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January 25, 2014

『宗教と権力の政治「哲学と政治」講義2』

Sasaki_religion_and_politics

『宗教と権力の政治「哲学と政治」講義2』佐々木毅、講談社学術文庫

 佐々木毅先生の哲学と政治に関するレクチャー本の下巻。講義1がギリシア哲学だったのに対し、講義2はキリスト教を中心とした宗教と政治の関係。

 吉本隆明さんで育ったような自分としては、後から「宗教も哲学だった」ことを発見したんですが、とりあえず、ギリシア的なポリスでの生活では、政治にどう関わるかというプラグマティックなところから「哲学と政治」の問題が浮上するんだけど、やがてポリスの行き詰まりとともに、ソクラテスやプラトン流の「自分の魂を救う方が重要だ」という方向となり、ローマを経て、ヨーロッパは信仰共同体となります。

 これはによって《古代の政治共同体が宗教的要素を一つの機能として組み込んでいたのとはまったく違う体制、権力が誕生した》と(p.51)。

 ローマ的な官僚制と常備軍が失われたヨーロッパに残されたのは、野蛮なゲルマン的自由でした。そこで有効になるのは、残された農耕社会の中での双務契約的な主従関係のみ。そして、唯一、権威として残ったローマ教皇が「コンスタンティヌスの寄進状」という世紀の偽書で神聖ローマ皇帝よりも高い地位を占めるという論拠を得、そこから教皇至上権という考え方を生んだ、と。

 神の国が教皇至上権によって目に見える世界になることは世俗化につながります。観念的に純粋に存在するということであれば世俗化しないですむし、至上権も誕生しません。しかし、あらゆる責任が教会の責任であり、ローマ教皇の責任だと跳ね返ってくる可能性がでてきたことは弱みにもなりる、と(p.47)。なぜなら現実的には教会も腐敗しているわけです。社会のトップに立てば、そうした批判の風当たりが強くなるわけです。

 もちろん当然のように教会の腐敗を糾弾するような集団が出てくるのですが、それが許容範囲内なら、フランシスコ会とかドミニコ会とかの修道院を組織させて、そこに閉じ込めて取り込んでしまうというのが中世のカトリック教会の政治力でした。これって、無所属でも選挙通ったら自民党公認として事後的に認めて金渡して取り込むという最盛期の自民党の手法に似ていて、さすがだな、と感じます。

 とにかく、教皇至上権という教会の権威は様々な挑戦を受けるのですが、それに対してカトリックを理論的に支えたのがアリストテレス的な理性をキリスト教的ドグマに包摂し、取り込むことを意識的にやったスコラ哲学であり、トマス・アキュナスだった、と(p.63)。

 トマスの論議については本を読んでいただきたいのですが、それよりも佐々木先生の《古い哲学はみんなそうですが、人間というものから議論を始めるということはせず、まず物事の全体秩序を問い、その中で人間というのは大体この辺にあるという形の議論の立て方をします》という分かりやすい言葉で書かれたざっくりとした見取り図が素晴らしかった(p.70)。

 トマスは法の支配を重視しますが、残念ながら中世には立法権という概念がなく、法を誰かが定めるという権力がない世界だった、という議論も面白かった(p.97)。

 現代でも立法権は議会にありますが、中世でも、いよいよその萌芽が芽生えます。それはカトリックの公会議。世俗的になりすきだローマ教皇が、しまいには3人も同時に立ったりして混乱するわけですが、これを収めたのがコンスタンツの公会議。しかし、会議によって秩序が保たれたことによってローマ教皇の権威は相対化されます(p.126-)。そして、宗教改革にもつながる、と。
 
 マキャベリに関するの議論では、彼が国家に対して、それまでのres publica(英語ではcommonwealth)ではなく、英語でいえばstateとなる、権力を意味したstatoを使ったというあたりが面白かった(p.172-)。

 また、宗教と政治という問題は「民族浄化」などきわめて現代的でシリアスな問題にもなっています。

 ヨーロッパの場合、中世の《信仰共同体が分裂したにもかかわらず、信仰共同体第一主義だけは残った》という問題から、カトリックvsプロテスタントによる内戦が各地で起き、宗教を口実とした国際的な干渉を呼び起こします。これは近代のヨーロッパだけでなく、現代の中東などでも現実に発生している問題です。

 ヨーロッパでは悲惨な経験をした後、人の内面を剣で強制してはならないという考え方が広まっていきますが、《一つの宗派だけがほとんど支配していた》スペインみたいな地域では、しばらく火あぶりなどを続けるわけです(p.230)。しかし、17世紀半ばのイングランドで宗教は権力と関わらず、権力も宗教には介入しないというモデルができあがった、と(p.254)。

 信仰を復活させようとした宗教改革は、皮肉なことに、こうした新しい社会の仕組みを生み出した、というあたりも皮肉が効いてます(p.258)。

 しかし、中東やアフリカなどで、まだ社会がこうしたところまで成熟していないところでは、大量虐殺を伴う混乱が続いている、と。イスラム教にも宗教改革の動きが出てこないんでしょうかね…。

 佐々木先生は《平和の実現によって平和を課題とする政治学は意味を失ってしまう》(p.260)という言葉でレクチャーを終了するのですが、今の日中間系や、それを扇情的に使う都知事候補が現われるようになったことなどを考えると、退屈な平和が実現されたからといって、それを投げ捨ててはいけないと思います。

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