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December 24, 2013

『地図と楽しむ東京歴史散歩』

Chizu_tokyo

『地図と楽しむ東京歴史散歩』竹内正浩、中公新書

 ちょっと前に読んだ本ですが、『日本史の謎は地形で解ける』竹村公太郎を読んだ後に眺めると、明治時代になっても引き潮になれば広大な干潟が出現していた東京湾の写真などに、関東平野というのは元々、ぐるっと取り囲む山脈から流れ出た無数の川がつくった湿地帯だったんだな、ということが改めてわかります。

 そうした湿地帯を埋め立て、輸送路として堀割を残した工事というのは難しかったと思いますが、幕末、ペリーの二度目の来航に備えて数々の台場をつくったという現場力はたいしたもんだと思います。しかも、昭和になって壊すのにも苦労したほどの堅牢さだといいます。まったく、東京はいくら高層化が進んでも土台は江戸幕府、徳川家康のグランドプランに沿った町のままなんですな。

 田町駅と浜松町駅の間に、タクシーだと通るのが難しいぐらいの天井の低いトンネルがあるのですが、なんだろうなと思っていたら、海岸から芝浦の「雑魚場(ざこば)」に水揚げする漁船用の堀割跡だったんですな…。「なんでも理由ってのはあるもんだ」と感動しました。

 汐留がなんであんなに広大な土地だったのかという理由も解けました。それは鉄道を開通するにあたって、運行部門だけでなく、修繕部門や部品工場などを集中的に整備する必要があったからで、そのために保科、伊達、脇坂などの大名屋敷を潰して土地を確保したんだそうです。

 1940年に皇紀2600年として東京オリンピックが開催と万博が予定されていたことは有名ですが、その会場は晴海と豊洲だというんですね。結局、2020年もあそこらあたりの土地を使わなければならないわけですが、まあ、そういうことなんでしょうね。

 また、羽田の飛行場が本格的な規模で整備されるようになったのは、敗戦後にGHQが「ハネダ・エア・ベース」をつくるために、周辺の1200世帯の住民を立ち退かせたからだというのは知りませんでした(しかも48時間以内に立ち退かせたという)。

 あと、大きな団地のある光が丘にも昔は飛行場だったんですね…。

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