« 『連合艦隊 戦艦12隻を探偵する』 | Main | 『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』 »

February 05, 2012

『ひとりの午後に』

Ueno_hitori_no_gogoni

『ひとりの午後に』上野千鶴子、NHK出版

 『おひとりさまの老後』を遅ればせながら読ませてもらって、それまでの「攻撃的なフェミキャラ」という認識を変えている最中なんですが、『おひとりさま』ブームにあやかったNHK出版のエッセイ集まで読んでしまいました。

 ここでも新たな上野千鶴子さんの一面を見つけることができました。それは名文家という側面。

 女流作家というのは、昔から悪文家が多かったというのは山口瞳さんの言いぐさではありますが、個人的にもそう感じてきました。で、ここまで文章のうまい女流の人というのは、珍しいんじゃないかと思うぐらい。須賀敦子さんを最初に読んで驚いた時のことを思い出すといったら、少し大げさかもしれませんが、あえて伝わる言い方をすれば、そのぐらいいい。

 ひとり残された高齢の父親は、わたしが帰るたびに、母の思い出話をする。それも近過去ではない。五十年も前の-両親は一昨年金婚式を祝ったところだった-新婚時代の思い出を、ディテールにわたって語る。その思い出のなかには、当然のことながら、まだ子どもたちはいない。わたしにも共有できないその思い出話を、さも幸福そうに語りながら、老いた父は、自分たちがどんなに仲のよい夫婦だったかと、くり返しわたしに合意を求めるのだ。
 そのたびに、私は胸を衝かれる。子どもの眼にはけっして仲のいい夫婦とは映っていなかったこの男女は、もしかしたらわたしの知らないところで深い相互依存に結ばれていたのではなかろうか、と。
 たんなる過去の美化ではない。
 「ぼくらは仲のいい夫婦だったよねえ」と、合意を求める父に、にわかに同意を与えることはできないが、遠くを見るような父の幸せな顔つきに、わたしは気弱な微笑を返しながら、もしかしたら母は幸せだったのかもしれない、としだいに思うようになった。

 これは最初の「菫の香水」から引いたものですが、いいでしょ?

 中井久夫先生風に言えば「暖かく突き放し、冷たく抱きしめる」というような間合いも感じます。

 ただ、いわゆるプロの作家みたいにぶっちゃけては書いてない。例えば、書評っぽく書いている森瑶子さんの『情事』に出てくる《セックスを、反吐が出るまでやりぬいてみたい》みたいな(p.152)。本人も最後の「あとがき」に書いているんですが《わたしは研究者だから、「考えたことは売りますが、感じたことは売りません」》ということなんでしょうね。

 でも、ここまで書けるんだから、絶対に書いてほしい分野があります。それは京大全共闘時代の話。小熊英二さんがどこかで書いていたんですが、当時、全共闘の幹部からは、まるで戦前の日共幹部がメイド相手にするみたいな扱いを受けていたというんですよ。それに絶望して社会学、フェミニズムの方に向かったというのが上野さんの心の遍歴らしいんです。

 もちろん、そこらあたりのことはこの本でも《大学闘争が完全に解体したあとのことだ。先の見えないまっくらトンネルに入った気分で、高倉健にならって、「世の中、右も左も、まっくらやみでござんす」と呟くのがやっとだった》ぐらいのことは書いているんですが(p.126)、もう少し本格的に、私家版『一九六八』みたいな感じで書いてほしいかな、と。大学紛争とは呼ばせない、それは闘争だったからだ、とまで書いているんですし。ぜひ、読みたいな、と。

 ぼくはまったく知らなかったんですが、上野さんが愛誦歌としてあげていた

 《生きたまへ五月は青き風の色》

 という朝日新聞のコラムニスト深代惇朗さんの俳句もよかったなぁ。

 上野さん、ますますファンになりました。

|

« 『連合艦隊 戦艦12隻を探偵する』 | Main | 『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』 »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/53906959

Listed below are links to weblogs that reference 『ひとりの午後に』:

« 『連合艦隊 戦艦12隻を探偵する』 | Main | 『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』 »