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August 10, 2014

『全体主義の時代経験』

Zentaishugi_fujita

『全体主義の時代経験』藤田省三、みすず書房

 ハンナ・アレントなどによる「全体主義」という概念を、戦後の日本的資本主義に応用したのが、この本。

 初版は94年。バブル崩壊という第二の敗戦を、「安楽」を追い求める生活態度と安直なカネ儲けの姿勢が原因であり、それはシステム化された「生活様式の全体主義」に基づくものだ、と断言しています。バブル崩壊から20年後に、初めてそうした状況を乗り越えられそうになった今、改めて当時の批判があてはまるかな、みたいな感じで読んでみました。

 さて、日本的資本主義のどこが全体主義と似ているのか。《かつての軍国主義は異なった文化社会の人々を一掃殲滅することに何の躊躇も示さなかった。そして高度成長を遂げ終えた今日の私的「安楽」主義は不快をもたらする物全てに対して無差別な一掃殲滅の行われることを期待して止まない。その両者に共通して流れているものは、恐らく、不愉快な社会や事柄と対面することを怖れ、それと相互的交渉を行なうことを恐れ、その恐れを自ら認めることを忌避して、高慢な風貌の奥へ恐怖を隠し込もうとする心性である》(p.5)。

 そして「安らぎを失った安楽」が出現する、と。

 試練に耐えて獲得された物には成就の喜びや「物語」を伴うが、完成された製品によって営まれる生活圏は経験を生まず、「成就ではなく一過性の享受」の楽しみしかもたらない、と(p.8)。そうなると《克服の過程が否応なく含む一定の「忍耐」、様々な「工夫」、そして曲折を越えていく「持続」などの幾つもの徳が同時にまとめて喪われている》(p.10)。 さらに自己克服の喜びがなくなると《競争者としての他人を「傷つける喜び」が衝動として現れる》ことにもなる、というのが第一論文『「安楽への全体主義』(p.14)。

 第二論文『全体主義の時代経験』はハンナ・アレントの論考に沿って進みます。アレントは「二十世紀は難民の世紀」としていますが、それはナチスがやった、ユダヤ人のように社会の内に居場所を持つことが許されない者を大量生産、拡大再生産する政治体制を生み出した、と(p.19-)。しかし、それがやっかいなのは、妖しげな大衆的「魅力」を持っていたからだ、と。

 それによって《第一次世界大戦中に交戦各国の国民の間に「ナショナリズム」の異常な昂進が国家史上始めて起こ》ることになります(p.26)。そこに動員されたのは「社会結合なき大衆」であった、と(p.30)。さらに知識人でさえ《無社会状況の中で方向感覚を失った「実存」の刹那決断主義が自暴自棄の衝動的熱狂をもって自らに対する「鉄の箍」を求めて飛び込んでいった》と(p.37)。

 こうした熱狂は対ソ戦の初期、カルパチア山脈でユダヤ人村を隈無く探し回ってモスクワへ向かう時間を無駄に浪費するみたいな失敗をドイツ軍に生んだのかもしれません(p.43)。

 そして対独戦を勝利に導いたのは、皮肉にもかつての教会支配が思想内容のスケジュールへの単純化をカテキズムとして発明したという《カソリック教会支配の大衆化とともに考案されたものが20世紀にイデオロギー形骸化の任務を帯びて再生されたのは歴史の狡智であり、その変質を発明した》スターリンということになったのです(p.46)。

 第三論文「ナルシズムからの脱却」では、ナルシズムの本質は、ナルキッソスの故事のように池に映った姿が《いつまで経ってもその映像を腕に抱くことが出来ないところから来る》というのはなるほどな、と(p.69)。「現代日本の精神」での、ペットというのは「自分を撫でているのと同じ」というのも鋭いな、と(p.105)。しかも、ペットは自由な状態じゃないから、実はノイローゼになっており、同質性だけを好む社会の及ぼす「摩滅」作用の心理的側面だ、と。

 あとは印象に残った言葉を…。

 《「まばゆいばかりに西欧文化の豊かな伝統」を包含していたマルクス主義》(p.20)など、マルクス主義に対する評価は高く、ローザ・ルクセンブルグに対しても『資本蓄積論』で資本主義は前資本主義的「自然経済」地域の広汎な存在を自己のために必要不可欠にしていたと鋭く指摘していたとしています(p.40-)。

 《ロシアではロシア革命のはるか以前から民族問題は最大の問題》だったというのも、なるほどな、と。スターリンによる《言語、地域、経済生活、及び文化の共通性の内に現れる心理状態の共通性を基礎として生じたところの、歴史的に構成された人々の堅固な共同体である》というスッキリした民族に関する定義も、こうした伝統によるものなのかな、と(『民族問題と社会民主主義』)。

 《凡そ制度なるものの唯一の特徴は、それが一定程度の安定性を保障するところにこそあった。”悪法すらが無法より勝る”と言われるのもその故であった》(p.34)。

 《そもそも第一次大戦のときから日本は”漁夫の利”と世界中からいわれ、戦後の高度成長の出発点も朝鮮戦争の特需景気でした》というのは、まったくその通りで、付け加えるとすれば、高度成長が長く続いたのは、ベトナム戦争の恩恵でした(p.93)。

 政治の課題というのは、もうハッキリしているから、実は《政治というのは後れたものなんです》というあたりも、なるほどな、と(p.98)。

 《革命を夢みることのできた我々の世代より、今の若者にはむしろ高い哲学が必要とされていると考えられる》p.136。

 《敵はまかり間違っても君を殺すだけだ。友人はまかり間違っても君を裏切るだけだ。無関心の支えているところのものによって取り巻かれたら、虐殺と裏切りが横行するのだ》p.143。

 《踏むべき礼は踏まなければならないというのが石母田正の精神であったに違いない》p.181。

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