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August 28, 2011

『超越者と風土』

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『超越者と風土』鈴木秀夫、原書房

 『気候変化と人間 1万年の歴史』を読んで凄いなと思った鈴木秀夫さんの本で、読むのは二冊目。やはり、予想に違わず面白かったというか、新しい視点を与えられたし、多くの知見を得られたので、『気候の変化が言葉をかえた 言語年代学によるアプローチ』も読んでみようと思います(元々は中井久夫先生が書かれた『復興の道なかばで 阪神淡路大震災一年の記録』のあとがきに引用されていて興味を持ちました。中井先生は常に新しい分野の読書の良き水先案内でもあります)。

 まず語られるのがヒマラヤの隆起。対流圏の高さである1万メートルに近い高さまで隆起したことによって、様々な土地が湿潤から乾燥に移った、と(p.5。いろんな説がありますが、1000万年前から750万年前の間に急激に隆起し、90万年前からふたたび急激な隆起がおこったという説が有力なようです)。

 本論とはまったく関係ない話になりますが、周口店の遺跡では灰と燃えかすが数メートルの厚さに達しているそうです。こうしたことから、シナントロプスは火をつくることはできず、自然の発火によって得た火種を何代にもわたって絶やさぬように見張っていたと考えれるそうですが(p.8)、ここからヘブライ語(Ruaha、ルーアハ)やギリシア語(puneuma、プネウマ)で聖霊と息が同じだということ想い起こしました。貴重な火を絶やさぬよう、息を吹きかけると、そこから聖霊のように炎が吹き出る、というような記憶が人類にあったりして、みたいな。 

 これも横道ですがタキトゥスの『ゲルマニア』に「この天と地との見さかいのつかぬ土地に、好んで移りすむものがいるはずはないから、ゲルマン民族は、この地に発生したものであるにちがいない」と書いているのが引用されていて、なんとなく笑ってしまいました。まったくその通りだな、と(p.21)。

 1万年前から気温の上昇がみられ、8000年前には今より気温の高いヒプシサーマル期になったそうですが、そうなると少なくなった獲物を獲るために、ヨーロッパの中石器文化では弓矢が発明されます。木村重彦という方によると、人類は《引いた弓の潜在的な力を用いる弓矢の使用によって、人間の肉体から分離された、抽象的な力を発見することになったという。これは自分のなかに霊と肉の二つを認めることであり、「見る」ことから「視る」ことへの移行が行われた》そうです(p.41)。旧石器時代には動物を描くことで呪術的関係を持ちましたが、中石器時代になる、自分を絵の一隅に置き、自分を外から眺めることが始まるとともに、動物の描写も抽象化されていったそうです。

 ヨーロッパで農耕が始まると、1月の平均気温が1度というエンマー麦の栽培限界の南にはラテン人が、それより北で1月の平均気温がマイナス6度というヒトツブ小麦の栽培限界が南の地にはゲルマン人が、それより北で農耕が不可能だった地にはスラブ人が、それぞれ民族・文化・言語を形成したそうです(p.48)。

 ヒプシサーマル期に、赤道西風が南下して、エジプトには雨が降らなくなり、古代エジプト人はナイルの水のみに依存するようになったのですが、水源を知らなかったから、川の水位を上げるものとして太陽神を重視していった、というのはなるほどな、と(p.59)。乾燥化は一神教に進めていくが、黄河の流域はエジプト、メソポタミアほど乾燥化は進まず、シャーマンを伴う天帝信仰となり唯一神教には移行しなかった、と(p.64)。

 エジプトに近いカナンの土地では日本の寒冷前線に相当する寒帯前線(ポーラーフロント)によって冬雨が降るようになりましたが、これによって、嵐の神パアルが最高位を占めるようになり、しかもそれは《人々が願わねば得られないもの》として認識されていった、と(p.67-)。

 イスラエル人はロバによって移動しましたがもロバは水のあるところから一日以上離れることができず、農耕地帯の縁辺部に細々と生活し、カナンを征服することで定着した、と。そして、不規則な雨の動きによって時には四散したイスラエルの諸民は、ロバを殺すという意味の契約をヤハウェと結ぶようになっていった、と。その頃、ラクダの家畜化が成功し、砂漠への進出も可能になり、シバの女王などアラビアとの交易も可能になっていったわけですが、いわば、文化果つる半砂漠の土地で絶対者の概念に辿り着いたのは《啓示がおこなわれた結果》だと考えるようになった、と。

