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December 06, 2014

『海戦史に学ぶ』

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『海戦史に学ぶ』野村實、祥伝社新書

 来年は第2次世界大戦での敗戦から70年目を迎え、制服の戦闘体験者はもちろん、民間の戦争体験者も少なくなってきています。ましてや、海軍兵学校を優秀な成績で卒業し(次席)、海上勤務も経験した(戦艦武蔵、空母瑞鶴)ような人物による海戦史が書かれるようなことは、もうありません。

 この本は、1983年に防大教授となった筆者が生徒の戦史に関する知識が不十分であることを痛感し、史実を一般人にも正確に伝えるため、わかりやすく平易にまとめた本。とはいっても、このような優れた類書を読んだことがなく、全ての人が基礎的な知識として蓄えておくことは有益だと思います。

 手にとったのは第一次大戦中の帝国海軍の実戦に関する本というのが、一般書籍ではあまりみかけなかったのに13章のうち2章を費やして「第5章 ドイツ太平洋艦隊との海戦」「第6章 地中海のドイツ潜水艦戦と日本」として基本的な情報をまとめてくれていること。例えば、なぜ第一次世界大戦時の地中海対独潜水艦隊作戦があまり日本では知られていないかというと、海軍兵学校の欧州戦争海戦史にも触れられてないから。華々しい海上決戦に目を奪われ、地味なシーレーン防衛作戦を無視したから、と。ぼくなんかが初めて読むのも無理はないのかも…。

 第一次大戦について最初にふれると、8月3日の第一次世界勃発直後、イギリスは当初、日本が宣戦布告することなく、ドイツの仮装巡洋艦の攻撃から連合国のシーレーンを保護することのみを希望したが、シュペー司令官率いるドイツ太平洋艦隊の所在が不明になると、8月12日になって日本の対独戦に同意したというんです。これはインド洋と太平洋のシーレーンが脅かされたため。特に「エムデン」がシギリス経済を支えるインド洋で暴れ回ったいた時期でもあり、日本の4個艦隊の派遣は難局を救う決定的な要因となった、と。

 第1次大戦時の帝国海軍にはこれといって華々しい戦果はないんですが、むしろFleet in being(艦隊は存在することが潜在的な脅威であり、存在するだけで敵海上勢力の自由な活動を妨げるという戦略)そのものとして手厚くシーレーン防衛を支えたことで評価されるんですね。第一次世界の地中海対独潜水艦隊作戦における帝国海軍の海上出動率は72%と英の60%、仏伊の45%を上回るほどの優秀さで、目を瞠ったイギリスは艦艇を貸したとか。

 しかし、なんで、そのことをもっと大切にしなかったのかな、と。いくら日本海海戦のありえない完勝が忘れられなかったとしても…。ドイツ降伏後は戦利潜水艦7隻が日本に分配され、帝国海軍の潜水艦建造の基礎となったんですが、シーレーン防衛という貴重な教訓は活かせなかったし。

 なお、地中海で連合国のシーレーン防衛に当たった駆逐艦『榊』『松』は3266人の兵員を輸送していたトランスシルバニア号がドイツ潜水艦隊に魚雷攻撃を受けた際、戦闘速力で爆雷攻撃を行いつつ兵員を救助。敵潜からの第二魚雷を後進全速でかわすなどして、3000名を救助とか熱すぎます。英国の朝野はこの人命救助に沸き、第11駆逐艦隊司令の横地中佐など士官7名、下士官20名がジョージ五世から叙勲されます。

 この後、ワシントン海軍軍縮会議と日英同盟の話になっていくんですが、アメリカが日英同盟にあくまで反対したのは、ワシントン条約で5:5:3の比率にして日本の軍艦の比率をさげても、日英同盟が存続したままでは、いざとなると日英8米5になるとして反対していたんだそうで(p.212)。ぼくの理解力がないせいかもしれませんが、これまでワシントン条約と日英同盟について近現代史の先生が書いた本をかなり読んだつもりですが、こんなにわかりやすい説明はありませんでした。

  閑話休題ふたつですが、第2次大戦で大戦果をあげた「グラフ・シュペー」はもちろんシュペー司令官にちなんで命名されています。また、第1次大戦勃発時にはメキシコ革命の真っ最中だったんですね。で、日本やドイツも含む列挙はこぞって軍艦を派遣していたんですね。

