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September 11, 2011

『昭和天皇と戦争の世紀』

Tennou_by_kato

『昭和天皇と戦争の世紀』加藤陽子、講談社

 講談社の「天皇の歴史」シリーズ第8巻として加藤陽子さんの『昭和天皇と戦争の世紀』が出ました。思えば岩波の「シリーズ日本近現代史」で『満州事変から日中戦争へ』で1930年代の日本史の専門家として加藤さんを知ってから4年、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で高校生を相手に授業スタイルで明治期から1945年の敗戦までの歴史を概観してもらい、今回の『昭和天皇と戦争の世紀』は1921年のヨーロッパ歴訪から45年の敗戦までという、たぶん加藤さんが最も書きたかった時代を、思う存分、書いたという感じが伝わってきます。

 「はじめに」がいいんですよ。

 ヴェーバーが『職業としての政治』の元になった講演を行ったのは1919年1月という第一次大戦後のパリ講和会議が開かれようとするそのときであり、ヴェーバーは次世代を担うドイツの青年に対して政治とは国家の指導であり、政治的人間の要素として情熱、判断力、責任感をあげました。それをを三谷太一郎さんが《政治的人間に最も必要とされる要件は、「客観的課題に対して全責任を負担する精神」》とまとめたそうです。昭和天皇も独白録を1919年からはじめていますが、加藤さんは立憲君主による制限があったため《昭和天皇はヴェーバーが希望を託した、客観的課題に対して全責任を負担する精神をもった政治的人間ではなかった》と同時に、歴史を動力となるものではあったか、としています。

 そして「序章」で昭和天皇とその時代を概観するのに、ヨーロッパ歴訪時代の第一次大戦で荒廃した各国の焦土、関東大震災によって焼き尽くされた帝都東京の焦土、第二次大戦時の米軍による爆撃で焦土となった日本全土という三つの焦土に立った人、として描き始めます。皇太子時代のヨーロッパ歴訪では、ジョージ五世に英国軍が奮戦したベルギーのイーブルを訪れるよう勧められるのですが、砲弾によって森林枯滅となった戦場に立ちます。そうなると各国とも自軍が奮戦した激戦地を見せるようになり、ヴェルダン、ソンムなどの戦跡をめぐる旅が続き、その時の模様は「東宮御渡欧映画」として日本国民も見ることになります。もちろん、そのときは総力戦の威力を自ら知ることになるとは思っていなかったでしょうが…。その後、昭和天皇は関東大震災の時には馬で、第二次大戦の敗戦直前にはクルマで焦土を視察したほか、戦後の巡幸では広島なども訪れることになります(原爆ドーム前で行われた広島での巡幸の写真は『民主と愛国』小熊英二の表紙でも印象的ですよね) 。

 それにしても、昭和天皇が自分の生涯の花と語った欧州歴訪に関して《万一不逞の外人、若しくは鮮人ありて、御外遊中に容易ならざる不敬の行動を為すものあらんか、其れこそ由々しき大事なり》として反対した人々がいたというのには驚きました(p.98)。このため香港などアジアでの寄港地では上陸できないところもあったそうです。

 加藤さんは大正天皇の摂政から昭和天皇になる時期に、後に『明治天皇紀』をまとめる三上参次が征韓論から日清戦争までの歴史を進講したことに注目します。伊藤博文、山県有朋、原敬が亡き後、制度としての天皇制は不安定さを保ちながらも多元的補弼で親政が補佐されますが、軍部や枢密院、内大臣、元老が対立した場合には親威的元力を行使しなければならならい、というのが進講の内容で、その最初の例として征韓論の時からスタートしています()p.126-。

 1920年代はヨーロッパ地域を対象にしたヴェルサイユ条約と、東アジアを対象にしたワシントン条約による「ヴェルサイユ・ワシントン体制」と呼ばれますが、それは不完全ながらも中国が不平等条約から脱却するための建設的プログラムを提供しうるものだった、という評価はなるほどな、と(p.147-)。まあ、そのプログラムをことごとく壊していったのが日本なのですが…。また、ヨーロッパとアジアに巨額の借款を与えていたアメリカ経済が29年の世界恐慌による打撃を受けなかったなら《ヨーロッパとアジアの双方を蝶番国家としてつないでいたアメリカ方式は、あるいは成功を収めていたかも知れなかった》という評価はうなりました(p.159)。そういう発想はなかったな…。

