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June 09, 2013

『外交証言録 日米安保・沖縄返還・天安門事件』

Gaikou_nakajima

『外交証言録 日米安保・沖縄返還・天安門事件』中島敏次郎、井上正也、中島琢磨、服部龍二、岩波書店

 折田正樹『外交証言録 湾岸戦争・普天間問題・イラク戦争』に続いて、時代を遡って、日本の外交がどう展開されていったのかを読んでいます。引続き、栗山尚一『沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』を読もうと思います。

 今回のオーラル・ヒストリーの語り手である中島敏次郎氏は、条約局勤務が長く、沖縄返還交渉では4年4ヵ月という長期間にわたって条約課長をつとめました。普通、中央官庁の本省課長は2年交代ですので、在任期間は倍以上になります。

 初めて条約というものをつくる側から聞いたのですが、まとめると以下のようになります。

1)占領終了時にアメリカは、戦前のように日本が《政治的にも経済的にもめちゃくちゃなことをやるのを抑え込もうという意図》(p.257)で、いろんな条約に日本を加盟させた

2)条約の締結が「外交大権」に属した戦前と違い、新憲法下では条約の締結のためには、原則、国会承認を得なければならなくなった

3)条約法制が成文化される前、行政協定として処理しようとした場合でも内閣法制局との事前調整が不可欠となった。沖縄返還交渉では温泉でやったブレインストーミングの時から内閣法制局長官が参加している(p.77)

 中島氏は講和条約直後に航空協定を各国と結ぶんですが、用語からして真新しい分野なので苦労したそうです。

 アメリカもいい加減だな、と思ったのはダレス国務長官の話し。ダレス長官は、日ソ交渉の時に日本が千島と南樺太の主権を認めたら、均霑条項に鑑み、沖縄などを返還しなくてもいいことになる、と重光外相を脅したっていうんですね(p.42-)。アングロ・サクソンというは、時に、こうした見え透いたウソで脅しを平気でかけるんだな、と。

 また、日米安保条約の改定時に外務省は、世界中の米軍駐留協定を調べ上げ(ドイツが特に協力的だったとか)、被駐留国としては一番いいところを集めたものにしたそうです(p.51)。

 60年の日米安保条約改定交渉では日米の事前協議が導入されましたが、朝鮮半島で北朝鮮が戦闘を再開した場合は、例外的に事前協議を省いて認めるという秘密協定があり、沖縄返還交渉時の69年11月、佐藤・ニクソン共同声明で「韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要」という韓国条項として明記されました。米軍が、事前協定によって行動が縛られるのを嫌ったのと、日本以外の各国と結んでいる安全保障のネットワークが機能しなくなるのは困る、ということが基本スタンスだったそうです(p.101)。「安全保障のネットワークね」とひとつまた勉強になりました。
 
 200海里時代になっても、日本の海峡については距岸3海里のままにしてあるのは、例えばホルムズ海峡のような国際水域を日本の船が通るわけで、《自分のところは閉めといて、人のところは開けといてくれというわけにはいかない》という説明にも、なるほどな、と(p.132)。こんなことろに感心するというのも、実はぼく自身が《一国で生きていけるような錯覚を持っている》からなのかもしれないと反省(『外交証言録 湾岸戦争・普天間問題・イラク戦争』折田正樹、はしがき)。

 厳しい現実を見据えているな、と思ったのは、日米核密約に関して、中島さんは、そんなものはもともとなく、わざとあいまいにしておいたものだ、という立場なのですが、ブッシュ政権時代に艦船に核兵器を搭載することやめ《ミサイルを主たる攻撃武器として、対処している》ようになったから、どのみち実態的な問題としてはなくなった、というあたり(p.133-)。

 また、カーターが財源の問題などもあって在韓米軍を引くという方針を出した時には、日本側からアチソンがシベリアから日本と朝鮮半島との間にアメリカの防衛線があるという発言が北朝鮮の南進のひとつの契機となったので、防衛線の変更みたいな話しは大変なことになる、日本側が説得したというあたりも(p.150)。

