『雨ン中の、らくだ』
『雨ン中の、らくだ』立川志らく、新潮文庫
談志師匠がお亡くなりになってから、もう半年たつのですが、なぜか喪失感は日に日に増すばかり。
高座の追っかけをやっていたわけでもないのに、子ども頃から親しんでいたあのしゃべりが聴けないかと思うと、寂しくて仕方ありません。芸人というのは、やはり無形文化財なんだな、と改めて思います。
あの早口で言葉の洪水を喋り倒す話し方は、よく聞き取れないなんて言われることが多かったのですが、そんなことを言うヤツには「田舎者め。耳が慣れてないだけだよ」と密かに思っていたものです。
ということで、本屋さんを歩いていたら、談志師匠の愛弟子、志らく師匠の書いた『雨ン中の、らくだ』が文庫化されて平積みにされていたので、読んでみることに。
この本は志らくの修業時代について書かれている本だと思っていたのですが、違いますね。
全編これ談志愛。
談志師匠と同じ価値観を持つために、ずっとそばにいて観察し、記憶している。
そんな感じの本でした。
弟子入りして最初に稽古をつけてもらったのは「道灌」。《驚きました。客席で聴いていて気がつかなかった世界がそこにありました。見事なまでにそこにメロディとリズムがあったのです》というあたりから、もう談志愛ワールド(p.33)。
その「道灌」を初めて演じる日に、談志の気まぐれで列車に乗り遅れそうになり、大目玉を食らうのですが、そこでの談志の言葉が冴える(p.36)。
「修行とは矛盾に耐えることだ」。
ハワイでの高座では着物姿で会場まで歩く談志。「海外を着物で歩きながら、どうでぃという了見でいると気持ちいいんだぞ」なんていうのもわかるなぁ(p.96)。
海水浴では芸人が身体を焼くなんてとんでもないということで、長袖の下着を着て、顔には歌舞伎役者みたいに日焼け止めクリームを塗り、手は岩石で切らないように軍手をはめ、足にも地下足袋、頭には麦藁帽子でワイキキのビーチを歩くなんてあたりもすごい(p.91-)。
とにかく、なんでも思いのまま。真打ちへの昇進も、落語協会なら年功序列だけど、立川流では家元談志の鶴の一声、これだけ。
《江戸っ子という生き物の存在自体がもはや幻想》である、その江戸っ子を生き方も含めたイリュージョンで蘇らせていたのが談志なのかもしれません(p.198)。
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