 外交問題として面白かったのは、26年に英国が日本に対して共同で上海への出兵を打診したのを幣原外相が応じなかったことが、後々に響くこと(p.174)。上海では中国共産党に指導された労働者がゼネストを打ちましたが、ソ連では過度に中国革命に関与することがイギリスの反発を招くとして「イギリスに中国を売る」方針に転換します。一方、幣原の原則的な対応にとまどった英国は蒋介石への依存を深めざるを得ず、日本に相談することなくワシントン会議参加国に対して中国がワシントン付加税を課することを承認するよう覚書きを発します。この後、アメリカの支援もあって蒋介石を中心とした南京国民政権が成立し、ソ連の影響からも脱していくのですが、もし幣原がイギリスの要請した共同出兵に応じていたら、というのは大きなIFとして残ると思いました。皮肉なことに27年の南京事件にあっての米英共同軍事干渉に参加しなかったことは蒋介石から感謝されるのですが、英米からは信頼を失うことになります(p.179)。

 そして日本が張作霖爆殺事件を起こすのは28年6月4日なのです。この時の、田中総理は後藤新平をソ連に派遣しますが、スターリンが後藤に対して明治維新はよくやったじゃないかと反米主義による揺さぶりをかけていたというのは、後の日ソ不可侵条約にもつながるのかな、と感じました(p.189)。

 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』では熱河作戦によって国際連盟を脱退せざるを得なくなることを知った昭和天皇が、なんとか作戦の裁可を取り消そうと試みたあたりが印象的に描かれていましたが、この『昭和天皇と戦争の世紀』では、僅か二個師団の日本軍によって31万人の中国兵を敗退させたことで塘沽停戦協定締結となったことは一時的には大きな成功をもたらした、とします。《自ら連盟脱退を通告した日本は、除名や経済制裁という不名誉を蒙ることなく、また、中国との新たな関係打開の端緒をも、結果的につかむことになった。熱河作戦をめぐる政府と軍部の経験は、成功体験として、軍の強硬路線を勢いづけた》という(p.235)。

 また、陸軍の統制派は青年将校運動を取り締まる一方(いまさら自分の無知には驚きませんが、辻政信は十一月事件で無実の罪を皇道派にかぶせて告発する、ということまでやっているんですね…)、重化学工業の資源を求めるにあたって積極的な華北経済支配を要求していた、という指摘もハッとさせられました(p.253)。この頃、蒋介石は満州事変の責任には中国の混乱もあったと認める外交論文も別名で書いているのですが、国内治安対策のために統制派と手を切れない岡田内閣は、強硬な対中政策をとってしまうという背景にもつながっている、というわけですから(p.255)。そして2.26事件によって国家主義勢力が葬り去られた後、国民に人気があり、軍部からも支持された近衛文麿が首相になったことは、昭和天皇にとって心強いことになった、と(p.294)。近衛は天皇の無答責性を担保する機関として大本営政府連絡会議をつくったことは、大きな意味を持つことになります(p.296)。近衛内閣において、駐華ドイツ大使トラウトマンを通じた対中講和が模索されますが、近衛は日中戦争を終結させたら、軍部は対ソ戦をはじめるのではないかと恐れていたというあたりはうなりました(p.308)。

 また、中国軍を戦わせるために米国は月2万トンの補給を確保することに負担を感じていた、というのもなるほどな、と(p.318)。負担を感じていたにもかかわらず、必要になれば、造船能力を一気に高めることで問題を解決してしまうのですが…。

 また、対米宣戦布告が遅れたのは駐米日本大使館の不手際ではなく、奇襲作戦の効果を最大にするための統帥部と外務省が綿密に折衝して行ったことだという『開戦神話 ―対米通告はなぜ遅れたのか』井口武夫、中央公論新社、2008は読んでみようと思いました。また、同じ時期にルーズヴェルト大統領からの天皇宛の電報も陸軍が遅らせていたそうで、軍は1941年12月当時すごいところまで考えていたんだな、と改めて感じました(p.331)。

 マリアナ沖海戦で大敗し、制海・制空権を失った日本が本土爆撃をされるままの状態になってもなお降伏しなかったのは、無条件降伏を認めたくなかった日本側の責任が第一ですが、「無条件降伏」にこだわったの背景には独ソを消耗させた後に英米が世界を支配するのではないかというソ連の疑念があり、その誤解を解くためにも米英には対日無条件降伏の言辞が必要だったという指摘もなるほどな、と。ケナンも日本に一定の条件を示すことを考えていたようですが、戦後、ドイツの変革を目指して戦われた戦争がソ連の台頭を許すという間違った結果をもたらしたことを悔やみます(p.369)。もっとも、アメリカには、第一次大戦のような交渉による平和では、第二のヒトラーを生み出してしまう、という懸念が強かったようですが。

 一方、中国は慎重にことを運びます。蒋介石は戦争中、日本国民を敵とする発言を一度も行いませんでした(p.370)。また、中国共産党も45年5月の七全大会で、毛沢東、朱徳、劉少奇、周恩来、林伯渠に次いで野坂参三に演説をさせるほどでした(p.371)。

 うーん、にしても、堪能しました。

 『昭和史裁判』も読んでみますかね。

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