 また、思いやり予算というのは、カーターの在韓米軍撤退方針なんかもあって、やっぱり米軍にでていってもらうと困る、ということで、金丸さんが内閣法制局に判断をさせないように、うまく駐留米軍の経費を含む防衛費を膨らまして通したというあたりも、なるほどな、と(p.151)。いろいろ関係してくるわけですね。

 シンガポール独立は、マレーシアからほっぽり出されたという珍しい独立の仕方をしたというのは知りませんでした。華僑を代表して頑張っていたリー・クアンユーがマレー系と平等にとあまりにも五月蠅く言うので分離独立しろと追放された、と。リー・クアンユーはテレビに出て「これからは自分たちだけでやらなければならない」と涙を流したというんです(p.168)。

 トツプが外国に行くと、まず一対一で直接会談をやるんですが、それをテタ・テート(tete-a-tete)と呼ぶそうで、外交はフランス語なんだな、と。

 アンドロポフの弔問外交の時、日本だけがホカロンみたいな使い捨てカイロを持っていて、外で震えている外国要人にあげたら喜ばれたなんていうホカロン外交も面白かったな。なんでも震えてたお爺ちゃんが可哀相になって自分がつけていた最後のを上げたらイタリアのペルチーニ大統領だったとか(p.195)。

 日本とオーストラリアが日豪友好協力基本条約を結んだのは76年。当時からオーストラリアはコモンウェルスを抜け出し、アジア地域でやっていかなければならないということで、最初のとっかかりとして日本を選んだ、と。サッカーでのAFC入りも、こんなところから来ていたのかも(p.202)。

 中国に関しては、天安門事件当時の中国大使ということだけあって、自国民に銃や戦車を向けるというのはあり得ない、と批判的です。元々、なんで中国大使になったのかわからないというほど、中国とは縁がなかったようですが、尖閣諸島を巡る問題でも沖縄返還交渉の時に緯度・経度まで明記して施政権を返還するとわざわざ書いたから、国際法上も全く問題ない、とあっさり。

 胡耀邦失脚の前《陳雲や彭真、薄一波など保守派の老大家には、自由化に対する懸念も相当強かった》と語っているんですが(p.199)、この薄一波は、この間、失脚した薄熙来の親父。いろいろあるが中国も民主化の方向なのかも…と思うのと同時に、薄一波は文革で投獄され、失脚している間に夫人が自殺したり、息子も失脚しました。名誉回復してくれた胡耀邦と趙紫陽を失脚させ、本人は98歳まで生きたけど、家庭的には悲運な人間だわな、と。

 そして《「対米自主」というのは気持ちとしては分かりますけれども、きつい言葉で言えばナンセンスだと思います》(p.260)というクリカットな言い方で、全体を締めます。

 外交官というの様々な面白いこぼれ話を知っているなということは折田正樹氏の本でも思ったことですが、中島氏の話では、大使の奥さんの名刺の話しが素晴らしかった。日本人の大使の奥さんは、旦那さんの名前の下に「妻」と書くんだそうです。戦前、中国に徳川家正氏という徳川本家の方が赴任して、夫人とともに挨拶回りをしたら、下にも置かない扱いを受けたそうで、それは、中国側が「徳川家正妻」を「徳川家」の「正妻」だと勘違いしたからだそうで(p.27)。漢字が読めるからこその誤解もあるんですね。

 60年代前半はアフリカ諸国が次々と独立して、代表が国連にもやってきたわけですが、ある日、議決を取る時に議長から使命されて「イエス」か「ノー」かで答えるべきところを、おそらくフランスの大学で勉強していたような学生がいきなり抜擢されたんでしょうが「プレザン(授業に出席しています)」と答えて会場が大いに笑いに包まれたそうです(p.56)。

 最後に…。

 外交官になるような人や聞き手になっている先生方は、やはり勉強ばかりしていたのかな、と思ったのは、条約局というのは野球でいえば内野手がエラーして飛んできたボールを一塁に投げるような役割とか書いているところ(p.94)。エラーした球を一塁に投げるなんてムダなことはしません。野球を少しでもやった人なら「バック・セカンド」といって二塁に投げるんですよね。

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