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July 28, 2012

『野中広務回顧録』

Nonaka_kaikoroku

『野中広務回顧録』御厨貴、牧原出、岩波書店

 御厨貴教授のオーラルヒストリーシリーズの最新刊は『野中広務回顧録』。

 野中さんは、中央政界でのイメージからいうと、「悪魔」とさえ呼んだ小沢一郎さんや、自身が引退するキッカケとなった小泉純一郎元首相など大物相手に、正面から対抗して一歩も引かない豪腕政治家というイメージでしたかね。

 こうしたリアクションは見事なんだけど、なにを目指していたのかということは、自社さ政権を扱った『私は闘う』や、橋本政権から引退を決意する小泉再選までの『老兵は死なず』を読んでも、よくわかりにくかった。せいぜい、イラクPKO反対など、保守系ながらも大正生まれということからくる後藤田さんに通じる「戦争だけは二度と起こさない」というハト派的心情ぐらいなのかな、と感じましたが、今回の『野中広務回顧録』を読むと、それは地方からの地に足のついた政治なのかな、と思います。

 自身、中央政界に出たのは57歳の時という役人などを除けば超遅咲きで、本人もまったく国会議員になるつもりはなく、重度身障者施設などの面倒をみようと思っていたというのですが、竹下元首相に「地方の行政経験、地方自治を経験した人間が国会議員に少なくなり、みんな二世議員ばかりになった。しかも、親父の選挙区は田舎だけど、東京で生まれて、東京の学校を出て世襲するな人間が増えている。だからオレとお前のようなドサ回りをやって民意をくむ人間が必要なんだ」と説得されて出馬したというあたりは、説得力ありました(p.16)。時事放談でも、朝は今でも喫茶店でモーニングを食べながら地元の人たちと話すと言っていたのを覚えていますが、この竹下さんとの話しは3回も4回も本の中でしていますから、本人にとって、大きな意味を持つ言葉なんでしょうし、今の自民党あたりの二世、三世の能力のない国会議員を見ていると、竹下さんの慧眼には恐れ入ります。

 野中さんの選挙区は京都。今では信じられないでしょうが、京都は日共が強く、蜷川府政は7期目も続いていたんですね。その中で、今の谷垣自民党総裁と、二区でようやく2議席を穫って当選したのが57歳。4ヶ月後の2回目の選挙では58歳だったそうです。

 この時の補選は現在の谷垣自民党総裁の父親である専一代議士がの親父が倒れたことによるものですが、笑ったのが早い段階で日共系の看護婦あたりからバレたという話し。日共系や学会の医師や看護婦というのは、そういう情報をどんどん本部にあげるらしいんですな(p.16)。にしても、その息子にもハニトラ疑惑あるし、女運がない家系だな、とつまらないことを考えてしまいました。

 この手の裏話ですごいなと思ったのがリクルート事件で、金丸さんや野中さんには未公開株が回ってこなかったこと。金丸さんは「年寄りは使い物にならないから持ってこなかったんだろう。あいつはそういう計算までしていた男だ」と語っていたそうです(p.55)。

 宇野政権がめちゃくちゃになった三つ指問題ですが、発端は秘書官選びだったそうです。首相になっても神楽坂あたりに遊びに行きたかった宇野さんは、身辺を一番知っていた運転手さんを総理秘書官にしたそうです。そしたら、昔から仕えてきた秘書たちがカンカンになって、問題になった女性が電話をかけても「そんなこと聞けるか!」と電話を切ったばかりでなく、事務所を辞めた女性がお茶くみでも手伝おうかと出かけていったら「用はない!」と怒られた上にSPからも邪険な扱いをされたので「いま出ている話だけではない」ということをさらに週刊誌に暴露して、スキャンダルが確定したというんですね。

 確かに裏方の仕事ばかりやっている秘書たちにとって、官邸に首相や官房長官の秘書として入るのは夢なのかもしれません。野中さん自身も、古い秘書からどうしても官邸に入りたいというのを断ったら、引退後、政敵である郵政刺客の秘書になられたという話しをしていて、怖いもんだな、と思いました(p.58-)。