 一方、森林の中で瞑想することが可能であったアーリア人は、静寂の中で聞こえる呼吸音に「我(アートマン)」を発見し、増幅する「梵(ブラフマン)」を同一視(ウパニシャッド)すること=梵我一如が真理であると考えるようになった、と(p.78)。アートマンは「あれでもない、これでもない」「不可捉・不可壊・無着・無縛・無畏・不被害」という否定形でしか言い表すことができず、判断中止の思想が生まれてきた、と。それがアートマンの存在について判断中止を教えたゴータマにつながった、と(p.79-)。ブッダは形而上学的な問題への解答を拒否するかわりに、現実的な苦しみからの解脱を説いていった、と。ちなみに、インドにおいて仏の出現は7回とも24回とも考えられるそうです(p.94。キリスト教における1回性との違いよ!)。

 恵み豊かな森林の中では、道に迷うことで桃源郷に至ることも可能だということは老荘思想も教えるところで、それは大きな現実肯定の姿勢にもつながりますが、砂漠では水に至る道を踏み外すことは死を意味します(p.89-)。

 こうしたとこから、超越者は西洋においては絶対者であり、東洋では絶待者である、と山内得立氏は説明するそうです。西洋ではAは非Aではなく、相対的な事物を絶したものが絶対者だと考えられている、と。一方、東洋では「肯定、否定、両者の否定、両者の肯定」というレンマの論理で考えるため、事物はすべて相互に相い待って存在すると考えます。東洋における「空の空」は宇宙に充ち満ちたものという表現にもなりますが、それはイスラエルの絶対者が「我はありとあるもの」と示されたことと対照的です(p.97-)。それはロゴスが語るのに対し、レンマは「直感的につかむ」ことだからもしれない、と。

 やがて仏教はインドでナーガールジュナ(竜樹)を経て、ゴータマを如来と考え、さらには人間も如来と考えるような大乗に発展していきます。これは意外と小乗仏教的な生活が快適であるということと、涅槃(ニルヴァーナ)には清涼という意味もあることなどが関係している、といいます(p.100-)。中国では華厳宗が発達しますが、美しい華に飾られた世界を意味する華厳の世界は、一輪の花の中にも躍動しており、涅槃を別の世界に求めない、と(p.120)。また、中国では流行しなかかったものの、砂漠的要素である浄土概念を含む浄土教も生まれ、そのキリスト教との類似には注目される、と。

 砂漠の都市の宗教であるイスラムの伝播が、後世の商取引などを除けば、砂漠的な戦い方が可能な地域のみに限定された、というのもなるほどな、と(p.110)。

 日本は気候に恵まれ、古代の人々は豊葦原瑞穂国と認識していましたが、仏教伝来による末法思想と、西方浄土から最も遠いという辺土思想の定着によって、自分の国土を否定的に見る見方が出てきたという指摘は面白かったですね(p.132)。また、日本は尼僧の比率が高いそうですが、これはシャーマニズムの巫女の伝統があるため、ともいわれているそうです(p.135、カトリックのシスター比率も高かったりして…)。また、人口稠密な谷底平野に住む日本人は、人から離れることで安らぎを見いだすので、日本のキリスト教会に人々が集まらないのも、こうした伝統があるからだ、というのもなるほどな、と(p.155)。

 信仰を単純化させたドイツのプロテスタントが、雨は植物の必要とするときに降るのではなく、雨の降るところに植物が生じることに気づいて衝撃を受けたというのには笑いました(p.148)。

 結語の《一神教がイスラエルに確立し、西方へはロゴスの論理をともない直線的世界観をつくりながら広がり、東方へはレンマの論理をともない円環的世界観をつくりながら拡大して行った》というまとめは素晴らしいと思います。ちそれは超越者を絶対者と理解するか、絶待者として理解するかの違いであり、唯一神の理解は、アフリカの一部を除いて地球全体を覆った、と。

[目次]
「ひと」への進化
ホモサピエンスの移動と人種の形成
氷河時代人の思想
新石器時代人の思想
古代文明の世界
カナンとイスラエル
森林のインド
判断中止
草原と森林の中国
「肉体をとりて生まれ」
大乗仏教と上座部(小乗)仏教
砂漠のイスラム
仏教の東進
キリスト教の拡大
結論

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