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May 17, 2013

『近代技術の日本的展開 蘭癖大名から豊田喜一郎まで』

Nakaoka_tenkai
『近代技術の日本的展開 蘭癖大名から豊田喜一郎まで』中岡哲郎、朝日選書

 名著『日本近代技術の形成』の続編といいますか、落ち穂拾いのような話しの雑誌連載を一冊にまとめたのが本書。

 なぜ、日本だけが、いちはやく離陸出来たのか、という問題意識について、本書は《日本の文化的伝統のなかには、海の向こうから来る珍しいもの美しいものに好奇の目をみはり、次にそれを自分で作ろうとする姿勢が体質化されているのではないだろうか》p.5と詩的に謳い上げます。これにはユーラシアの東端に位置し、圧倒的な中国文明からほどよく離れていたために、遂に占領されることなく、逆にインド以東の文物や知識を貯めてじっくりと自己流に発展させることができた、という地理的条件も加わります。

 有田焼や西陣織などは中国・景徳鎮の陶器や、インドからの更紗や桟留を徹底的に模したものでした。『日本近代技術の形成』(以下『形成』)で描かれたサムライ技術者たちも同じ行動様式で頑張ったわけですが、この『近代技術の日本的展開』では、その社会的基盤として、藩を超える蘭癖大名のネットワークを指摘しています(p.10)。

 しかし、日本は地政学的に恵まれているだけでなく、『日本のアジア外交』小倉和夫著、藤原書店で指摘されているように《「宋朝をのぞけば、中国の主たる王朝あるいは政権のいずれとも、日本は、戦闘行為を行っている」。確かに、唐、元、明、清、そして中華民国と日本は戦火を交わしてきた。日中関係が緊張をはらむのは、決して近代の特殊な現象ではない》という好戦性と裏腹の好奇心を持ち合わせていたんだな、とも最近では思うようになりました。

 第2章「レバント貿易から産業革命まで」は山本義隆『十六世紀文化革命』を引用しながら、ヨーロッパが職人として位置づけられていた技術者や外科医が、アラビア式計算法の導入などを通して徐々に知識を蓄えていき、大航海時代に直接取引が出来るようになったインドの木綿の衝撃を受けとめて、イキリスがそれと競合する綿布を生み出していく過程として描きます。

 第3章「日本の原生的産業革命または後発工業化」は、前著『形成』では確か触れられていなかった、明治時代のマッチ生産についてスケッチしているところが印象的。火打ち石を使っていた庶民からすれば、マッチほど便利なものはなかったとして、その輸入額は維新政府の貿易収支を悪化させるほどだったと背景を述べた後、サムライ技術者の後継者たちが国産に取り組み、あっいう間に輸出品として成長させる過程は、それ以降の日本の産業の発展に重なります。

 元金沢藩士の清水誠はフランスに派遣されますが、廃藩置県後はなんとか文部省留学生となり、その制度が廃止されると、今度はフランスが日本に派遣した「金星の太陽面通過」の観測隊として雇われ帰国、横須賀海軍造船所に任官するというラッキーすぎる学生時代を過ごします。

 昨年6月6日に日本でも「金星の太陽面通過」が観測されましたが、130年前も日本が観測に適していたというのはなんかあるんでしょうか。清水の功績はいまも、神戸の諏訪山に碑として残されているそうです(p.93-)。
そして、彼が最初に起こしたマッチ製造会社は瞬く間に、日本中で模倣され、神戸に居留していた中国人商人の手によって製品は広くアジアを中心に輸出されたそうです。

 そして、こうしたマッチ工業も女性や子どもの労働力に支えられていました。

 この本の結論とも言うべきことは《製糸にせよ織物にせよ、農村副業あるいは都市の家内労働として女子の労働力に大きく依存して》いた、ということで、これは産業革命というより後発工業化と呼ぶべきだ、というのが著者の主張(p.108)。

 また、日本の鉄道業も北関東や東北といった養蚕、製糸地帯を南北に貫くことで発展していったとしています(p.111)。《上野から60キロメートルの熊谷まで結んだとき、早くも沿線の活況を生み、110キロメートルの前橋に達したとき、北関東全体の製糸業の活況をもたらし、他の製糸地帯全体の鉄道熱を巻き起こした日本の鉄道》は、例えば筆者が教えていたメキシコの鉄道とは大きな違いをもたらした、としています(p.113)。

 第4章、第5章、最終章は西南戦争から第二次世界大戦までの軍部と産業界の関係の変遷を描いています。

 第一次大戦で、資源を持たないドイツが科学の力によって4年間も戦い抜いたことに驚いた軍部は、造船、トラックを中心とした自動車製造などをリードしていきますが、結論からいえば《高度な技術を性急に求める軍の介入が、自然な発展の初期の芽を摘む》ことが多く、そうしたことがなくなった戦後において、自動車工業は原付自転車からスタートとして飛躍的に発展していった、としています(p.243)。

 『展開』で筆者は《中国侵略をやめるという選択肢があったことを無視しています。またこれほど大きな被害を国にもたらした指導者の判断ミスとそれを支持した極端なナショナリズムから、徹底的に教訓を学ぼうという姿勢を欠いています(p.478)》と当時の指導部を批判、《アメリカの潜水艦の予想を超える攻撃力に、日本本土と占領地間の海上輸送を脅かされ、次に予想を超える航空機の量と機動部隊の攻撃力の前に、日本列島が国際的包囲網の中で孤立するという悪夢は現実となり、燃料欠乏で片道しか飛べない飛行機、片道だけの燃料で出撃する軍艦を抱えて力尽きる(p.477)》と戦前の日本の末路を描きます。

 今回も筆者は最後を《人生の終り近く、この本を書いている間に行われた選挙結果は、日本に強い軍事力を求める声が高まりつつあることを示しているように見える。再び同じ道を歩むなと声を大にして言いたい(p.243)》と締めくくります。

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