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May 08, 2012

現代詩手帖「吉本隆明追悼総頁特集」

Yoshimoto_1305

 現代詩手帖の吉本隆明追悼総頁特集では橋爪大三郎、瀬尾育生、水無田気流の鼎談が面白かった。

 橋爪さんにはいろんなことを整理してもらっていると感謝しているのですが、吉本さんが嫌っていた「党派性」という言葉について「党派というのは、簡単に言うとひとを殺してもかまわないということ」と語っていたのにはなるほどな、と。

 瀬尾さんの、吉本さんは存在倫理という主題を『初期ノート』の頃から書いているけど、存在がそのまま倫理であるという位置から動かなかったというのも、なるほどな、と。

 以下の整理もありがたい。

疎外1は母親から子どもが肉体的に分離して単独の身体になる「原生的疎外」
疎外2は身体が意識を持つことによる「純粋疎外」で個人幻想と対幻想を含んでいる
疎外3は意識がすべて言語に向かって動くこと
疎外4は対幻想を延長した親族共同体

 また、橋爪さんの「福島第一原発の事故はもうちょっと頭が良ければ防げた事故です。それから幸いなことに人口希薄地帯で、日本がそれでだめになるというわけでもない。逆に良かったと思うべきできないか、と。今後は、似た事故が起こらないように、もうちょっと慎重になるから」という意見を聞いたことがないといのは思い切った発言。

 吉本さんが反原発運動をコキ下ろしたのは、日本人が間違うときのパターンは心情的な共振関係によって同調行動が高まるときだと思っていたのではないかというのも同感です。太平洋戦争の時に繰り返し起こった無謀な玉砕突撃のようなことが、日本人最大の問題だ、と。

 吉本さんは、そうした方向に全体が向かないために、冷水をあびせかけるような「多様性の担保として自分が犠牲になる」と考えていたのではないかということは、反核運動の時、オウムのサリン事件の時と同じですね。

 共同幻想論で振り切られ、70年安保の時に行動しなかったことで振り切られ、ハイ・イメージ論で振り切られ、反核異論で振り切られ、オウム・サリン事件で振り切られ、反・反原発で振り切られた人は多かったと思いハズですが「吉本さんはそういった、知識が人間を変な場所に連れだすのではなく、大衆と調和して生きるという方向にいったことへの憧れがあったのではないか」と親鸞に触れて語った橋爪さんの言葉に深く共感します。

 このほか、印象に残った言葉を集めてみます。

「重層的非決定という言葉、私はチャーリー・ブラウンの日常の中でこの言葉が生きているのを感じます」谷川俊太郎

「大衆の原像とは、連続・自発・習慣というパースの世界定義・原理なのかしれない」最首悟

「人の第二十三染色体は、XXならば女、XYならば男と固定してはいないのである。XY女性、XX男性があるだけではなく、XO=ターナー女性、XXY=クラインフェルター男性もある」河野信子

「変ることのない思想は人間の変らない生活に根を下ろすものでなければならない」古橋信孝

「自分の歩みについてたえず疑問と自恃(じじ)とを反復されんことを。吉本拝」佐々木幹郎さんが高校生の頃にもらった手紙

「原発の容認をする吉本隆明がいる(中略)知識を売り買いする知識人でありながら、自分は人を殺すような武器を扱わないクリーンな精神の持ち主だというやつほど嘘つきはいない、というのが反核異論からの彼の主張だった」村瀬学

チャールズ・サンダース・パースの『連続性の哲学』を読んでみようと思いました。

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