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December 28, 2012

『真珠湾からバクダッドへ ラムズフェルド回顧録』

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『真珠湾からバクダッドへ ラムズフェルド回顧録』ドナルド・ラムズフェルド、江口泰子、月沢李歌子、島田楓子(訳) 、幻冬舎

 索引入れて902頁、50章。まるで聖書のような厚さの本ですが、最後のあたりだけ少しダレはしますけど、とにかく見事に完結しています。

 この人はアメリカの保守政治の生きた化石といいますか、キューバ危機のあった1962年に下院議員として初当選し、史上最年少と最年長で国防長官をつとめただけでなく、大統領選挙にも挑戦していますし、副大統領候補には何回もあがっているというキャリアの持ち主。そして、もちろんハイライトは9.11後のアフガニスタンとイラン侵攻の戦争指導という、太く長く生きた政治家です。そして、製薬会社G.D.サール社、ジェネラル・インスツルメンツ社、ギリアド・サイエンス社のCEOをつとめるなど民間セクタでも大成功を収めるという万能ぶり。

 アイゼンハワー元大統領と一緒に写っている写真を見た、ロシアのイワノフ国防相が「私がスターリンと写っているようなものだ」という絵解きが、政治家としてのキャリア全てを表している気がします(p.836)。

 ラムズフェルドはドイツ系なので、アングロサクソンの人たちほど、自伝で自己正当化はしていないようにも思えるんですが、その分、辛辣。

 民主党議員はその権威に対して一定の評価を与えている感じがするクリントン大統領以外は全否定に近いですし、共和党でもチェイニー副大統領とニクソン、フォード、ブッシュ大統領以外はあまり評価されていませんし、パウエル国務長官は自分だけ良い子になろうとし、ライス国務長官もモノゴトを大きく考えることができずに共に国務省官僚に操られたと非難しまくるという攻撃的なスタイルを貫いています。日本と関係の深かったアーミテージ国務副長官についても、ブッシュ政権で国防長官を狙っていたが、それをはたせずラムズフェルドにことあるごとにジャマをしたという書き方。ここまでバラバラの人びとをまとめたブッシュ・ジュニアは意外と優れたリーダーだったのかな、と思えるほど。

 これだけのキャリアをつんだ人物ですが、政治家の家で生まれたわけではなく、父は12歳から不動産会社の使い走りとして働きはじめた苦労人。しかも、生まれたのはシカゴというんですからタフな男ができあがるわけです。ラムズフェルドは高校時代からレスリングに打ち込み、プリンストン大学には、通っていた公立高校の校長に見込まれて奨学金を工面してもらって入ります。そして足りない分は校内に設けられた海軍の「予備役将校訓練課程」を利用することでやりくりします。そして、海軍の飛行機でヨーロッパにわたり、戦争終結から7年たってもイギリスがまだ配給制度を敷いていることに驚いたりする(p.64)。卒業後は3年間、兵役に就かなければならないため、いったん故郷に帰り、幼なじみと婚約するという、古風な人生コースを歩むあたりもいい(p.70)。

 除隊後、下院議員の下で働き始めますが、秘書となった議員は選挙で2連敗。しかたなく投資銀行につとめますが、29歳の時、地元の下院議員が不出馬を表明したことから、「断固たる外交政策。強い国防。自由貿易政策の推進。有効な公民権法。債務の削減。経済成長を促す刺激策」を旗印に敢然と選挙に打って出て、見事に当選。《良く覚えているのは、呆気にとられた両親の顔だった。息子の人生と彼らの人生に、まさに想定外の事態が起きたのである》というあたりもいい感じです(p.83)。

 このペースで紹介していくと、例によって再現がなくなりますので、後は、印象に残ったところの引用などで…。

 ラムズフェルドは公民権運動の良き理解者で推進派だった、ということを強調していますが、ベトナム反戦運動に対しても《自由主義国家において徴兵制度が妥当なのは、徴兵の必要性が充分に証明された時だけだ》として徴兵制度には否定的だというあたりも合理的な人なんだな、と思いました(p.126)。《派兵は、招集される兵士の生活に配慮するとともに、軍部の判断と大統領の外交努力をうまく組み合わせられるよ柔軟なものでなければならない》なんていうことを強調したりもする(p.518)。

 ラムズフェルドは、人や組織がうまく機能するためには、トップマネジメントがモノゴトを大きく把握し、思い切った改革をしなければならないと考えていたのかもしれません。そのためにはミッションの定義づけも重要なんでしょう。《安全保障政策を立案し、各省庁の利益を確立した上で、実行すべき担当省庁のミッションを明確に定義するのは容易な仕事ではない》というあたりにも、そうしたスタイルがうかがえます(p.397)。

 言った本人にはあまり高い評価は与えていないのですが、日系のエリック・シンセキ陸軍参謀総長の《変化が嫌いということは、不適切が好きだということだ》という言葉は重要なものとして引用しています(p.744)。

 ラムズフェルドは民間セクタでの仕事も含めて合理化、効率化が好きなんでしょうね。しかし、辞めてもらう人物に対しては、できる限り直接会って、理由を話すということもやっています。

 これは自画自賛的すぎるかな、とも感じましたが《陸軍機動単位を師団から旅団へと転換させたことは、ナポレオンの時代以来、有数の変換》なんて合理化を誇ったりします(p.748)。

 そして《決定的な破壊を加えるのに十分な数の人員を即座に配置できる軍事力、正確性、通信力、隠密性といった国の持つ技術の強みを生かせる軍事力、そしてなにより大切な、いかなる戦闘でも変化する状況に迅速に対応し勝利できる軍事力》をつくりあげ、アフガンとイラクに投入します(p.742)。

 これは、精密な空爆と特殊部隊など少数の精鋭部隊によって機先を制し、状況を圧倒的に有利にしてから、ある程度の量を投入する、というものなんでしょうね。

 兵力の逐次投入を批判するのは容易いんですが、大量の一気投入がいかに難しいかをラムズフェルドは知っていたのもしれません(p.516)。

 《世銀、NATO、国連、IMFなどはすべてトルーマン時代につくられ、驚くことにまだ存在しているが、時代に合わなくなってきている。新たな国際組織が必要で、米軍だけでは解決できなくなってきている》という指摘も重要かな、と(p.711-)。

 本人が気に入っているであろうエピソードは、ベルギー政府を脅し上げた一件でしょう。ベルギー政府がアフガン戦争での犯罪で米国軍人を逮捕する恐れの出てくる法案を制定したため、NATO本部の移転をチラつかせ、新しい本部ビル建設の資金提供を拒否すると告げて、こうした控訴権を認める法律を廃棄させたというのは、シカゴ生まれの強面ぶりが強調されています(p.687)。

 ルーズベルトは第二次世界大戦中、アメリカに不法侵入して工場爆破を計画したナチス工作員に、軍事委員会での裁判を求め、六週間で死刑を執行したとかは知りませんでした(p.675)。

 《弾道ミサイルの問題は、発射しなくても機能すること》」という言葉も印象的。だからアメリカは敵対国のミサイル投資を無力化するためにもミサイル防衛システムに注力していった、と(p.350)。
 
 11年初めに原著が出たときにはハードカバーよりkindle版の方が12ドルも高いことに驚きましたが、章を短く書くというスタイルは、kindleで読むことを意識していたのかな、とチラッと思いました。

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