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September 03, 2013

『フットボール百景』

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『フットボール百景』宇都宮徹壱、東邦出版

 考えてみれば00年代が終わって、もう3年もたっているわけです。何も新しいことが起こらなかった21世紀も、もう13年が過ぎ、来年には4回目のワールドカップも開催されようとしています。そうした、あわただしく過ぎ去った日々をサッカーという切り口で写真とともに振り返ったのが、この本。週刊サッカーダイジェストに隔週で連載されているカラーの見開き連載120回分から100回を選んで再構成しています。

 たった5年前だけど、この間には東日本大震災という歴史の分水嶺みたいなこともあったし、サッカーの世界でもバーレーン戦を前に《ワールドカップ最終予選に臨む日本代表に関する話題というものが、ほとんど聞かれないし見あたらない》という状態にあったと書かれていたのには驚きました。

 考えてみれば、北京五輪で今の日本代表の中心となる本田圭佑、長友佑都、香川真司、岡崎慎司といった選手が活躍し、オバマが大統領になったのも08年でした。クラブワールドカップがついに日本から離れ、民主党による政権交代があったのが09年。南アフリカで日本代表がベスト16に進み、尖閣諸島沖で中国漁船の衝突事件が起きて日中関係が悪化したのが10年。東日本大震災の復旧復興にサッカーファミリーが立ち上がる中、なでしこジャパンがワールドカップを制したのが11年。ロンドン五輪で男女の代表が躍進し、日中韓の関係がさらに悪化した12年。日本代表が3大会連続で世界最速でワールドカップ出場を決めたけれど、コンフェデでは3連敗を喫した13年と、よくもこれだけのコンテンツがつまったものだと思わせる5年間です。

 しかし、本来は楽しく消費されるはずのサッカー専門誌で連載されたカラフルな本を見つめていると、そこには濃厚に「死」のイメージが刻印されていることに気付きます。

 そのものスバリのタイトル「死とフットボール」では豊田スタジアムで発生した看板設置の事故で誘導係が亡くなったことが取り上げられています。コラムでは、日本対バーレーンの代表戦で喪章を付けてプレーするはずだと思ったが、そうならなかったことが淡々と語られています。《サッカーの歴史が続く以上、人の死は不可避である。Jリーグも30年、50年と年月を重ねていけば、クラブの歴史を彩ってきたレジェンドが亡くなることもあるだろう。すなわち死と向き合うことと同義である。そうした現実を、あるがままに受容することもまた、サッカー文化の成熟した姿と言えるのではないだろうか》と結ばれています。

 また、12年12月に行われたクラブワールドカップのサンフレッチェ広島vsオークランドシティFCのキックオフは、無名のアマチュアサッカー愛好家の死に対する黙祷で始まりました。自分の子どもの試合に進んで副審をつとめるようなサッカー好きが、判定を不服とする少年たちからの暴行で死ぬようなことが起こるのも現代社会です。

 考えてみればJリーグはディズニーランドのようにスタートしました。残念ながらディズニーランドのように安定的に人を集めることはできないでいますし、ディズニーランドと決定的に違うのは、こうしたリアルが背景に潜んでいるからだと思います。

 オリジナルの10チームでスタートしたJリーグは、いまやJ2をあわせて40チームまで増え、来年度からはJ3という新しいカテゴリーもドロップされます。そしてプロ野球のファンよりも、いささか深刻ぶったサポーターは全国各地でローカルにチームを応援し、落胆し、時には驚喜し続けています。こんなことは、やっぱりJリーグ発足当時は考えられませんでした。

 プロ野球にはない、降格、昇格というカタストロフを備えたJリーグは、チームの誕生、吸収、合併、消滅といった悲劇もくり返しながら、4年に一度のワールドカップという世界的な祭りも含めて、ますますデレゲーションは大きくなり、様々な参加者によるいささか乱痴気気味にも感じさせられるようになったパレードが毎年、続けられています。

 そして、20年という歴史がたってみると、そこには様々な死があった、ということを『フットボール百景』は教えてくれます。まるで藤原新也が直接話法で、ダイアン・アーバスが間接話法で語った写真のように。

 こうした視線を、どこで得ているのかというヒントは94枚目の写真に隠されているのではないでしょうか。アヤックスの育成世代の練習を眺める人たちと、それに背を向けてレンズを見つめる一匹の犬。著者には『フットボールの犬』というタイトルの本もありましたが、どこかサッカーそのものには覚めているといいますか、中に入って騒ぐようなことはもうできないけれど、そっと側にいて「祭りの前(アンテ・フェストゥム)」「祭りの最中(イントラ・フェストゥム)」「祭りの後(ポスト・フェストゥム)」のそれぞれの現場を見つめ続ける。そんな異者の視線かな、と。

 「あるフットボーラーの訃報」では2010年、ザッケローニ監督の就任会見が行われた直後に、1930年にウルグアイで開かれた第1回ワールドカップに出場し、生き残っていた最後の選手であるフランシスコ・バラージョが亡くなったことを取り上げています。古いワールドカップの映像を見ると選手や熱狂するファンたちも、もうこの世には存在しないことに気付くとした後で《映像とは、実のところ残酷なメディアである》と語ります。

 人びとの熱狂、笑顔fフィルムや画像素子に定着させたとたん永遠に老いることはなくなりますが、それは、老いや死から逃れるようにスタジアムで跳びはねる人びとの思いが写っているからなのかもしれません。

 そして、第1回ワールドカップに出場した選手がこの世からいなくなって初めてのワールドカップが、来年には同じ南米のブラジルで開催されます。

 死の集積かもしれない歴史から目をそらすな、と著者は今日もファインダーを覗き、文章を紡ぐわけですが、歴史を切断するような行為には激しく憤ります。それはJFCから撤退した佐川急便のチーム。SAGAWA SHIGA FCは企業チームの宿命のように活動を停止しましたが、吸収してきた前身の大阪体育大学のOBチーム「北摂」や「東京フリエ」の思い出も捨て去ることに他ならない、と。

 個人的に「素晴らしいな」と思ったのは全自の試合を取り上げていること。国体、全社に次ぐ46回の歴史を持つ「全国自衛隊サッカー大会」は東日本大震災で初めて中断したけれど、12年4月にはには復活。その復活を「派手な演出もなければ、決してレベルが高いわけでもない全自だが、それでも平時の有難みをあらためて感じさせる」と結びます。

 無常を感じることができるのは常なるものを知っているからというのは、小林秀雄も書いていたな、と思って読み終わりました。

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