認めないのは、それを認めると中国社会の限界ばかりが強調されて、日本による侵略が全て悪かったからというストーリーに齟齬をきたすからなのかな、ということもこの二冊の本を読みながら思いました。

 GW中に読まれるのでしたら、やはり年代順に『李鴻章』『袁世凱』の順をお勧めいたします。

|

« 『李鴻章』 | Main | 『昭和天皇実録の謎を解く』 »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事