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September 30, 2014

花組『エリザベート』宝塚大劇場公演

Elizabeth_poster

 『エリザベート』の宝塚大劇場公演を見物に行ったのですが、なかなか感想をまとめられないというか、素晴らしすぎて、どこからいったらいいのか…という感じで、ここまできてしまいました。10月11日からは東京公演も始まるということで、書いてみます。

 『エリザベート』は19世紀末に暗殺されたオーストリア=ハンガリー二重帝国の皇后エリザベート(愛称シシィ)の一生を描いたミュージカル作品です。そのエリザベートを暗殺したイタリア人、ルキーニが狂言回しとなって舞台は進んでいきます。自由主義思想が浸透する中で育ったエリザベートは、従兄弟である皇帝フランツ・ヨーゼフに見初められて結婚しますが、最初から古いしきたりとの確執が続き、皇太子ルドルフをはじめ子供たちは全員、皇太后ゾフィーによって厳しすぎる環境の中で育てられることになります(ルドルフは実際に不安定な人格となり自殺。まあ、これはハプスブルグ家が続けてきた近親婚が要因のひとつとも言われていますが)。

 しかし、ハンガリーで独立運動が高まる中、なぜかハンガリー贔屓で超絶な美人であったエリザベートは、その美貌でハプスブルグ家を救います。こうしたエリザベートの人気に危機感を抱いた皇太后を中心とした宮殿官僚は、フランツ・ヨーゼフに浮気をそそのかすなどして二人は別居状態に。当時としては珍しい皇帝夫婦が別々に暮らす「キッチュな」生活が続きます。

 『エリザベート』がミュージカル作品として画期的だったと思うのは、様々な困難の中で絶望して自死を考えるエリザベートに、「死」の概念が人格を持って現れることではないでしょうか。そして、物語はエリザベートが死(ドイツ語でトート=Tod)と向き合い、それを乗り越えるという流れになっています。宝塚版では、死を「黄泉の帝王トート閣下」とさらにわかりやすく人格化を進め、エリザベートとトートが最後は愛し合うという流れになっています。さすがオペラの本場らしく、上映権料さえ払えばプロダクションは自由に任せてくれるということか、宝塚版ではこうした潤色が素晴らしい効果を出しています。

 ドイツ語版も見たのですが、エリザベートの美しさは宝塚版が圧倒しているじゃないでしょうか。16歳のシシィをウエスト90cm近い太ったプリマドンナ風の方に演じられるのは、正直キツイです。宝塚の娘役(時々、男役も挑戦していますが)の可憐さは世界の中でも突出しているんじゃないですかね。

 これで卒業となる蘭乃はなさんは、花總まりさま似の容姿と精一杯の歌唱で演じていました。過去のエリザベートはDVDでしか観ていないんですが、花總まりさま、白城あやかさま、大鳥れいさまに次ぐパフォーマンスだったと思います。ガラコンサートでは4人目のシシィとして呼ばれることもあるんじゃないでしょうか。

 明日海りおさんのトート閣下は美しい。でも、新人公演の柚香れいさんの美しさはタカラヅカニュースで見て腰を抜かしましたから、東京の新人公演が楽しみです。二人がトートとルドルフで「闇が広がる」を歌い踊るシーンは今回のエリザベートのハイライトでした。バウ初主演の『ノクターン』の時も感じたんですが、自分で解決できないような、若いが故に考えても仕方ないことを眉間にシワを寄せて苦しげに悩む姿が印象的。こうした切なさを表現させたら柚香れいさんは、いま一番ではないでしょうか。

 今回、見ていて気がついたんですが、トート閣下が現れる場面というのは、エリザベートが落下する時が多いんですよね。

 最初はおてんばなシシィが綱渡りに失敗して転落する場面。死ぬべき人間としてトートの前に現れたエリザベートに閣下は一目惚れして、自分を自由意志で愛してもらうために生き返らせます。そしてシシィが転落から目覚める場面になるんですが、舞台はレンブラントの絵画のような照明と人物配置。今回の公演で通算200万人を動員したのは、こうしたひとつひとつの場面の美しさなんじゃないでしょうか。

 この後も、「私だけに」を絶唱して倒れたり、鏡の間で凄いドレスで降りてきたり、皇后時代に体型を保つためにやっていた平均台から落ちたり「上から下」にエリザベートが動くと、必ずトート閣下が現れるんですよね。なかなかの演出だと思います。また、鏡の間からエリザベートが真っ白なドレスで降りてくるのは、フランツ・ヨーゼフ皇帝を美ぼうで平服させたという第二の結婚式という意味なのかもしれません。教会の結婚式でも白いドレスは着ますが、すぐに舞踏会の真っ赤なドレスに早変わりするんですね。そして、倒れてトートに再び夢の中で出会い「怖い」とヨーゼフに抱きつくんですが、その時から「皆んなが見ているから、皇后らしく振る舞いなさい」とたしなめられるんですわ。

 名曲揃いの「エリザベート」なんですが、ルキーニ役の望海風斗さんが歌う「キッチュ!」は強烈。みせかけのハプスブルグの威厳、美貌を保つために世界中の大使館からその国の美女の写真を送らせるエリザベート。全てが「キッチュ!」だと。この場面では着物姿で踊る華耀きらり(かよう・きらり)さんが、すごくキレイでした。

 すれ違いの皇帝夫妻が最後まで理解し合えないと歌う『夜のボート』も好き。

 最後に、『エリザベート』はルキーニが煉獄で裁かれているところから始まりますが、このカトリックの概念について『中世とは何か』J.ル=ゴフではこんな説明をしています。教会は罪を犯した人々が天国に行くまでの時間をすごす煉獄という概念を発明することによって、煉獄で受ける苦しみは生者の代祷や寄進によって軽減されるというメカニズムを生み出し、世俗の分野が拡大したことによる収入減を補おうとします。しかし、現世的な目論見から始まったこの概念によって人類は時間と空間の中で一つになった、と(p.200)。ル=ゴフは煉獄と教会によるその概念の発明を必ずしも悪いものとはとらえていない。煉獄とは、天国か地獄かというオール・オア・ナッシングではなく、誰でも自覚している罪の意識を、天国に上るまでに味わう多少の苦しみで相殺できる、という概念であり、それは一般の人々に安心感さえ与えたのではないか、という。地において、また天においても、希望を求めつづける心がある限り煉獄とは、希望でもある、と。

 美智子さまと雅子さまに『エリザベート』を見て欲しいです。

 宮廷に翻弄されても自分らしく生きていく、という「私だけに」でも聴いてほしい。

♪嫌よ おとなしいお妃なんて
なれない かわいい人形なんて
あなたのものじゃないの この私は
細いロープたぐって登るの
スリルに耐えて世界見下ろす
冒険の旅に出る 私だけ
義務を押し付けられたら
出て行くわ 私
捕まえると言うのなら
飛び出して行くわ
鳥のように解き放たれて
光目指し 夜空飛び立つ
でも見失わない 私だけは
嫌よ人目にさらされるなど
話す相手 私が選ぶ
誰のものでもない この私は
ありのままの私は宮殿にはいない
誰にも束縛されずに自由に生きるの
例え王家に嫁いだとしても
生命だけは預けはしない
私が生命 委ねるそれは私だけに
私に♪


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