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April 29, 2015

『李鴻章』

Li_koushow

『李鴻章』岡本隆司、岩波新書

 今年に入って、もっとも新聞の書評欄で取り上げられた本のひとつは岡本隆司先生の『袁世凱』でしょう。岩波新書では日本近現代史と中国近現代史というシリーズがあり、清末から明治維新にかけての歴史の中で李鴻章と袁世凱が取り上げられていますが、それはともに編年体的歴史としてまとめられたものです。紀伝体で中心人物を中心に歴史の動きを見ていけば、より深くこの時代を知ることができるというわけで、順序からして『李鴻章』から読み始めました。

 それにしても、清朝の命運を一手に任され、北洋艦隊を作り上げ、それを日清戦争で一挙に壊滅させられ、老体に鞭打って下関条約交渉で訪れた日本では暴漢に狙撃されるなんていう災難をよく我慢できたわな、と思います。しかし、この時、李鴻章が我慢できたのは、下関条約でいったんは日本側のムチャクチャな要求を呑んだフリしながら、実は裏で三国干渉を画策していたからなんです。

 日本側も交渉相手としては李鴻章しかいないし、その李鴻章はフランス、ドイツ帝国、ロシア帝国にも信頼されていたからこその芸当なわけです。そんな曲芸みたいな外交を成功させたという手腕は凄いんですが、結局、それによってロシアの南下を招き、最終的には自国で日露が戦争することを招いてしまったというのは策士策に溺れるといいますか、壊滅的な敗北を招くことになるんですね。

 しかし、清朝が破滅したのは直接的には日清、日露で日本が勝ったからなんですが、本当の理由は中国社会が自身で改革できなかったからであり、その土台というのは、いまの日本の経済を支える大きな柱にもなっている中国人の便座まで爆買いするようなことに象徴される、自国への不信ではないでしょうか。

 ヘーゲルが歴史哲学でコキ下ろしたみたいに《理性が内面性を獲得していない》とまでは言いませんが、李鴻章が感じ、改革できなかったジレンマが、まだ中国にはあるのかも。そしてそれが、今でも現象面として現れているのが中央政府への不信感ではないでしょうか。

 日清戦争で日本側がいまひとつ理解できなかったは、日本が勝ったのは李鴻章率いる北洋軍であり、中国全体は負けていないという感覚だったと言われています。

 これは自分なりに勝手に描いている大ざっぱな中国の歴史なんですが、禹の黄河治水事業から始まった中国は、隋の時代に黄河と長江を結ぶ大運河が完成したことでイノベーションといいますか内発的な発展がストップし、宋代からは完成期といいいますか漢民族の没落が始まり、以降は清末まで少数の騎馬民族の支配に基本的には甘んじた、というものです。

 クビライが即位した1260年には中統元宝交鈔(中統鈔)という銀の兌換紙幣まで発行するほどの経済発展はありましたが、久しぶりに漢民族の王朝となった明はなぜか貿易を制限して経済発展を疎外させます。清朝は50万人の満洲人が一億人の漢人を支配したんですが、そのような奇跡が可能だったのは、華夷の分離と貿易の制限という明朝の理念・政策が時代から見放されたからだ、といいます。だから、清朝は円滑に統治するために、種族・地域ごとに慣例的な制度をのこした華夷一体、多種族共存を目指したそうです(p.11-)。

 中国の歴代中央政府はどうやってカネを集めていたかという、それは茶や塩の専売制度。これを元に茶引、塩引という手形も生まれますが、原価の数十倍以上の税金をかけて財源としていたために、もちろん密売が蔓延ります。

 太平天国の乱と同時期に発生した捻軍は実は塩の密売団体が元。中央政府にカネがないから、こうした叛乱に制裁を加えられないということから各地元で有力者が多少ダークなカネを使って軍を整えていく、ということにつながります。

 にしても清朝は通貨管理もしようとしなかったというんですから驚きです。そうなると民間の当事者同士が、ルールを決めて、違背したものには制裁を加える団体をつくらざるを得ません。それが幇(パン)、行、会。構成員からみるとこうした中間団体こそが権力に等しい小さな国家だった、といいます(p.18)。もちろん、人の世の常として秘密結社のような組織も生まれ、そうした組織がアヘンの流通を担います。

