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July 20, 2013

『「昭和」を送る』

Showa_nakai

『「昭和」を送る』中井久夫、みすず書房

 『「昭和」を送る』という一文は恩師であり尊皇家でもある土居健郎さんに昭和天皇の逝去に際して書けと言われたものでしょうが、皇太子機能という概念を抽出して昭和天皇の皇太子時代や、当時の皇太子と美智子妃殿下(現天皇夫妻)の活動を称揚している文章なのですが、その後『昭和天皇独白録』や『影たちの棲む国』などの文章から、それほどイノセントではなかったのかもしれないというという思いから、長い間、エッセイ集には収められて来ませんでした。何回か書かれていますが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』が、連載終了後に出た様々な資料によって史実的な意味では否定された、という轍を踏みたくなかったのでしょう。

 今回、収録されたのは、ご自身が介護付有料老人ホームに入居してほぼ引退という形をとったのと、東日本大震災の際に、向精神剤の郵送などで厚労省が柔軟な姿勢を取ったのも、おそらくは美智子皇后が厚労省の係官を呼んで、様々な質問をする中で、誘導なさったということがあったからだろうと思います(あとがき)。

 阪神大震災の際、NTTから「皇后陛下の仰せによるものです」という電話がかかってきて、中井先生と土居先生の間にホットラインが敷かれ、神戸の現状が逐一、報告され、それを土居さんが「エンプレス」を訪問して伝える、ということがあったそうです。

 天皇家には政治的発言は禁じられていますが、「質問」という形で「こころケア」の問題などを前進させることができる、というのは、エッセイ集全体を読んで、強く印象づけられました。

 『「昭和」を送る』では、まず日本人に「君側の奸」コンプレックスがあるのではないか、という想定で、日本人の"天皇家のイノセンスを信じる心象"を描きます。吉本隆明さんは、戦前の軍隊のインノセンスを信じる心象を例えば天安門事件の時に学生たちシンパシィを持った趙紫陽派の38軍が、虐殺を行った鄧小平派の27軍を制圧してくれるのではないかという希望を持ったという心の動きの中で掘り起こしていますが、同じようなものなんだと思います。

 そしてイノセンスであると信じた存在が、例えば東京裁判で死刑が一人を除いて武官のみであったとを入江侍従が報告にあがって宴会を行ったみたいなことをすれば、深い絶望に襲われます(p.121-)。戦後の日本人の天皇家受容と、その反動ともいえる旧軍への忌避(そしてついこの間まで残っていた自衛隊へのネガティブな心情)というのは、イノセンスを信じた心情が裏切られたかどうかの違いにあると思います。あるいは、どちらかを全否定しなければ、戦後の民主化の歩みはなかったのかもしれません。

 さて、中井先生は「君側の奸」コンプレックスを解き明かすにあたって、欧米の人々との対話をまとめるような自問自答の「架空の対話」を行いますが、「アメリカにないものを補うのが英国で、それは伝統と気品と老獪な現実主義」とか「日本の右翼は、南宋の勤王主義から始まる国粋主義という中国な特殊な時代の思想の継続。普通は孝を上に置くが中国は珍しく忠を上に置く。神州という言葉も南宋人が、失った北の領土を指した言葉」「水戸学は明が清朝に滅ぼされて日本に亡命した中国人によって作られた」「日露戦争の最悪の結果は、闘った相手のロシアの膨張主義が伝染ってしまったこと」「応仁の乱で日本の文化はいちど断絶させられているから、それ以前から続いているものには絶対の権威とみなす傾向がある」「日本人にとって天道は畜生道であり、絶対者ではなく、人道こそ重要」「日本には中国のような大家族がないから、一家心中が多い」「開戦にいたったのは、皆が他人をあてにするという甘えの堕落的形態を示し、それが裏切られたと逆恨みした」「昭和天皇の天衣無縫さは、精神の健康を守るためのものだった」「大正天皇が手ものと品を片端から"つかわして"いたのは、できれば自分の地位をくれてやりたいから」「日本が援蒋ルートを問題にして深入りしていったのは、アメリカがベトナム戦争でホーチミンルートを探して泥沼にはまっていったのと同じ」など、これがいちいち面白い。

 そして、《天皇とは発展よりも存続に価値を置く存在。明治以降、皇太子とセットでいた時は強く、戦争が多発したのは孤独な時。陸軍はそれを知っていた。自我を持った成人の言として皇太子が意見を問いの形にせよ表明できれば、大統領制よりも機能する》(p.115)、《戦時中食べた「外米」はベトナムに数十万人の餓死者を出させた収奪物である。そして明仁天皇は真先にそれを荷なおうとしているかにみえる》(p.119)と結ばれます。

 このほか、膵臓は医学史上、最後に発見された臓器で、東洋医学では発見できず、膵の字は日本の蘭学者が作ったというのもなるほどな、と。

 老人の水晶体は焦茶色で、脳内で補正しているし、人口水晶体は焦茶色をしている。そうした技術のなかった時代に白内障の手術を受けたモネの絵は、術後、格段に青っぽさを増したって…ありがたみのない話しというか、悲しいと感じました(p.147)。それと同時に、同じように見えているのは脳内でフィルターをかけるというか、ASAを上げているからなんだろうし、暗いところでモノが見えにくくなったというのも、こうしたことが原因になっているんだな、と思い、書斎用のランプを新調しました。

 二次性徴の早まりが、前思春期て育まれるべき純粋な友情関係を構築する時間を短くしている(p.156)というんですが、ぼくが子どもの頃のイジメと、なんか違うんじゃないかと思う今のイジメの差は、この時期の短さあるいは無さが深刻さを生んでいたりして。

 医学、教育、宗教は「言うことを聞かなかったら大変なことになる」という、三大脅迫産業という言葉も印象的でした。

 主食副食の区別があるのは日本だけ(p.272)というのもなるほどな、と。これをある方と話していたら西江雅之『「食」の課外授業』で指摘されている《日本には世界でも非常に珍しい風習があります。それは,多くの家庭では、家族の一人ひとりが自分の食器や箸を持っているということです》《家族の各々が自分専用の食器や箸を持っているのです。“めいめい箸”と言うそうです。この風習は、世界広しと言えども極めて少ない風習》ということを教えていただきました。

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