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March 11, 2015

『村 百姓たちの近世 日本近世史シリーズ2』

Mura

『村 百姓たちの近世 日本近世史シリーズ2』水本邦彦、岩波新書

 岩波新書の日本近世史シリーズの2巻目は『村 百姓たちの近世』。このシリーズ、戦後間もなく生まれた団塊の世代の著者5人が執筆するというのと、通史を扱う3巻のほかに「村」「都市」という空間を扱う2巻を組み合わせる構成となっているのが特徴。

 いま、古川貞二郎元内閣官房副長官が日経で「私の履歴書」を連載していますが、1934年に佐賀県で生まれた古川さんは、58年に卒業した九州大学に在学中も実家の農作業の手伝いは欠かさなかったそうです。そうした昔の人たちが持っていた、あるいは筆者たち段階の世代までは持っていたような農村へのリアリティというのは確かに失われていて、現代のぼくたちから見る江戸時代の農村というのは、幕末などににやってきた西欧人が物珍しく眺めるような世界なのかもしれません。

 18世紀後半にオランダ商館付きの医師として来日したスウェーデン人のツュンベリーの描写する農村は耕して天に至る勤勉さに支えられているもの、人間や動物の排泄物を肥料として大量に利用しているため《そこから生じる蒸気(アンモニア)の刺激で大勢の人々、とくに高齢者は目を真っ赤にして目やにを出している、と。有機肥料の「エコ社会」は、眼病の蔓延する社会でもあった》と描写しています。

 ちなみに、江戸時代の都市では空っ風による埃で眼を患う人間も多かったと聞いていますが、4巻目の「都市」では、そんなことも触れられるんでしょうか。なんとなく、江戸時代の盲人の比率が、同時代のヨーロッパなどと比べてどのぐらい高かったのかみたいな研究を読みたくなってしまいました。

 それはさておき。

Mura_community

 2巻を執筆した水本さんですが、図と表、イラストの使い方がうまいと感じました。

 例えば村の世界観。

 宗教学者の宮家準先生の概念図を紹介してくれていますが、村の田畑は里山の肥料となる下草が獲れることが維持の条件となっていることも含めて、素晴らしい図だと思います(p.17)。

 さらに、これを生産物を中心にフロー図に変えたのが p.146の資源循環利用のクローズドシステムの図。これを見るとアウトプットとしての年貢の割合がシステムの維持に大きな影響を及ぼすことがわかりますが、逆に系内消費を上回る系外への移出量の多さは、このシステムが高い効率で機能していたことの証左だとして、農民の労働生産性の高さがうかがえるとしています。

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 では、どれぐらい有能かというと、それでも地方の有能な農家の場合、収入から支出を差し引いた粗利の割合は銀換算で0.7%程度(紀伊国の例)。さらに米を食える日は正月や節句など年26日で、朝はキビの雑炊で、昼は大麦。利益は出ているが常に凶作、飢饉を想定して節約していた、というんですから大変です。

 さらに高崎藩の例では赤字になっていましたが《不足分は食費を節約することや、農間余業に精を出すことで解決せよ》ということで、養蚕業やタバコ栽培などで生活していたようです(p.156)。でも、米をつくる百姓が中心ではないというのは網野先生的には自明の理だったんではなかったのかな…と思ったりもしますけど、やっぱり網野先生の百姓定義は通説になっていないんでしょうかね。

 しかし、こうした効率的な循環型社会も、人口増と開発限界によって里山が失われ、魚などの金肥(お金を出して購入する肥料)が必要になってきます。

 それによってクローズドシステムが崩壊するとともに、金肥を買える上農と買えない貧農の格差も拡大していったとのこと。

 しかし、江戸時代の農村は、戦国時代の水利や刈敷・草木灰などを隣村と争った戦国時代と比べて、農業に専念できる良い時代だったと篤農家が書いているように、悪い世界ではなかったのかもしれません。だいたい、江戸時代の農家はマルクスが『資本論』で高く評価していますし。

 先日、宝塚でスウェーデンのグスタフ三世を主人公にしたミュージカルを見てきたんですが、先ほど紹介したツェンベリーは18世紀のスウェーデンと日本を比較して、多数の領主が重なりあって農家を支配し、さまざまな賦役や兵役など生の労役を課す農奴制の社会と違って、日本の農民は十分な余裕をもって農業に専念できるから生産性が高い、と書いています(p.201-)。日本の農家も河川改修などに駆り出されることもあったわけで、美しい誤解も含まれているようですが、それでも、マルクスが高く評価する側面は確かに持っていたと思います。

 また、富農への奉公は江戸初期には年季奉公が主流だったが、やがて日雇いが主流になっていくというのを読んで、人間の考えることは、封建社会でも高度な資本主義社会でも同じだな、と感じる。そして社会が効率の限界に近ずくと格差が広がるあたりなんかも同じだな、と感じました。

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