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February 27, 2012

『現代思想 総特集 上野千鶴子』

Ueno_chizuko1212

『現代思想2011年12月臨時増刊号 総特集 上野千鶴子』青土社、1500円

 にしても、上野千鶴子さんがもう、東大を退官したんですね…。北山修さんの退官の時も驚いたけど、まだ若いと思っていた方々にも、時間的な年齢だけはどんどん積み上がっているわけで、ひるがえって、自分はなんにもやっていないんだな、と思うと同時に、若い時に脚光を浴びた方々が、うまく着地できればいいなと感じます。

 ということですが、上野さんはマトモにご著書を読んだことがありませんでしたが、最近のケアの問題を扱った本を読んで、そこから改めて入門しています。そんなわけで、鶴見俊輔さんや網野善彦さんなど数々の「腑分け」を行って、時には相手を激怒させてきた小熊英二さんが堂々、50頁近くの白熱の対談をこなしているので読んでみました。

 ぼくはまったく上野さんのシロートなんで、初期には吉本隆明さんの対幻想を中心に、恋愛に特化して論考を進めていったというのも始めて知りました。上野さんは吉本さんの共同幻想論について、世の男性知識人が共同幻想(国家)と自己幻想に焦点を与えているのに対し、自分は対幻想によってセクシュアリティがまともな思想の課題になることが新鮮だったと答えています。しかし、吉本さんは恋愛というは考えたり論じるものではなくするものだ、という方向に後退してしまったと批判します。上野さんにとって対幻想というのは《本人にもそうと自覚できない、他者に向かう衝動のもとになるほぼ唯一の欲望ではないでしょうか》というところまで考え抜くんですね。

 《他者によって充足される必要のない性欲も十分にありうるということがわかりしまたから、それはそれであっていい。それでも、とことん自家中毒状態に嗜癖したあとに、自分というのはなんて退屈なんもんだろうと思った》とも書いていますが、そういった体験を与えたのは、全共闘の敗北後の状況なのかな、と思いました。

 上野さんは第一次羽田事件で亡くなった山崎博昭さんが京大の同級生であったということで、追悼のデモに行き、その後も運動に関わったようですが《自分が石を投げても機動隊に届かない、女であることは兵士としては二流であるということを痛切に感じた》とも語っているんですが、当時の党派は「女はオルグしない、なぜなら戦力にならないから」と公言していたそうです。だから、当時の女性運動家は「救対(救援対策)の天使」か、性欲処理対象の「公衆便所」か、食事当番の「おむすび部隊」にとしてしか扱われなかったといいます。

 しかし、「女はどんな分野でもヒーローが好き」ということで憧れを集めていたリーダー格の男性は敗軍の将となります。そうなると、逆に《敗軍の将になったら、男を自分の支配下におけるから、女にとってこんなにいいことはない》という事態も出てきて、対幻想というゲームの中では、女は男と対等なプレーヤーになれる、ということがはっきりと自覚できるようになった、と。そして、《総体として「あの時代」に学んだことは、「一人になること」であったというわけです》というのが結論になるんでしょうか。

 共同幻想は共通性をもとにつながる絆だが、対幻想だけが差異をもとにつながる絆だという上野さんの主張は、吉本さんのオリジナルと比べると男女に特化しすぎているとは思いますが…。

 その後、ポランニーの「互酬の領域」に興味を持ったあたりから、消費社会論に行くんですが、ここでもニーズとディマンドという基本的な定義が独特。

 まず、前提となる「ディマンド」が語られるんですが、ディマンドとは購買力に裏付けられたニーズであり、購買力を持たないニーズはディマンドにならない、と。そして80年代に考えられていたのは、ニーズには根拠はなく、消費者がいかなるニーズを持つかは予測もコントロールもでないので、逆に「消費社会論」はニーズを持った、といいます。しかし、今、上野さんはセンの厚生経済学からすれば、社会的な条件のための欠乏している人々のニーズは根拠がある、という風に変わっていってます。

 しかし、ここら辺をなぞってみると、上野さんは「時代と寝ている」感じがしますね。まあ、社会学者ですから。

 あと、主婦の労働対価が搾取されているという論議をしたら、「外部注入論であって大きなお世話」という批判が保守派からきたというあたりは、時代を感じます。

 《大衆化社会とは、みんな忘れてしますけれども、無階級大衆社会の略語なんです》というあたりはハッとさせられました。また、女性を運動の主体として立ち上げるには、ヨーロッパでは階級、アメリカなら人種といった在来の言説資源を使わざるを得なかったといあたりの証言も貴重だと思います。

 途中、ちっょとダレるところもあるんですが、最後に日本人の国家論みたいなのので盛り上がるんですね。

 勝手に整理させていただくと、明治の近代国家の作り方が割とうまくできて、しかも1400年ぐらい続いてきた天皇制という資源もあったことから、日本では「日本は太古の昔からの共同体である」という幻想幻想を強く押し出すことができたのかな、と。その結果、日本では公を国家が独占しすぎてしまい、日本の近代的知識人は常に「国家と個人」を問題の中心にして論議を進めてきた、と。しかし、G8の中で二重国籍を許していないのは日本とドイツだけになってきた、と。

 この議論の中で法や制度の成立とナショナル・アイデンティティの成立との間には30~40年の歴史的差異があるというフーコーの近代国家の成立によってナショナル・アイデンティティが形成される、みたいな論議も上野さん取り込んでいるようです。

 とにかく、利用できるものはなんでも利用して、ブリコラージュで時代を駆け抜けていった懸命な姿が浮かびます。

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