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September 17, 2012

『武器としての社会類型論』

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『武器としての社会類型論』加藤隆、講談社現代新書

 加藤隆先生が、これまで研究の応用編として『武器としての社会類型論』講談社現代新書を出しました。

 元々、フランスでルカ文書で学位を取られた時も「個人が上に立って支配する、人による人の支配を当たり前」だとする西洋的な権力構造の特殊性に注目していたということですが、それを発展させ、世界のタイプを日本社会型(全体共同体)、西洋社会型(上個人下共同体)、中国社会型(上共同体下個人)、インド社会型(資格共同体)、古代ユダヤ社会型〈イスラム〉(掟共同体)の5つに分類しています。

 こうした類型を頭に入れることによって、現実の世界を眺めると、別な見方が出来るな、と確かに思ったのが上共同体下個人型の中国社会。

 上層の支配者は自ら望んで上に立ったものだから、かえって自由はなく、自由気ままな下層の面倒を見なければならないということを書いてあって、最近の反日デモなんかを見ると、そんなところもあるのかな、と思います。

 『十八史略』の「日出て作し、日入りて息いこふ。井を鑿うがちて飲み、田を耕して食らふ。帝力何ぞ我に有らんや」という老人の言葉も、加藤先生の《下層の者たちは、共同体主義的な拘束がきわめて弱い状況に置かれている。このため彼らは、特に主観的に自分が中心である、という状態に止まることができる》(p.64)という分析を読むと、深く理解できます。一方、上層の人間たちは社会全体の面倒を見るという共同体主義的要請に応える形で上位に立っているだけで、その対応に追われて神的現実などには向き合うヒマがない、というのもなるほどな、と(p.60)。

 中共では共産党幹部の汚職などもヒドイようですが、それに対する処罰も苛烈です。こうしたことも、自ら進んでエリートとなり、自由もなく、共同体を維持することに忙殺されている、という「上共同体下個人」の姿が反映されているのかな、と感じます。

 コンピュータ関係で、インド人に優れた者が多いのは、新しい職種なので伝統的なジャーティ(職能集団)がなく、優れた個人が集まりやすいからという資格共同体としてのインド社会型の分析も面白かった(p.104)。

 そして日本社会。加藤先生によると日本は全体共同体社会であり、その場にいさえすれば、共同体の成員としての資格が与えられる平等性が特徴で、集団の目的は「生き残ること」。だから危機には敏感で、全体が変化しなければならない時にはパッと変わる、というんですが、まさに日本的経営なんも全体共同体社会だからなんじゃないでしょうかね。

 これは前にも書きましたが『災害がほんとうに襲ったとき』中井久夫、みすず書房によると、ドイツの精神医学全書の「捕虜の精神医学」の項に、シベリアにおけるドイツ軍捕虜に比して日本軍捕虜を称えた文献の引用があるんだそうです。それによると、ソ連軍が日本軍捕虜の指揮官を拘引するとただちに次のリーダーが現れた、と。彼を拘引すると次が。将校全員を拘引すると下士官、兵がリーダーとなった、と。こうして日本軍においてはついに組織が崩壊することがなかったがドイツ軍は指揮官を失うと組織は崩壊した、と。中井先生は「日本の組織は軍でなくとも、たとえば私の医局でも私がいない時は誰、その次は誰と代行の順序がわざわざいわなくとも決まっている。これは日本の組織の有機性という大きなすぐれた特徴であると思う」というのが日本のリーダーシップであるとしていましたが、やはり、こうしたところも、平等であるという日本的共同体の特質が出ているのかな、と改めて思いました。

 メインの問題意識は西洋型の社会はグローバルに受容可能かという事でしょうが、時節柄、アジアの方に興味を持って読みました。

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