 「第1章 日本開国と北太平洋の海戦」が良かったんですよ。

 ペリーと同時期にロシアのプチャーチンも長崎に軍艦四隻を率いて入港して通商交渉を始めたというのはよく知られていますが、奉行の要領を得ない態度に虚しく3ヵ月も停泊したというのはまずかった、と。東京湾で示威行動を行ってフィルモア大統領の親書を強引に手渡したペリーの方が凄かった、というんですが、プチャーチンがペリーに、日本開国に向けて協調してことにあたろうと書簡を送ったのは知りませんでした。

 それは、当時、クリミア戦争の前哨戦となる露土戦争が勃発して、もしイギリスとフランスがトルコに味方したら、極東でも英仏の艦隊と戦わなければならなかったから。もちろんペリーは拒否するんですが、こういう話もあったとは…。

 しかも、実際、この後、英仏の連合艦隊は極東のペトロパブロフスクに攻撃を加えているんですね。この攻撃は失敗するんですが英国は長崎と函館(対ロシア)に軍艦が寄港することを幕府に認めさせ《日本沿海の制海権はイギリス艦隊の手中に帰した》と(p.30)。

 《樺太北部の海域は世界の地理学上、北極や南極を除くともっとも遅くまで不鮮明であった》(p.35)ということでロシア艦隊はアムール川の奥深く隠れて英仏からの攻撃をやりすごしたそうです。

 また日本が開国の時に列強の植民地とならなかったのはイギリス海軍のおかげだと筆者は評価します。クリミア戦争を有利に戦うという意図の、駐日公使オールコットはロシアに領土を割譲しないようにすることを最大の使命としていたそうで。

 1861年4月にロシア艦隊が対馬の芋崎浦に船体修理を口実に停泊し、井戸を掘って永住の構えを見せ、占領しようとしたとき、英国のシナ方面艦隊が対馬に急行して武威で退去させたのは9月でした。オールコットは対馬をイギリスが占領しようと考えますが、シナ方面隊のホープ中将は、それをやれば列強が争って占領することになり、かえって国益を損なうと反対したともいいます。

 「第3章 日露戦争のシーレーン防衛」では、日露戦争時のウラジオストク艦隊による6回にわたる日本沿岸攻撃が、日本の世論を混乱させ、函館ではパニックまで起きたことを描きます。司馬遼太郎も『坂の上の雲』でウラジオ艦隊を捉えきれない上村艦隊のことについてはかなりの頁を割いていますが、シーレーン防衛という面からの視点は弱かったように思います(まあ、司馬さんは戦車部隊にいた陸軍でしたが)。NHKの『坂の上の雲』でも、この部分は描かれていなかったような。

 艦隊というのは圧倒的な力で、弱い相手を叩く時、一番攻撃効果が現れます。それがシーレーンの攻撃ですが、急に国際社会に仲間入りした日本では、その認識が甘く、ウラジオ艦隊に好き放題やられてしまった、というのが筆者の評価。

 ウラジオ艦隊が函館をパニックに陥れたことは太平洋戦争開戦時に、山本五十六が、真珠湾作戦を強硬に主張する理由となったそうです。帝国海軍が先にハワイを攻撃せず、逆に米艦隊が日本を急襲したら、またパニックになって日本の士気が低下する、というのが山本の論拠だったそうで、なるほどな、と。

 著者がこの本で最も言いたかったことは地味なシーレーン防衛こそが重要であり、Fleet in beingであることの重要性もそこから生じるということではないでしょうか。

 「第11章 太平洋戦争のシーレーン防衛」では、帝国海軍が組織としてシーレーン防衛の発想を持っておらず、それは帝国陸軍がロジスティクスの重要性を分かっていなかったこととパラレルの関係にあるのかな、と思いました。よく戦略的思考と戦術的思考の違い云々なんてことが言われますが、ロジスティクスを守るシーレーン防衛の重要性が組織としてキチッとしていれば、ドイツ頼みのまさかの対米英戦に打って出ることにもならなかったんじゃないでしょうか。

 大本営では勝っている時には、フィジー、サモアを結ぶ線を抑えてアメリカとオーストラリアのシーレーンを遮断してオーストラリアを孤立させる、という稀有壮大な「FS作戦」なども構想されますが、これも自分たちのシーレーンが守れるのかという根本からの問いかけがない作戦だと思います。

 だいたい「帝国軍の用兵綱領」では敵主力艦隊を撃滅して速戦即決を図ることが目的とされており、太平洋戦争突入時の、ABCD包囲網に対抗するため南方の資源を占領して《ヨーロッパにおけるドイツの優勢に期待しながら、長期戦を耐え抜こうとした》という発想は、真逆のものでした。

