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August 26, 2011

『福島の原発事故をめぐって』山本義隆

Genpatsu_yamamoto

『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』山本義隆、みすず書房

 元東大全共闘、全国全共闘議長であり、科学史家でもあり、駿台での物理の授業でも有名な山本義隆さんが、本来は月刊『みすず』に載せるために書いたものの、やや長くなりすぎてしまった原稿を、薄い単行本として出したのが『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』。

 いろいろ学ばせてもらいましたが、なるほどな、と思ったのは以下のところ(p.27-)。

 科学技術とは科学理論の生産実践への適用であるが、実験室の理想化された環境で十分に制御された微小な対象によって検証された理論から、さまざなま要因が複雑にからみあった大規模な生産までの距離はきわめて大きい。その距離を埋める過程では多くの試行錯誤が必要とされる。電気科学理論から電気工学までの距離にくらべて化学理論から化学工業までの距離は大きく、そのために後者ではしばしば公害を生み出し、また事故も生じた。しかし原子核物理学から原子核物工学-核兵器生産と原子力発電―までの距離はもっと大きく、そのため化学工業で露呈したものよりずっと大きな困難と問題を内包している。

 そして何故、距離が大きいかという本質的な要因は、原子核物工学が人類史上、初めて理論に領導された純粋な科学技術であるため(p.89)。マンハッタン計画は原子核レベルで確認された最先端物理学の成果を、官軍産の強力な指導の元に原爆製造という技術に統合したものでしたし、原子炉はプルトニウム製造のためのもので、原発は完全なバイプロダクツでした(p.79)。

 山本さんの『熱学思想の史的展開』『磁力と重力の発見』『一六世紀文化革命』を読むと、職人や技術者あるいは魔術師などによって担われてきた経験主義的な技術の重要性が語られていました。そして、西洋文明が世界を制覇したのは、思弁的な論証知と技術的な経験知を結合させたからからだ、というのが山本科学史観だと思います。

 そうした観点からすると、例えば「もんじゅ」の事故原因となった温度計のさや管部分の設計ミスは、工作にあたった職人さんからの疑問を、設計した石播の技術者が無視したためですが(p.47)、こうした齟齬は、巨大な配管だらけの原発には数多くあるはずであり、《技術者が経験主義的に身につけてきた人間のキャパシティの許容範囲の見極めを踏み越えた》ものであるとしてすぐに停止すべきだ、という結論になります(p.89)。

 しかし、『未曾有と想定外 東日本大震災に学ぶ』畑村洋太郎、講談社現代新書ではありませんが、安全率(負荷に耐えられる倍率)を高める設計をすることで、乗り越えられるのではないでしょうが(さすがに「もんじゅ」はヤバイと思いますが)。

 また、さかんに世代を超えた責任を言っておられるのですが、例え日本が原発を全て停止しても、これからメガインフラを必要とするアジアの新興国は原発に頼らざるを得ないと思います。そして、そうした多くの国で「全人類と、これからの歴史のために原発はやめよう」という判断が出るということは考えにくいと思います。そんなに人類は儲けを度外視した考えはできないと思うから。

 それならば、「世界が原子力を捨てない以上、彼らには最先端の技術で運用してもらわなければならない。その時、日本の技術・経験上の備蓄も大きな意味を持つのではないか」という主張の方が、まだリスクが少ないのではないかと思うことに変わりはありませんかね…。

 もちろん「電力会社と経済産業省(旧通産省)と東京大学工学部原子力工学科を中心とする学者グループ、そして自民党の族議員からなる原子力村と称される集団」の責任は改めて問われなければならないとは思いますが(はじめに)。

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