文楽『双蝶々曲輪日記』
『双蝶々曲輪日記』(ふたつちょうちょうくるわにっき)を国立劇場で見物してきました。
歌舞伎では何回も見物してきましたが、人形浄瑠璃では始めて。
歌舞伎が人形浄瑠璃から本を移す場合、役者中心に書き換えるということはよくわかっていますし、さらに、通俗化というか、時の権力に睨まれないように、化粧するというのも分かっていましたが、『双蝶々曲輪日記』は特に、そうした意識が強く感じられました。
この作品は難波の町衆のパワーを描いた『夏祭浪花鑑』(もちろんこれも歌舞伎に移植されています)の4年後に、同じ三大狂言の作者たちが、再び結集して、町人による社会改革までも展望して描いたのではないでしょうか。
なにせ、『双蝶々曲輪日記』では、主人公である相撲取りの濡髪(ぬれがみ)が、恩ある若旦那の恋路を卑劣な手段で邪魔立てする武士を二人ともバッサリと切り捨てるんです。迷いなく。
さらに、さすがに覚悟を決めた濡髪が最後に母親に別れを告げにいく場面でも、濡髪を引っ捕らえれば武士にひきたてようと言われている庄屋が、追っ手を巻き、落ち延びる手順まで教えて幕なんですから。
相当、身分制度に楯突いている感じがしますよね、作者の二代目竹田出雲、三好松洛、初代並木千柳は。
これが歌舞伎に移されると廓上がりの女房が機転を効かせる九段目の「引窓」あたりが、人情話的に上演されるばかり。あと歌舞伎では二段の「相撲場」がつっころばしの面白さでよく上演されますが、武士への反感、身分制度に対する町人の不満といった要素は捨て去られています。
まあ、歌舞伎の演目も単独で見物して嫌いじゃないんですが、原作がこうなっているとは思ってもみませんでした。
また、自分の不勉強さを知った1日となりました。
義太夫では豊竹嶋太夫さん、三味線では野澤錦糸さんが良かったかな。
あと、人間国宝、吉田簑助さんが廓上がりの都を操っているのを見ることができたのは良かった。細かな動きが、体幹のしっかりした動きの中で表現されていて、違うな、と。「引窓」では、やはり彼女が主演なんだな、と。
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