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September 23, 2011

『昭和史裁判』

Houwasi_saiban

『昭和史裁判』半藤一利、加藤陽子、文芸春秋

 文藝春秋の05年読者賞を受賞した座談会『あの戦争になぜ負けたのか』にも加藤さんは名を連ねていて、岩波新書のシリーズ日本近現代史5『満州事変から日中戦争へ』を読んでビックリして、新書になっていた『あの戦争になぜ負けたのか』も読みました。しかし、この『昭和史裁判』のあとがきで本人も書いているように、『あの戦争になぜ負けたのか』での加藤さんは場馴れしていなかったためか精彩を欠いていましたね。爾来6年、文藝春秋の近代史のゲートキーパーともいうべき半藤一利さんと二人で、「あの戦争」の文官の裁判をやようという企画に乗ってしまうほどメディア慣れしてきた加藤さんは、今度はなかなかやってくれています。

 この歴史法廷の被告席に引っ張り出されたのは広田弘毅、松岡洋右、近衛文麿、木戸幸一、昭和天皇の5人。

 最初の広田弘毅については「歴史は床屋政談とは違う」と学生たちに常に教えているというだけあってw『落日燃ゆ』批判みたいな形で広田を攻撃します。高橋是清の言葉を引用しながら「広田は結局軍人に引っ張られた男であって、強いところがない」とか(p.24)。

 中国との交渉で強硬な広田三原則を持ち出したり、蒋介石との和平交渉(トラウトマン工作)も蒋介石が病気で熱を出して返事を待ってほしいといっているのに打ち切る(p.62)などの背景には、関東軍の阿片販売だけがうまくいくことになった華北分離工作に乗っかってしまった(p.42)、というような背景が考えられるというんですね。九州出身ということもあって「武士は食わねど高楊枝」の玄洋社に出入りする人物に親しいけれど、経済には疎かったというのも、なるほどな、と。

 そして、加藤さんの最近の著作で強調している陸軍の統制派というは皇道派より中国に対して強硬なやり方で支配しようとしていた、ということを海軍ともども理解できずに、それに乗ってしまった、というのが最大の問題なのかもしれません(それにしては外務省の課長時代に加藤大臣に対して、対華二十一ヵ条要求の中に黄河浚渫権を入れろと経済的な要求をしているんですが… p.19-)。

 広田の章は正直、あまりスッキリとはしなかったのですが、結局は軍部に振り回された「あきれるほどの無定見、無責任」という人物評なんでしょうか。ちなみに「あきれるほどの無定見、無責任」という言葉は、昭和天皇が広田をそう批判した猪木正道の『評伝 吉田茂』を褒めて、当時の中曽根首相に「非常に正確だ」と伝えた評価です(p.26)。

 次に取り上げられるは近衛文麿ですが、ふたりにまつわるトリックスターのような人物がいるんです。それは石堂清倫(満鉄事件でも捕まり、戦後はマルエン、レーニン、スターリン全集の翻訳なども手がけた人物)。広田の時も、近衛の時も、自分が書いた原稿を確認してほしい、という時に、実にうまくササッと取り入ってしまうんです。近衛の時は枢密院議長としての演説を終えて軽井沢に帰る途中、同じ列車に乗り込み、お茶や新聞を買い忘れた、という会話が聞こえるやいなや「よろしければ」と差し出し、近衛から「ご一緒に」と誘われ、原稿を見てもらうことに成功するんですね。石堂は三・一五事件で逮捕されたりして、日本評論社に入るんですが、こうした左翼崩れの風情が好きだったのかもしれません。近衛は石堂に「クラシック音楽しか知らないから、庶民が好む浪花節というのを聴かせてくれ」と頼み、広沢虎造のレコードを近衛邸に持ち込んだりして感謝されたそうです(p.89-。ちなみに近衛の弟はもちろん指揮者・作曲家の秀麿)。

 ワシントンの海軍軍事条約で戦艦や空母を建造できなくなり、カネが余ったと思ったけど、実際に余ったのは鉄だけで、それで隅田川の橋などを200以上もつくったというのは、なるほどな、と(p.116)。東京タワーは朝鮮戦争で壊れたアメリカ軍の戦車の上等な鉄でつくられたといいますし、建造物ラッシュにはこうした事情があるのかもしれませんね。

 また、三国同盟に関しては、当時(レニングラードでは負けつつあったものの)破竹の勢いで西ヨーロッパを占領したドイツに勝ちまくられては、せっかく第一次世界大戦で手に入れた南洋諸島を取られてしまうのではないかということで、講和時にドイツから邪魔されないために結んだのではないか、という話にはハッとしました(p.148)。ヒトラーやリッペントロップも三国同盟の細かな付帯事項は知らなかったという史料がでてきているそうですが、ひとりよがりであまり実体のない条約を結んでアメリカを起怒らせてしまった、という側面もありそうです(p.152)。実際、それまでドイツは軍事顧問団なども送り込むほどの親中派で、武器を売るかわりに産業上・軍事上非常に重要性が高いタングステンを得るという関係でしたし(p.317)。

 ちなみに、当時、蒋介石と汪兆銘もイギリスが負けた時の日本の仕返しが怖いということで、ドイツの側に立って宣戦布告したいと信じられないことを言っていたとのこと(p.148-)。汪兆銘政権の周仏界大蔵大臣は重慶とつながっているというのは公然の秘密だったらしいのですが、それだけでなく共産党とも密に連絡をとりあって、敗戦後の日本が残した現物財産を損なわないようにしたという話しにはまいりました(p.162)。半藤さんではありませんが「中国はでっかいね」という感じです。

 また、加藤さんはここでも、日中戦争は後半になるとあまり予算をつかわなくなり、残った七割をため込んで対ソ、対米戦に備えていたというのを強調しています(p.265)。だから、この本でも広田や木戸、近衛は対中和平のトラウトマン工作がうまくいってしまうと陸軍がソ連と戦争を始めてしまうことを恐れていた、という流れを解説するわけです(p.316)。

 さらにいえば、皇道派の宇垣や荒木を大臣として起用した近衛総理に危機感を抱いた統制派が、二度と皇道派が復活しないように先手を打って対外侵略に出たのが盧溝橋事件ではないかという指摘も新鮮でした。ちなみに近衛は皇道派の中心人物で2.26事件の首謀者たちが首班にしようとした真崎甚三郎の大赦にも動いていたそうです。その理由は真崎が対ソ戦の権威で、ソ連も恐れているから、というもの。近衛たちが本当に恐れていたのは、なるほど「対ソ戦」なのかもしれません(p.322)。

 近衛はルーズヴェルトとの直接交渉で中国からの撤兵を約束し、それを天皇に直接、裁可を求めることで一気に日米関係の打開を図ろうとしたこともありましたが、そこにも統制派と皇道派との政治が感じられます(p.340)。

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