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December 31, 2014

『田辺聖子の小倉百人一首』

Tanabe_ogura

『田辺聖子の小倉百人一首』角川文庫、Kindle版

 今年は小倉百人一首をよく読んでいました。

 いまさら「むすめふさほせ」(一字きまりの七首)などを覚えようとは思いませんでしたが、「かるた」もなかったので、任天堂のを求めて付録についている解説の「しおり」を持ち歩いて、電車の中で読み返して味わっていました。

 小倉百人一首は藤原定家が「承久の乱」の後、武士が世の支配者となった時に選んでいます。直接には関東の豪族で京都に別荘を持っていた宇都宮入道蓮生の「襖に和歌の色紙を貼りたい」という求めに応じて、百首を選んだのがはじまり。

 藤原定家は「幽玄にこそ聞え侍れ」の藤原・千載和歌集・俊成を父に持ち、若い頃から「世上乱逆追討耳ニ満ツトモ、之ヲ注ゼズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を決め込む非政治的な公家でした。

 しかし、その生涯は政治に翻弄されます。

 後鳥羽院から新古今和歌集の選者の任を受けますが、やがて歌の取捨をめぐって対立。鎌倉右大臣(実朝)の通信教育なども行っていたこともあり、後鳥羽院からは歌合わせへの参加も禁止されてしまいます。

 しかし、なんとその直後、後鳥羽院は承久の乱に破れて壱岐に流され、子の順徳院も佐渡島に流されます。一方、武家の世界を生き抜けることになった定家は、第九勅撰和歌集となる「新勅撰和歌集」をひとりで撰進。

 しかし、そこでは優れた歌人であった後鳥羽院、順徳院の歌を入れることができず、私撰の小倉百人一首の最後を二人の歌で締めるという、といういかにも複雑な性格を持つ定家らしい追悼の仕方で自身の歌業を終えます。

Fujiwara_ason

 小倉百人一首は本来、読むものではなく、暗唱して味わうものでしょうが、落語の「ちはやふる」「崇徳院」などを聞いても、江戸時代の庶民も意味もわからず覚えていたことがうかがえるから、改めて勉強しなければならないのも仕方ないのかな、と。まあ、元旦には久々にかるたを並べてみようかな、と思っています。

 解説では田辺聖子さんの『田辺聖子の小倉百人一首』が素晴らしかったな。

 源氏物語の口語訳では与謝野晶子訳が一番素晴らしいのと似ていて、関西出身の作家が持つ文化の深さが感じられます。

 最後に、一番好きな歌を。

ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ いまは恋しき
藤原清輔朝臣

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