« 『松本山雅劇場 松田直樹がいたシーズン』 | Main | 『民主主義という不思議な仕組み』 »

August 05, 2012

『帰れないヨッパライたちへ 生きるための深層心理学』

Kitayam_osamu

『帰れないヨッパライたちへ 生きるための深層心理学』きたやまおさむ、NHK出版新書

 たぶん、今年出る新刊で、これ以上に面白く、しかも本質的な論議をするような本はないと思います。

 個人的に毎年選んでいる、今年の一冊はこれで決まり、みたいな。

 嫉妬の感情をしっかりと見つめ、それをいかにコントロールするかの重要性を説くと同時に、日本独特の破壊的なまでに高まる嫉妬の起源を、長期間にわたる「添い寝」などによる濃厚するぎる母子関係に求め、日本の母親は子供に豊かな母親像というイリユージョンを与えるのは上手いと自惚れているけれど、二番目の子供が生まれた後などにその濃密な関係から身をひくのが下手で、そのために子供が傷つく、としています。

 吉本隆明さんも『母型論』の中で《たとえばひと昔まえの日本の習俗では、うぶ声がたしかめられたあと、出産した胎児は母親の傍らに寝かされて乳首を吸うことをおぼえ、すぐに授乳され、それからあと添寝のまま数日から数週のあいだ授乳がつづけられる。母親が出産のあと体調が回復して動きまわれるまでのあいだ、終日、母と子の添寝の授乳はつづくことになる。これは出産の習俗としては一方の極の典型になるほど重要なやり方だといっていい。巨大な<母>の像が子にとって形成されるからだ》と書いていますが、その影響について、ここまで鋭く追求していなかったと思います。

 北山さんの場合、《子どもは未熟であり、排泄をして臭く、生殖器もむき出しの丸裸の動物で、いわば裸の王様であるにもかかわらず、母親がそこに服を着せてくれて、世の中に人間であるかのように紹介してくれる。裸と文化的生活との橋渡し機能を果たすそうした第二者が信用できるからこそ、私たちは安心して、ここに生きていられる》と母親の役割をあっけらかんと書くとこうなるというところが素晴らしい(p.53)。生まれた人間は、どうしても信用できる強靱な「あなた=第二者」が必要なのだ、と。

 しかし、家庭には父親がいます。

 西欧では、最初からほとんど添い寝はしないそうですし、子どもが夫婦の寝室に入ることは禁じられているケースが多いと思います。日本の子どもは最初、母親に添い寝をしてもらいますが、やがて父親が、世の中はそんなに甘いものではない、とやんわり割って入ってくる、と。

 西欧では父母と子どもの三角関係が最初から緊張しているのに対し、日本では巨大な母親の下での平等が強調される社会だ、というのが北山さんの見立てです(p.103)。だから社会全般においても優劣の代わりに、醜いものや汚れたものを忌避する意識に触れたら辱めを受けるというような選別方法がとられる、と。日本の大臣が、失言で失脚することが多いのも、こうした悪平等主義に基づく、能力評価を無視した「恥をかいたら退去させられるシステム」が蔓延しているからだ、と。

 それにしても、日本の子どもは母親しか知りません。あるいは、その代わりになってくれる祖母や叔母、姉なども含めて、母親的な存在との巨大なつながりの中で《内輪で成長していく子どもが多い》という指摘もなるほどな、と(p.131)。だから嫉妬の感情の処理が極端になる、というわけです。

 しかし、やがて《幼い息子を甘やかしながら育てている母親が、同時に父親とも付き合い性的関係を持ち、どちらの側でも「寝ている」ので、裏表のある関係を持っている》ことに裏切られた、という感情を抱くようになります(p.135)。特に日本のような「川の字」文化の世界では《母親が上半身では子どもの相手をしながら、下半身で父親や間男とセックスをしている》ようなイメージが共有され、実際、そうした画も多く残されているそうです*1。

 また、日本の物語で急激な幻滅が起こるのは、母親の二重性、裏切りに直面させられた時で、古くはイザナミが腐っていたというよな神話も生まれている、と。

 この母親に裏切られるというのが最も強烈な幻滅を生むというのは個人的にも分かりますし、最近読んだ本の中でも、橋本元総理が野中広務さんに、自分が冷い印象を与えるようになったワケを切々と語ったというあたりを思い出します。

 《いま入院している母親は、俺の母親じゃないんだ。大二郎の母なんだ。だから親父が、お母さんと呼べ、と言うけれど、俺は絶対に頑固に呼ばなかった。六つかそこらになったときに、いっぺん自分で腹を決めて、「お母さん」と言った。聞いた母親がびっくりして、仏壇の位牌と写真を指して、「あんたのお母さんはあそこにおる」と言った。そのときに、何を言いやがると思った。自分は呼ぶのがいやでいやでおったのを、父親がそこまで言うからと思って言ったのに、あんたのお母さんはそこにおると位牌と写真を指されたときから、本当に俺は人間が変わった、そして生意気な、いけずっぽい言い方をする人間になってしまったんだ」と、やや涙ぐんで僕に話したことがあります。その話を聞いてからは、本当に彼を助けてやろうという気になりました》というあたり(『野中広務回顧録』p.201)。橋本元総理は女性遍歴も強烈で、確かバーやクラブの女性が多かったと思います。日本でそうした女性をママと呼ぶのは、故あってのことだと、北山さんも書いていますが、橋本さんも失われた母親を探していたんだろうな、と今となっては感じます。橋本さんの父親は足が悪かったのですが、それも含めて、彼の葛藤というのは、実に日本的だったな、と。

 スーパーな母親がいれば日本人は敵対しないでうまくやっていけますが、もし母親がいなくなったらどうなるでしょうか。実際、そうした母親が亡くなって、それまで仲の良かった一家が一気に疎遠になったのも見たことがあります。

 言語とはいないものを呼び出すシステムだが、第三者に理解されるためには父親的な文法に従わなければならない、というあたりも唸りました(p.118)。

 ちょっと書きすぎましたかね。

 ぜひ、読んでください。

*1喜多川歌麿「葉男婦舞喜」

Haotoko


|

« 『松本山雅劇場 松田直樹がいたシーズン』 | Main | 『民主主義という不思議な仕組み』 »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/55356693

Listed below are links to weblogs that reference 『帰れないヨッパライたちへ 生きるための深層心理学』:

« 『松本山雅劇場 松田直樹がいたシーズン』 | Main | 『民主主義という不思議な仕組み』 »