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October 14, 2013

『昭和金融恐慌史』再読

Showa_kinyu

『昭和金融恐慌史』高橋亀吉、森垣淑、講談社学術文庫

 ずっと松元崇さんの本を読んでいるんですが、副読本というか、参考書として『昭和金融恐慌史』を再読しました。

 松元さんの議論の基本は、日清、日露戦争と戦いには勝ったけれども、経済的には負け戦になっていた日本を支えていたのは農村だったということ。今となっては想像もできませんが、明治維新から大正、昭和前期まで日本は農業国だったわけで、選挙権を持っている人間も新潟の方が東京より多かったといいます。

 そして、戦前の日本政府は、こうした豊かな地方に税収を頼り切っていたので、いつか負担が重すぎることを忘れ、農村が疲弊することによって、2.26事件の青年将校などが憤って国家主義的な解決策を目指し、政党政治なども否定され、勝ち目のない太平洋戦争に突っ込まざるを得なくなった、というのが松元さんの見立てです。

 しかし、相対的に見れば、2.26事件当時は「英国を始め合衆国ですら悲鳴をあげている」状況であり、日本が「この調子をもう五年か八年続けていったならば日本は名実共に世界第一等国になれる」と宇垣一成が日記に書いていたほど好調だったということも言えるわけです。

 そういった目で『昭和金融恐慌史』を再読すると、1914年(大正三年)に第一次大戦が勃発すると、直後は恐慌状態に陥ったものの、翌年には「日本の商品に対する要求が急増し、輸出は大幅に伸長するに至った」といいます(p.44)。

 当時は預金が膨張しまくったようですが、それは旺盛なる資金需要があったけれども、「必要な輸入部材(特に設備機械)の入手が困難であるため、やむをえず、投資資金をしばらく遊休せしめねばならなかったという事情」もあったようです(p.51)。このように預金が急増する中「新興成金は、投機に走り、そのための資金を銀行に仰ごうとした」と。さらに銀行も大規模化されず、こうしたこと反動が一気にきた、と。具体的には投機によって1920年は活況を呈したものの、21年には反動がきた、と。

 こうした投機には新興成金だけでなく、《田舎から腰弁当で田吾作が毎日出てきて、『投機用の電話は今日はどうかな』というような調子で、そこで株の売り買いを》するなど、国民をあげて一攫千金を夢見て狂奔していたそうです(p.57)。

 21年(大正九年)の恐慌はなんとか収めたものの、世界中で戦後大反動が勃発、日銀はさらなる銀行救済を行ったのですが、それは《なおやまぬ投機思惑の重大な間接的要因となった》といいます(p.75)。

 そうした中で24年(大正12年)秋に襲ったのが、関東大震災。当時は国家の一般財政規模が20億円余だったのですが、その物的損失は45億円と推算されるそうです。しかし、なお日銀は整理寸前の会社、銀行に対する緊急措置を行なった、と。加えて中国における排日貨運動が激化し、銀塊相場の下落などか重なっていった、と。

 『昭和金融恐慌史』では大正9年恐慌の際に、不健全銀行を淘汰整理すべきであったにもかかわらず、目先の弥縫的救済を行ったために、1927年(昭和2年)の昭和金融恐慌が起こり、さらには29年の世界恐慌に巻き込まれていく、としています(p.283)。

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