『赤めだか』
『赤めだか』立川談春、扶桑社
これも話題になっていた発売当時には、どうも読む気が起きなかったんですが、談志師匠がお亡くなりになって、やっと手に取ったという本。
談春さんのビルドゥングスロマーン(Bildungsroman、自己形成の教養小説)として読むよりは、談志師匠の面影を読み込む、みたない読み方をしました。
誰もが談志師匠の弟子にはなれないし、まあ、一日や二日だったらやっても面白いかもしれませんが、こんなことを毎日のように言いつけられる内弟子生活では三日は持たないと思います。
とてもじゃないけど、談春さんのように《立て続けにここまで云われると人間おだやかな気持ちになることを僕は知った》という気持ちにはなれません(p.45)。
「二階のベランダ側の窓の桟が汚れている、きれいにしろ。葉書出しとけ。スーパーで牛丼買ってこい。庭のつつじの花がしぼんで汚ねェ、むしっちまえ。留守の間に隣の家に宅急便が届いてる、もらってこい。枕カバー替えとけ。事務所に電話して、この間の仕事のギャラを確認しとけ。シャワーの出がよくないうえにお湯がぬるい、原因を調べて直せ。どうしてもお前達で直せないなら職人を呼ぶことを許すが、金は使うな。物置に写真が大量にある。外枠の白い部分が嫌いだからカットしろ。豚のコマギレ百グラム買って来い。スリッパの裏が汚ねェ、きれいにふいとけ。家の塀を猫が偉そうな顔して歩きやがる、不愉快だ、空気銃で撃て、ただし殺すな、重傷でいい。庭の八重桜に毛虫がたかるといやだから、薬まいとけ。なんか探せばそれらしきものがあるだろう。なきゃ作れ。オリジナリティとはそうやって発揮してゆくもんだ」
柳家系は道灌から教わると聞いてまして、『雨ン中のらくだ』でも志らくさんは道灌から稽古をつけてもらっていましたが、高校を辞めて入ってきた談春さんは浮世根問から口調を習ったというのは、なるほどな、と。
そして芸人としての心得を教わるんですが、ここが、またいい(p.65)。
「たとえ前座だってお前はプロだ。観客に勉強させてもらうわけではない。あくまで与える側なんだ。そのくらいのプライドは持て。お辞儀が終わったら、しっかり正面を見据えろ。焦っていきなり話しだすことはない。堂々と見ろ。それができない奴を正面が切れないと云うんだ。正面が切れない芸人にはなるな」
空腹に耐えかねて、楽屋の弁当を段ボールごと持ってきてしまった後に云うセリフもたまりません。
「まァ、持ってきちまった物はしょうがねェ。返しに行くわけにもいかねェしナ」「人間いくらかは泥棒了見がないと出世しない、と落語のセリフにあるがな、あれは事実だ」
談春さんは文章が上手いと思ったのは、高田文夫さんが志らくさんとの前座の二人会を見にきた時のセリフとさげ(p.171)。
「来ちゃったよ、馬鹿野郎。前座の会なんか観に来るのは始めてだよ。俺に歴史をつくらせやがって憎いねどうも。こっちの兄ちゃんは?談春?フーン、しっかりやってくれよ、頼むよホント。お前ら何席ずつ演るの、二席ずつ?災難だなァ。何が悲しくて前座の落語を四席も聴かなきゃならないんだ。俺そんなに悪いことしたか」
速い。自己完結する会話のスピードと、売れている人間独特のオーラとでも云うのだろうか、妙なまぶしさでオレ(談春)は息苦しくなった。
その後、宴会やるから、水割りぐらいつくれるだろう、と誘われて、談志師匠のネタで笑いをとった時の、このエピソードが、一番好きです(p.179-)。
「弟子に入りたての頃、師匠(談志)のベッドの上にライオンのぬいぐるみが置いてあったので何気なくポーンとワタシ(志らく)が放ったら、師匠(談志)が『志らく、こいつはオレ(談志)が大事にしているライ坊ってんだ。いじめねェでくれ』と云われまして…驚きました」
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