杮葺落五月大歌舞伎
4月に続き、今月も歌舞伎座の第三部を見物してきました。今回のお楽しみは玉さまと菊之助の京鹿子娘二人道成寺。
二人道成寺は歌右衛門さんが、芝翫さんと踊った時のように、70歳を過ぎてもう1人で「道成寺」を踊り通す体力がなくなった時に、一世一代として二人で振り分けるやり方が思い出されますが、玉さまの二人道成寺は違います。
歌右衛門さんが、最初に出てくる白拍子花子を踊るのに対し、玉さまは前回と同様、後で出てくる白拍子花子の役で、菊之助を後ろで支えます。
「道行」の出も引っ込みも花道のスッポン。これを使うことで亡霊であることを印象付けます。
道行では「恋をする身は浜辺の千鳥」のところが三下がりになるところが好きなんですが、そこらあたりで出たんじゃないかな…なんて、もう勝手に記憶を頭ん中でこしらえてしまっていような始末でして、もう陶然と見ていました。
花子は道成寺でも二人道成寺でも何度か衣裳を「引抜」で替えるんですが、これは、蛇の脱皮の暗喩なんです。今回の「引抜」も綺麗に決まっていました。
三島由紀夫は歌右衛門さんの芸を六代目と比較して、特に伽羅先代萩の政岡のやり方について、見物は誰も歌右衛門さんを倣って頭の中でも自分が演じることなど考えないだろう、みたいなことを書いています(原文では反語として、『中村芝翫論』)。
三島由紀夫は2本目の歌右衛門論で、道成寺を踊る《一人の美しい俳優が、一種の呪術のごときものを施しつつ、引き絞って一点に収斂させている姿》を描いています(『六世中村歌右衛門序説』)。
玉さまの白拍子花子も、もう見るだけ。見物には、ただ見過ごしてはならぬものとして眼をクギ付けにさせるような危機感をかきたて、須臾に終わるだけなのかな、と感じます。杮葺落公演ということで、先月に続いて馴れない見物の方も大勢いて、私語なども五月蠅いのですが、玉さまがひとりで踊ると、歌舞伎座がシーン静まり返っていたのが印象的でした。
玉さまが、道成寺を一人で踊るのではなく、最近は菊之助との二人で演ることが多いのは、一人の京鹿子が、その場にいない安珍をクドクのではなく、せめて二人で供養するという方向に持っていこうとしているのかな、なんかことも考えました。
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