 こうした組織を背景にした私設軍隊には捻軍のように反政府の立場のものもあれば、李鴻章が師事した曾国藩の准軍のように中央政府側のものもある、と。

 捻軍や准軍も密売や徴税のための中間団体が基礎になっていますが、実はそうした中間団体というのは科挙を通じて中央に官僚も輩出するという機能も持っていました。科挙の制度が整備されたは宋代からだと思いますが、歴史を動かすようなイノベーションが終わった後、効率的な統治が求められて科挙の価値が高まり、それが弱まっていく一方の中央政府と、実権が強まっていく地方を結ぶ糸になっていたのかもしれません。もちろん曾国藩も李鴻章も科挙には優秀な成績で合格しています(袁世凱はドロップアウト)。

 第2次大戦前までの中国の軍閥の成立とか直感的にいまでも分からないし、朱徳と毛沢東の関係も分からないんですが、朱徳は単にたまたま毛にくっついた地方軍閥として理解すればいいのでしょうかね。といいますか、あまりにも中央政府にカネはないし腐敗もしているので、それぞれの地方で勝手に武装して外部対抗と内部統制をするしかなかったのかな、と。

 人民解放軍も元は地方の軍閥を地盤としていると思いますが、彭徳懐が率いた湘軍第5師第1団を元に北京を警備する任務を与えられて天安門事件の大虐殺を行った38軍などを除けば、やはり今でも国民国家の軍隊とするための『愛国教育』が必要なんでしょうかね(多少、迷惑な話しではありますがw)>

 大谷正『日清戦争』岩波新書でも書かれていますが、1879年の琉球処分を清は朝貢国琉球の消滅と受け止めて危機感を高めました。そして李鴻章は朝鮮に清と朝貢冊封関係を保ったまま欧米諸国と条約を結ぶよう勧めます。李鴻章は朝鮮策略では、南下を続けるロシアを防ぐため、中国に親しみ、日本と結び、アメリカとつらなり自強を図るべきと考えていたんです。そして根拠地からの税収などを元に北洋艦隊まで整備して、日本に寄港して威圧するんですが、これが日本にはあまり効かない…。

 困ったでしょうね、李鴻章は。

 いったん朝鮮王朝からは日本勢力が駆逐された状況でも、日本側は日清両国軍の撤退という強硬な要求を行ったりするんですから。この事態にも李鴻章は英国の説得もあって忍耐強く撤兵します。しかし、ついに東学党の乱をキッカケに日本軍との戦闘に入ってしまいます。

 著者はこれを李鴻章最大の失敗だと指摘します。事実、日本に敗れた清朝は最後、得体の知れない新興宗教的な義和団に乗っかって自滅。事態を収拾した袁世凱に皇帝を名乗られてしまいます。

 英露対立というグレートゲームが世界を覆う中、まるで代理戦争のように日中は戦い、清朝は滅びますが、夜郎自大となった日本も最終的には米英に壊滅的な敗北を喫します。

 そうした清末の外交・政治を一手に担い、報われない努力を重ねた李鴻章の気持ちは臨終の漢詩「秋風の宝剣に孤臣涙す」の心境だったろうな…と思いますよ。

 にしても、中国の歴代王朝は塩を専売として原価の数十倍以上の税金をかけて財源としていた、というあたりで、田中小実昌さんの『岩塩の袋』という短編小説を思い出しました。

 『岩塩の袋』は田中さんの実体験を元にした小説で、太平洋戦争の末期に中国の南京に着いた田中さんたち初年兵は、重い背嚢を背負わされて、貴重なものだから何があってもこれだけは捨てるなといわれて、中国の奥地に行軍していくんですが、途中、川を渡ったり、大汗をかいたりして目的地に着いた時には中身の岩塩は塩気がなくなって捨てるしかなかったという話です。

 そのときに田中さんはマタイ伝の《汝らは地の塩なり、塩もし効力を失わば、何をもてか之に塩すべき、後は用なく、外に捨てられて人に踏まるるのみ》という言葉を思い出すんですが、李鴻章は清朝にとって地の塩だったのかもしれません。

 とにかく『李鴻章』と『袁世凱』を読むと、中国にとっての日本は、永遠の大患だという認識がよくわかります。

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