『幻滅と別れ話だけで終わらないライフストーリーの紡ぎ方』
『幻滅と別れ話だけで終わらないライフストーリーの紡ぎ方』きたやまおさむ、よしもとばなな、朝日出版社
吉本隆明さんがお亡くなりになり、中井久夫先生の新しい本にもなかなかお目にかかれなくなってきている現在、疎遠になっていた面白くて優しかった年上の従兄弟が、ひょっこり再びあらわれて、また面白い話を聞かせてくれるよになったような感じが、きたやまおさむさんにはしています。
「母と子の二重性を読む」「日本人特有の表と裏」という第一部は、きたやまさんがライフワークとして取り組んできた日本人論。
浮世絵の母子像を読み解きながら、母子が互いに目と目を合わせるのではなく、同じ方向に視線を向けつつ、母親の腕がしっかりと子どもを支え「裏で、後ろでつながっている」(p.26)という構造が、とてつもない安心感を生んでいる、ということが分かります。これと正反対にキリスト教の母子像は顔を見合わせることもないのですが、互いに別な方向を向いているというか、聖母マリアは、やがて来るイエスの受難に絶望しているという風情がみられる、と(p.28)。
それから、タイトルにつながっていく話になって、なんの前触れもなくやってきた地震や津波によって別れ別れになるという悲劇を経験したことで、《「われわれは別れていく、これから二度と会えない、どこかでお目にかかれるかわからない終わり方になりますね」というようなことを語り合う終わり方ってものすごく価値の高いものだと思う》と(p.81)。
きたやまおさむさんの詞には別れをテーマにした歌が多かったんだけど、それは、裏でつながっていた「心と心」が通わなくなるということが一番の悲劇であるし、しかも、それが常に起こるのが世の中だということを若い頃から想い描いていたのかもしれません。
「日本人特有の表と裏」では、分かるという動詞は、分けて考えると理解できるという意味に繋がるんだろうけども、世の中を生きていくと、どうしても分けることができないものごとにぶつかる、と。こうした分けられないものに出会うたびに人間は不安になる、と。「中途半端なものを抱えきれない、処理できない状態が不安や恐怖、不気味さの対象となる」と(p.125)。そこから敷衍して「放射能物質による汚染のことについても、危険だけど、どの程度危険なのかはっきりわからない」という「処理することができないままだから、人はいつも苦しむことになる」というのは、3.11後の心持ちを考える上で、大切な視点だな、と感じます(p.126-)。
それから、さらに話は進んで、愛と連帯を叫んだ団塊の世代なんだから、赤の他人同士で面倒を見合うシステムを生み出せるかどうかが問われていると感じるというのは、世代のリーダーであった北山修さんらしい、静かな決意を感じました(p.160)。
《裏と表のない人間なんてあり得ないと思っている。一面しかやってないとか、これしかやっていないなんていう人間は、これしかやっていないというところを見せているだけであって、あれもこれもじつはやっていると思う、ね》。だから、どんなものごとにも裏があるというふうに、僕、人生観として語っていますけれども》というあたりも、実に納得的だな、と。そして自然はなぜ美しいかというと、それは「再生するから美しい」という話になって(p.215)、さらに、その美しい自然も時には牙をむいて襲いかかってくるから、日本人は何も信じない、八百万の神がいるということは、逆に言えば信を置かない生き方をしているということであり、常に半身の姿勢でいざとなったら逃げるというのが日本人の身の処し方だというあたりは大納得でした(p.220-)。
そして、愛と連帯を叫んでいた学生運動が最終的には内ゲバに発展していったことを経験したことによってたどり着いた結論は、人は裏切るものであり、生き延びるために、信じず、情報をたくさん仕入れた上で自分なりに判断していく、ということが上手な生き方だ、というわけです(p.222-)。
そして、そうしたある意味、きつい生き方をする上で、重要なのは、人それぞれが「楽屋裏」を持つことなのかな、と。
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