『昭 田中角栄と生きた女』
『昭 田中角栄と生きた女』佐藤あつ子、講談社
まだ田中角栄さんの本が出続けるということは、本人の政治家としての大きさもあるのでしょうが、現役の代議士である娘の他に、少なくとも籍を入れて認知した息子二人と、越山会の女王と呼ばれた女性秘書との間にもうけた娘がいるという、人間としての豪快さに魅力を感じる人たちが多いからではないでしょうか。
『昭 田中角栄と生きた女』という表題の主人公である佐藤昭子さんは、著者の母親。なぜ昭子ではなく昭なのかというと、それは改名届けを出した前の名前だったから。
『淋しき越山会の女王』児玉隆也を読んだ佐藤昭さんは激怒し、「ささやかな抵抗」として名前を昭子に変えています(『私の田中角栄日記』)。娘さんも敦子さんだったと思いますが、やはり変えたんでしょうかね。
もちろん田中角栄、佐藤昭さんのエピソードも凄いのですが、この娘さんも並の人生ではないんです。中学から慶応に通いますが(これは神楽坂の芸者さんだった辻和子さんとの間に生まれた京さんも同じ)、田中金脈が表沙汰になる前からリストカツトを繰り返すようになり、大学は中退。その後も男性経験のもつれから2度も死ぬ寸前までいった自殺未遂を繰り返します。
しかし、それ以上にすさまじいのが両親の生き方。馬喰の息子から総理大臣まで上り詰めた田中角栄さんのことはおいておいても、佐藤昭さんは、高校生までに親・兄弟全てを病で失い、それでも地元の名門高・柏崎高等女学校を卒業して、教師になることを目指して東京女子専門学校に合格しますが、その直後に、学校は東京大空襲で焼けて閉鎖になり、地元に戻らざるを得なくなります。
《母は防空壕に入らず、逗留先の物干し台にあがって、真昼のように明るく燃える夜空を眺め続けたという》《どうせ家族は全員が死んだのだ。街が燃え、空が赤く染まり、人々が日常を営んだ世界が破壊されていく瞬間を、母ずっと一人で見つけ続けた》
というあたりの寂しさは、佐藤昭さんの生涯を覆っているようで、なんとも印象的です(p.41)。
その後、佐藤昭さんは二人の夫と離婚、田中角栄との間に著者である娘を産むとともに、最も信頼される金庫番として田中派を支え、橋本龍太郎、小渕恵三、羽田孜、小沢一郎以下の若手政治家の面倒も見つづけることになります。
こうした内幕を全て白日の下に晒したのが『淋しき越山会の女王』だったのですが、娘さんのあつ子さんは随分、好意的なんです。離婚で生活に窮した佐藤昭さんがキャバレーで働いたと児玉さんは書いていますが、その名前は「S」とイニシャルだけにしています。しかし、その名前は「処女林」であり、そこに児玉隆也さんの配慮を感じます。さらに、当時、高校生だった敦子さんのことも記していません。こうしたこともあってか、その後、全てを失って死ぬことになる佐藤昭さんの将来を予見するような見事なタイトルだ、とまで書くのです(p.61)。何億という財産と阿諛追従に囲まれていても、幸せではなかった、と。
佐藤昭さんと同じように『淋しき越山会の女王』に激しく怒りをあらわにしたのは田中眞紀子さんだったといいます。一方、当時、身重だった眞紀子さんは激しく田中角栄さんに迫り、それが心理的な負担となって首相を退任することになります。
しかし、田中角栄という人は、田中派を養い、総理大臣まで上りつめ、逮捕後もキングメーカーとして君臨するかたわらで何人もの女性と関係を持ち、出来た子どもには平等に愛情を降りそそぐという過剰なまでの人生をよく送ることが出来たな、とタメ息さえついてしまいます。
まあ、それぐらいの器でなければ、後世に語り継がれるような人物にはなれなかったのかもしれません。
本書の最後には、文藝春秋に掲載された田中金脈研究の立花隆さんと著者の対談が収録されています。救いだったのは、ガンに罹っている立花さんが《だんだん年を取り、日本の戦後の歴史が一目で見渡せるような年齢になってきて改めて考えると、あの人はやっぱりなかなかの人だったなあ、という気がしますね》と語っているところでしょうか(p.250)。
密葬ですませた佐藤昭さんの葬式に一人駆けつけた小沢一郎民主党幹事長(当時)が亡きがらを前に「ママ、長い間お世話になったね」と小さく呟いたという場面とともに印象に残りました(p.214)。その日は東日本大震災のちょうど1年前の2010年3月11日だったそうです。
あり得ない妄想かもしれませんが、眞紀子さんが、もう三世議員を田中家から出すのを諦め、もう少し年をとったら、京さん、敦子さんと鼎談をやって父・田中角栄を語ってもらいたいと思います(まあ、あり得ないでしょうが…)。
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