« 『指導者とは』 | Main | 歌舞伎座の演目が本当にツマラナイ »

March 15, 2014

『ヅカファン道』

Zuka_fan

『ヅカファン道』中本千晶(著)、牧彩子(イラスト)、東京堂出版

 ぼくはまだそんなことないのですが、宝塚のファンの方というのは贔屓が出ている公演には20~30回も行くそうです。

 といいますか、この本によると「通う」んだそうです。

 これは何かに似ているな、と思ったんですが、サッカーのサポーターですね。

 サポーターに関しては、佐々木毅先生が『政治の精神』で《サッカーや野球の観戦についていえば、高額な切符と交通費を使い、しかも、かなりの時間を割いて出かけるというのは、どのような費用と便益のバランスシートを想定しているのであろうか。どう考えてもそれより家で寝転がり、無料のテレビ中継で観戦するのが経済的合理性に合致するように思われる。それにもかかわらず、こうした現実が続いているのは、費用と便益との区分けがないか、あるいはこの両者が融合しているからではないか。ゲームへの臨場感もさることながら、そこへ行くまでのうきうきした気分や仲間たちとの試合の予想やそれを機縁とした会話、評価兵家し難い共感と盛り上がりなど、そこには「それ自体意味がある、やりがいのがある」といったことがあるのではないか、それを一度味わった人と味わったことのない人の間には超えがたい完成の違いがあるのではないか》と書いています。

 確かビル・ゲイツが「年収が100万ドルから1000万ドルに増えたあたりまでは物質的にも豊かになっていく実感はあったが、それ以上は同じだ」みたいなことを語っていて、なるほどな、と思ったのですが、ある程度、社会が豊かになると、経済便益原理だけで行動は図れないことは、行動経済学の言う通りだと思います。

 佐々木先生によと、こうした「追求と獲得」とが一体となっている行為の世界では費用・便益区別論自体が有効性を失うとことをA・O・ハーシュマンは論じたそうですが、確かに世の中には《ある個人が彼を利するような便益を集合的行為から調達する方法は、彼自身の投入量を増やしてゆくこと》しかない世界が存在すると思います。それがサッカーのサポーターやヅカファンなのかな、と。

 中本千晶さんが《外野として向き合うのではなく、一員として「一緒に走っている」のだ。チケット代という参加費を払って》というタカラヅカ・ワンダーランドの世界も同じで、勝手に所属意識を持って主体的に行動することが求められているんでしょう(p.25)。

 サッカーのアナロジーで笑ってしまったのは同じ女性として励ましてもらえるような存在であるならば、宝塚ではなく、「なでしこジャパン」でもいいではないかという疑問に関しては《さすがの彼女たちもウィンクで胸キュンとはさせてくれない》というあたり(p.39)。

 個人的には、ファンクラブというNPOに宝塚はよりかかりすぎだとは思うけど、劇場への送り迎え、お茶会と称するシティホテルの大宴会場を借り切っての交流会などを組織するようになったという姿は、ドラッカーが「非営利組織」の重要性を語っていった時代とパラレルだと思います。

|

« 『指導者とは』 | Main | 歌舞伎座の演目が本当にツマラナイ »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/59296921

Listed below are links to weblogs that reference 『ヅカファン道』:

« 『指導者とは』 | Main | 歌舞伎座の演目が本当にツマラナイ »