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March 09, 2014

『指導者とは』

Nixon_leaders

『指導者とは』リチャード・M・ニクソン、文藝春秋ライブラリー

 それにしてもニクソンはたいした人物ですね。

 母親こそ金持ちだったようですが、父親はなんでも屋の店主という出身で、兄弟たちの病気もあって苦学して弁護士となったという出自は、大統領までになった人物としては当時としてもかなり異色だったらしいです。志願して海軍に入り、士官として第2次大戦の終戦を迎えた直後に下院から出馬して当選。その後、上院に鞍替え。6年後の1952年には、わずか39歳でアイゼンハワーの副大統領候補として選ばれたというんですからなかなか。

 若いながらも副大統領として、自身の1~2世代上のチャーチル、ドゴール、マッカーサー、吉田茂、アデナウアー、フルシチョフ、蒋介石と深く親交を結び、大統領時代には周恩来、毛沢東などとも外交交渉の場で長いやりとりをします。儀礼的な役割が多い副大統領だったからこそ、伝説的な人物たちと、これだけの邂逅があったんだと思います。

 それぞれの指導者たちについては読んでもらうとして、政治家ニクソンとしての書き置きとも言うべき最後の「指導者の資格について」は、現代のマキャベリともいうべき彼の深い人間洞察と、絶望しつつも、現実を変えるのはこれしかない、として取り組んだ政治活動、選挙に関する箴言にあふれています。

 究極の権力者である米大統領職を追われた身であり、もうどうでもいいと思っているためか、《フィッツジェラルドは、百万長者は常人とは異質の人間だと書いたが、私は巨大な権力を握る人々もまた異質の人物であると考える》あたりから、ダークな魅力にあふれています。

 《偉大な指導者と呼ばれる人たちの大部分は、自分なら他者よりもはるかに巧みに権力を行使できると信じ、行使するために権力を欲した人々なのである》なんていうあたりも、すごいな、とw

 《陰険、虚栄、権謀術数などは一般的に悪とされるが、指導者にはそれはなくてはならない。ある種の陰険さがなければ、たがいに対立する派閥をまとめていくという政治に不可欠な仕事はできない》《学者は、うわべだは高潔だが、かといって心の底から高潔かどうかは大いに疑わしい》なんてあたりも素晴らしい。ただし《完全に私利ばかり図る者》はだめだ、と。

 《偉大な目標が他の場合なら許せない手段によってしか達せられないとき、それを使うな、と言うのもバカげている》とまで書いて、そうした態度はリンカーンでさえとったのだ、と《マキャベリの書いている現実が、まさにいつわりのない現実であり、人間が政治においてもビジネスや私生活においても、道徳を規範として行動しないからだ》という1864年の彼の手紙を引用しています。

 そして一度決断したことに思い煩うな、として《あすの決断に備えて十分に考えるための唯一の道は、きのうの決断を早く過去のものとしてしまうことである》というあたりは、宮本武蔵か、とw

 《地位を欲し、その地位を手に入れるためには犠牲を払うだけの心構えを持たなければ、人は指導者たることができない》として、その際に重要なのは国民の「バカを許す」心の余裕だとまで書きます。庶民は、庶民が大統領になってもらうことを望んでいないので、わざと庶民的に振る舞うことは不自然だが、かといって、支持を与えてくれる人を軽蔑するような振る舞いは避けよ、と。凄いw

 指導者がする妥協の多くはあす闘うための妥協、なんてあたりも一度はどん底を味わったニクソンならでは。

 と同時に「取り巻きの連中が悪かった。自宅に招かれたら自分が仕留めた象の足のスツールに座られた。趣味が悪いんだ」とニクソン側近について語った宮澤元首相の言葉も思い出しました。

 名著を復活してくれた文藝春秋ライブラリーはこれからも期待しています。

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