 民主党の議員たちを見ていても、みんな若いから、こうした機微がなかなかわからず、出たり入ったりの多い人が首相候補と言われる人たちにもいて、本当に政治家なんていうのは気が休まる時はないわな、と思います。

 小沢さんが参議院の比例順位を勝手に入れ替えていたという話しも凄かったですね。野中さんが総務局長として順位を決める様々なポイントを集計した数字を毎日、確認したんですが、どうも、翌日行ってみると、少し違うことが多かった、と。調べてみると、野中さんが帰った後に、小沢さんが「ここを変えろ」とやっていたというので、必ず見回った後は、集計のコピーを持ち帰るようにしていたというんです(p.84)。

 その小沢さんが竹下派を乗っ取ろうとしたけど、果たせなかったのは、参議院を竹下さんがガッチリ押さえていたからですが、その要が井上孝元建設事務次官。なんと3回目は参議院の比例の一位としているんですね(p.109)。

 『野中広務回顧録』で、突如自民党を離党して羽田内閣の外相に収まった柿沢弘治がODAがらみで利権をやってるのを追求しようとしたけど、自民党の大物もODAには絡んでいたから、柿沢が台湾でウナギ養殖をやってる件で追求したら、テレビの前で震えたという話が載ってたのにも笑いました(p.121-)。その柿沢弘治の息子は民主党の都議会議員だったんだけど、飲酒運転で辞職していたのをミッチーの息子に拾われて、比例で当選して、今や我が世の春っていうんだから、世の中、竹下さんが恐れていた方向に来ているのかもしれません。

 あとはざっと…。

 細川首相が辞めた時には司法取引の可能性もあると言っています。その後の身の処し方をみても、なるほど、そんなこともあるのかな、と感じます(p.139)。

 村山政権のところでは、今となっては自衛隊合憲を認める代わりに、戦後五十年決議を自民党に認めさせて、以降も、その縛りが効くようにしたというのは、手柄だったな、と思います。

 郵政改革でアメリカの意を受けて郵貯の運用を変えて欲しいなどと大蔵大臣に陳情してきた議員がいるそうですが《アメリカで勉強してきたやつは危ないな、と思ったね》というのは実感なんでしょう(p.236)。

 小渕首相はブッチホンで有名ですが、国会で質問した野党議員にも「質問してくれてありがとう」という電話をしていたというのには驚きました。そして、その電話で何か頼まれると当時の野中官房長官にふっていたそうです。で、勢いこんで電話してきた野党議員には「総理が私に振ったということは飲めないということだ」と言う断り役だったそうです(p.260)。

 にしても、小渕さんという人は中学生の頃から毎日、日記を付けていて、沖縄サミットの時にも、自分が早稲田の学生の時に回った当時の人たちを呼んで名護でパーティやったり、サンフランシスコでも世話になった人たちを呼んでパーティやったり、全部、名前が入っているそうです。奥さんがこの日誌を持っているそうで、野中さんは小渕日記を出しなさいよ、と薦めているそうです。まあ、いずれ出てくることを期待しましょう(.264)。

 新聞に出てる首相動向欄で「秘書官と食事」という場合は、必ず、表向きには会えない人と、奥座敷かなんかで会っているという話しもなるほどな、と(p.300-)。

 ねじれ国会で、本来は衆議院より劣っている参議院の動向が重要になっていったため、図に乗った参議院からは応援演説に行く日当を10万円から20万円にアップすることを要求されたというのも生々しい(.340)。

 小泉元首相にも、妊娠六ヶ月の奥さんと離婚し、総理になって三番目の子が会いにきたけど会わなかったとか、祖母の葬式にも入れなかったというあたりは、すごい恨み節(p.358)。《オリックスとかが具体的にやっていくビジネスが一つずつ政策として現れてくる》なんていうことも語っています(p.365)。

 《初心を忘れずに真面目に真剣にやれば、他人からとやかく言われることはない》という自身の心情を最後に語った言葉は素晴らしいと思いました(p.379)。

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