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December 14, 2014

『天災から日本史を見直す』

Tensai2

『天災から日本史を見直す』磯田道史、中公新書

 『武士の家計簿』が有名な筆者が防災史を書いたのは意外な感じを受ける方が多いと思いますが、それは母親が1946年の昭和南海地震の被災者だから。徳島県牟岐(むぎ)は《日本有数の津波常襲地である。大津波が何度もきて、そのたびに村人は屍体の山を築き、津波から逃げきれた者だけが子孫を残してきた土地である》という紹介は迫力ありすぎ(p.152)。

 筆者によると津波から自力で逃げられるのは学齢に達した6歳以上の子が多く、逆に体重が重いわりに幼く、母親が抱いて逃げようとすると負担が大きいのが4~5歳児。だから母子による津波避難訓練は大切で、避難所の高台まで、親子で訓練を兼ねた夜のピクニックなどを提案しています。

 このほかにも1586年の天正地震は家康を討とうとした秀吉の前線基地、大垣城を襲って兵糧米を失わさせ、先鋒を期待されていた山内一豊も長浜城一帯が火の海となって出陣どころではなくなったために和睦したというんですね。小牧・長久手の後始末の話しはややこしくてよくわからないのですが、こう考えるとスッキリと理解できるかな、と。

 文書だけでなく地形や気候、災害が与えた影響というのをもっと考えると歴史は面白くなるよな、と改めて思います。

 さらに秀吉は1596年の伏見地震でも九死に一生を得たのですが、地震被害に激怒して方広寺に自ら建立した大仏に弓を引いたといいます。その後、秀頼が「国家安康」の鐘を寄進して滅ぶわけですから、方広寺は豊臣氏にとって鬼門だったようですね。

 2013年にフィリピンのタクロバンを襲ったスーパー台風による高潮被害には驚かされましたが、大阪を1934年9月に襲った室戸台風は上陸時の気圧が911ヘクトパスカルというお化け台風で、大阪湾の潮位は3.2メートル上昇、死者1900人を出しています。また、1959年の伊勢湾台風も上陸時の気圧が929ヘクトパスカルで名古屋港の潮位を3.89メートル上昇させました。

 さらに1828年のシーボルト台風は、おそらく5メートルもの高潮を呼び、佐賀藩の人口の2.8%にあたる1万285人が死んだといいます。こうした大きな被害が鍋島閑叟の改革を呼んだのではありますが…。

 この本は朝日新聞の連載を元にしていますが、奥付11月25日になっているのに、今年10月発生した東海道線の土砂崩れのことを書いているのには驚きました。さらに、驚くのはその現場が150年前に同じような土砂崩れが発生していた古文書が残されていたこと。その記録は1857(安政4)年7月に発生した「庵原郡西倉沢村山崩れ被害届」。四軒が全壊、五軒が半壊となり即死者が2人出たという災害で、記録では村人が役人に《薩た山には危うい場所もあったが、村の裏山はこれまで山崩れなどもなく、油断していた》と語ったといいますが、台風18号の影響による土砂崩れで東海道線が10日間不通となった土砂崩れの現場はその西隣だったそうです。

 巻末の被災地の地名一覧にある市町村は、過去にどんな被害を被ったかを各自治体が調べるべきレベルにあると思います。

 朝日新聞の連載から間を置くことなく新書化した中公新書の編集はナイス!

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