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March 04, 2012

『物語 近現代ギリシャの歴史』

Modern_freek
『物語 近現代ギリシャの歴史 独立戦争からユーロ危機まで』村田奈々子、中公新書

 そういえばギリシャの近現代史というのは、あまり習わないですよね。人物でもトルコのムスタファ・ケマルは有名だけど、ギリシャの伊藤博文といいますか原敬みたいなエレフセリオス・ヴェニゼロスの存在を知る人は日本ではまれだと思います。

 それは、輝かしい古代ギリシャと比べて近現代史では常に歴史のバイ・プレーヤーでしかなく、国民国家としてもまとまりを欠き、国土も小さく独立させられて、徐々に大きくなっていかざるを得なかったという事情があったのかもしれません。

 そもそも独立の契機からして、人為的といいますか、わりとオスマン・トルコも悪い統治をしていたわけじゃなく、コンスタンチノープルの世界総主教座も、オスマントルコ支配下での秩序の方が大切だという姿勢でした*1。しかも、アテネというば、1万2000人ぐらいの人口しかない田舎町だったそうです。というか、そもそも、ギリシャは古代国家でも相克する都市国家の集まりでしかなく、オリンピックのような祭典・宗教儀礼によってしかギリシャ人という一体感はありませんでした。また、中世のビサンチン帝国でも、自分たちのことは「ロミイ」(ローマ人)と読んでいたそうで、そもそもギリシャ人というのはずっと存在していたの?という疑問さえあるわけです(こうした統一感のなさが、いわゆる「黒いアテナ」論争なども呼ぶことになったんでしょうが)。そして、1456年にオスマン・トルコがアテネを占領するとパルテノン神殿はモスクとなり、隣接するエレクテイオン神殿はハーレムになったそうです。

 しかし、まあアレクサンドロス・イプシランディスが立ち上がり、バイロンなんかも応援に行ったりして、しばらくは苦戦も続くんですが、やがて英仏露の三国が介入したことで独立を果たすんですね。で、独立ギリシャはトルコ領の港なんかも含めて、古代ギリシャが支配していた"領土"すべてを回復しようとする「メガリ・イデア」の考えにとりつかれるんです。で、第一次世界大戦で連合国側に立って戦ったことから、トルコ領のスミルナの管理権も得るんです。しかし、ナショナリズムは何も解決しないんですね。

 やがて立ち上がったムスタファ・ケマルによってトルコは近代国家として生まれ変わり、逆にスミルナは奪われて、トルコ領内のギリシャ人コミュニティは辛酸をなめることになります。最終的には、互いの領地に住むギリシャ人とトルコ人は、住む土地を奪われて交換されることになるという、まあ、夜郎自大的ナショナリズムらしい結果に終わるわけです。

 ギリシャの統一の過程の話では、言葉の問題も面白かった。それは当時の王妃が古代ギリシャ語というか、当時の民衆ギリシャ語であるコイネーで書かれていた新約聖書の、ギリシャ語口語訳を発表しようとしたんですが、学会から大反対を受けるというあたり(p.110-)。元々、観念的な理由から独立したわけで、言葉も理想を求めて古典ギリシャ的な要素を残したカサレヴサが採用されたんですが、それは民衆が使うギリシャ語であるディモティキとはだいぶ違っていた、と。

 カサレヴサはオスマン帝国時代に汚されたギリシャ語を「浄化」するという考え方でつくられたそうですが、どう考えても無理がありますよね…。

 そもそもコイネーだってギリシャ語本来の意味の中にはuncleanという意味もあるんですね(Liddele & Scott)。もう古典時代から汚れていたのに…と思うわけですが、ナショナリズムが高揚して観念にコリかたまったような人たちには通用しない、と。結局、カサレブサが廃されたのは、悪名高い軍事政権が崩壊する1974年まで待たなければならなかったというのですから、なんともいえません。

 この本の白眉は五章の「兄弟殺し」―第二次世界大戦とその後(1940-74)でしょう。

 第二次大戦でギリシャはイタリア、ドイツに占領されるんですが、その中で民族解放戦線EAMと民族解放軍ELAS(その名もエラス!)が結成されます。当然、共産主義者も中に入っているんですが、スターリンが終戦直後は東欧の支配権確立に全精力を傾けたのと、隣国ユーゴスラビアがコミンフォルムから除名されたため、右派のEDESに押されていくんですね。また、黒海周辺にあったギリシャ人コミュニティーは旧ソ連を追われたというのも知らなかったですね。

 しっかし、ギリシャって近代国家として独立した後、1893年には、もう破産状態に陥っていたんですね。こういう財政的な弱さというのは宿命的なものなんでしょうか。

 また、日本のナショナリズムではまったく考えられない話なんでしょうが、《内部分裂を続ける自分たちギリシャ人を仲介し、地域を超えた規模の政治的統一体をまとめあげるには、ギリシャ人以外の支配者でなければ不可能であると考え》て、バイエルン王の次男オットー(ギリシャ名オトン)が話し合いで選ばれたという歴史があったんですね(p.63-)。

 世界からみれば、「女性宮家」創設で、これだけモメている日本というは不思議な国と映っているのかもしれません。

*1 ナポレオン軍が東地中海に迫った時、コンスタンチノープルの世界総主教座は「ビザンツ帝国末期に正教徒は正統信仰から逸脱しはじめていたが、オスマン帝国によって正しい信仰が維持されたことによって救われたので、このまま維持されるべき」と主張したそうです(p.23)

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