 そして南方からの資源を輸入する南西航路のシーレーン防衛も《アメリカ海軍は潜水艦作戦の経験が少なく、またアメリカ人の気質が、苦しい潜水艦作戦に不適であろう》ということから楽観的な予想しかしていなかったというあたりは情けないを通り越して悲しい気がします。

 ただ、真珠湾攻撃で魚雷格納庫が破壊されたため、米国海軍は最初の1年間、深刻な魚雷不足に悩んだのと、信管の問題で爆発しなかった魚雷が多かったという僥倖によって、うまく日本の商船隊は守られていました。しかし、そうした問題が解決されると米国潜水艦隊は近海、比島、南シナ海、台湾海峡、南洋群島、東印度諸島、朝鮮近海、南太平洋と満遍なく日本の商船隊を攻撃することになります。この表の万遍のなさは、相手のシーレーンを完全に叩くという強烈な意志が感じられます(p.319)。

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 しかも、最後は主要港を機雷封鎖するという念の入れよう。これは「絶対に必要物資を入れさせない、送らせない」ことが最も重要だという戦略的発想があるからなんでしょうね。

 筆者の太平洋戦争の評価は《日本の敗戦の最大要因は、B-29の対日戦略爆撃を防止できなかったことと、シーレーン防衛に失敗したことである。シーレーン防衛に失敗した理由は、空母を中核とする海上の主作戦と対潜作戦に敗退したこと》と明快(p.328)。

 それにしても近現代戦というのはシーレーン攻撃みたいに圧倒的な武力によって、商船隊とか兵員輸送船みたいな抵抗出来ない部分を叩きまくり、国力を弱体化させることなんだな、と改めて思いますね。帝国陸海軍は決戦主義的発想による敵戦闘能力の殲滅にこだわっていて、戦闘能力が実は戦争遂行能力であることを見抜けなかったのかな…。

 海軍三長官全てを経験した永野修身が43年11月にシーレーン防衛のための海上護衛総司令部をつくったとき「今に至って海上護衛総司令部ができるということは、病が危篤に陥って医者を呼ぶようなもの」と挨拶しているのは、滑稽というより怒りを感じます。

 しかも、それまで兵力を南方に運ぶ船は帰りはカラ、南方から資源を持ってくる船は行きがカラなのに、敗戦間際まで一体運用してなかったとか、情けなさすぎ。一体運用のための海軍総監部が発足したのは45年5月とかアホなの…。

 また、帝国海軍が潜水艦を対戦艦、対空母との決戦用使い、シーレーン攻撃には使いませんでした。これについてニミッツからは「古今の戦争史において、主要な兵器がその真の潜在威力を少しも理解されずに使用されためずらしい例を求めるとすれば、それはまさに第二次世界大戦における日本の潜水艦の場合である」と書かれる始末…。

 「第12章 第二次大戦後の海戦を考える」では、フォークランド紛争の時、アルゼンチン空軍のミサイルはよく英国海軍の船に命中したが、不発弾が多くて助かったというのが書かれていて、なるほどな、と。フォークランドみたいな近い海域での戦闘になんでアルゼンチンが負けたのかというのは考えてみれば不思議だったんですが、国民をいたぶるぐらいはできても、実弾演習などをケチッていたから実戦で役に立たなかったというのは、開発途上国の独裁政権らしいわ…とはいっても、日本の旧軍も戦闘機や回天などによる特攻隊でも不発弾が多かったというのは、笑えませんが…。敵に突っ込んでいって、それが不発だったというのは、無念を通り越します…。

 「第13章 戦後の日本海上兵力を考える」では南シナ海におけるカムラン湾の重要性を強調するなど、筆者は先見の明を持っているな、と感じます。実際、米国海軍はロシア海軍が去った後、艦船訪問していますし。

 ということで、終わりにします。

 これも読んだモン勝ちの本だと思います。

[目次]
第1章 日本開国と北太平洋の海戦
第2章 日清戦争と黄海海戦
第3章 日露戦争のシーレーン防衛
第4章 日本海海戦
第5章 ドイツ太平洋艦隊との海戦
第6章 地中海のドイツ潜水艦戦と日本
第7章 ハワイ海戦
第8章 ミッドウェー海戦
第9章 マリアナ沖海戦
第10章 比島沖海戦
第11章 太平洋戦争のシーレーン防衛
第12章 第二次大戦後の海戦を考える
第13章 戦後の日本海上兵力を考える
解説(戸田一成)

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